コンピューターの力だと
ガンダムの力だと
これは!
これは俺の力だぁぁぁ!!!
CV:関俊彦(Gジェネシリーズ)
概要
サナリィのテストパイロットにして、ガンダムF90 1号機のパイロット。
地球連邦軍に編入された際の所属は第13実験戦団で、階級は少尉。
ミリタリーマニアで有り、特にMSの始祖と言える0079年代に近い機体が好みというMSオタク(MSマガジン等を始めとした書物を多く読んでいる過去をナヴィに明かした)。
軍人嫌いで有り、サナリィの所属でテストパイロットを担当していたのも直接的な軍事行動を忌避している為で、軍への編入の際に悪態をついている。
F90のテスト中に同僚のシドが駆る2号機が強奪、その後は仲間と共にオールズモビル掃討作戦に駆り出される。
その中で隊長のボッシュが今回の事件を仕組んだ黒幕である事を知り、彼と対立して行く事に成る。
「MSはかっこいいけど、人が死ぬのは格好悪い」という様に基本的には非戦主義であるが、機体について年代を問わず熟知している事も有り、その操縦センスは抜群。
特にこの時期は機体サイズの小型化が始まった矢先の事で有り、その時代の変化を読めていないシドに苦言を呈しながら一本取った事もある。
これらのセンスの良さを見落として、卓越した操縦技術を全てをガンダムの性能の賜物と判断し、デフの才能を否定したボッシュの慢心に対し、これらは自分の力と言い放ち、自身よりも戦闘経験の多い筈のボッシュを持ち前の才能で超えてみせた。
何故、彼は0079年代に近い機動戦士を好むのか?
技術の進歩によって誕生した【疑似人格コンピューター】のおかげで、乗り手の生存率が上がり、MSの操縦や動作もより簡単に成って行き新米のMS兵でも歴戦の勇士に匹敵する能力で活躍する事が出来る事態に疑問を抱いている。
この事はナヴィに明かしており曰く『最新技術に頼り切っちゃうと、【乗り手自身が育てた技術】じゃなくて【MSが持つ能力値】で決まっちゃう様な気がしてさ』とのこと。
幼少期は父親と共に宇宙で過ごしていたが、地球で再会した母親からは拒絶された様子が回想で描かれており、恐らくは「自分の力」であるMS操縦技術にのめり込んで行ったのはそうした過去の経験が有ったからだろう。
またシドに対しても「MSはかっこいいけど、人殺しはダサい」と戦争を忌避する発言を繰り返しており、あくまでもMSを操縦する事を好んでいる。
F90FFを経て、ラストシューティングからの始まり
これだけならば「アムロに似た瞳の主人公がラストシューティングをした」というオマージュ、パロディの領域を出ず、また事実F90本編の描写だけならばその通りなのだが、ボッシュ大尉の過去が明かされた事でその意味が大きく変わった。
失われたアムロの幻影を追いかけ、ガンダムを悪魔とさえ称したボッシュ大尉に対して、デフはアムロ・レイが教育型コンピューターに行わせたラストシューティングを、彼自身の操縦技術で実現し、ボッシュ大尉の悪意を吹き飛ばしたのだ。
また本来アムロを「帰れるところ」まで導いた筈のガンダムが、Mk-Ⅱ、Ζ、ZZ、νと悉くパイロットを人身御供に捧げる様に成った系譜の中で、F90を操って生還した最初のパイロットで有り、以後木星戦役に至る長きに渡って、F90はパイロットを帰還させ続ける名機として戦い抜いて行く。
そして何より、デフ自身はニュータイプでも何でもない、オールドタイプで在る。
彼はアムロ・レイを始めとする可能性の獣、実在しないユニコーンでは無く、奇しくも「スタリオン」という実在の馬を意味する名字を背負っている。
デフの戦いはボッシュ大尉が憎み、デフ自身も忌避していた、ユニコーンガンダムの様に優れた機体を作ればそれで良しとするガンダム神話やサイコフレーム神話、そしてニュータイプ神話の終焉と、そこから繋がる『機動戦士ガンダムF91』という新たな物語の始まりという意味を持つ様に成ったのだ。