川北紘一
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かわきたこういち
平成ゴジラシリーズをはじめとする数多くの特撮作品を支えた特技監督。故人(1942年12月5日~2014年12月5日)
東宝映画にて長年勤めあげ、昭和後期~平成中期に渡り平成ゴジラVSシリーズを支えた名監督。
平成ゴジラのド派手な光線描写や、独特のメカニック造形・描写は川北特撮等と呼ばれ大人気シリーズとなった(そのせいかVSシリーズで育った世代には、川北氏がメインから外れたミレニアムシリーズはいまいち不評である)。
映画だけでなくTVシリーズも円谷プロでウルトラシリーズ(黎明期のウルトラQから)に関わっており、「ジオン驚異のメカニズム」のフレーズで知られるガンプラのCMも長期にわたって製作していた。
東宝を退職後は株式会社ドリーム・プラネット・ジャパンを立ち上げ、超星神シリーズを開始。平成ゴジラで培った技術がブチ込まれた傑作となった。
ゴジラ60周年となる2014年には、東京・大阪で開催された「大ゴジラ特撮展」を監修し、会場にも頻繁に足を運んで講演を行っていた。
しかし12月5日、肝不全により72歳の生涯を遂げる。平成ゴジラを主題にしたプレイステーション3ゲーム「ゴジラ」の発売直前、そして日本におけるゴジラシリーズの復活が発表された矢先であったこともあり、氏の訃報は多くの特撮ファンに衝撃を与えた。
細かいことは気にしない性分であった(悪く言えば大雑把なところがあった)らしい。
『ゴジラVSスペースゴジラ』の制作時、スタッフから、MOGERAの足の裏のキャタピラが飛行する時にどうなっているのか聞かれたのに対し、「そんなことは後で考えればいいんだよ」と言って一蹴したという逸話が残っている。また、バトルエリアの結晶体が火花を散らしながら飛んでいく描写に関して説明を求められた際にも「いいんだよ、そんな理屈はいいんだよ」と言われてまともな回答を貰えなかったとのこと。
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