図鑑データ
「霞よ。ガンガン行くわよ。ついてらっしゃい。」
概要、出るわ。見てらんないったら!
銀髪を緑色のリボンでサイドテールに結った勝ち気な目つきの女の子。
艦娘としては終戦期まで戦い抜いた上記艦歴を反映した運の高さが特徴(他の朝潮型の運が最大12まで成長するのに対し、霞は20)。それでもあの幸運艦とは比べ物にならないのだが…
兎に角全てにおいてよく怒り、そしてデレない。
彼女に比べたら叢雲、曙、満潮のツンなどまだ可愛げがある方なのだ。
「こんなの全然強化のうちに入んないわよ!」
小破以下でドックに入れれば、
「タイミングおかしいったら!」
さりとて中破以上でドックに入れようものなら、
「ったく…どんな采配してんのよ…本っ当に迷惑だわ!」
戦闘でも、
「惨めよね!」
「○ねばいいのに!」
夜戦に突入すれば、
「あーもう、バカばっかり!」
試しに秘書艦にしちゃったが最後、
「用があるなら目を見て言いなさいな!」
「だから何よ?」
など、どっちが上官だかわかんないレベルの罵倒を繰り出す。
何とか弱いところを見つけようとしてセクハラしたところで、
「はぁ!?それで逆ギレ!!?だらしないったら!!」
と、こちらの意図を見透かして更に怒鳴る。
当然、このような彼女の言動を毛嫌いする提督は多い(と同時に、罵倒される事に悦を感じるドMな提督も少なくないらしい)…が、実艦としての艦歴を深く知るほど彼女に対する評価は変わってくるはずである。
一見クソ生意気な発言も太平洋戦争初期から激戦を経験し、慢心の恐ろしさと生き残る事の大切さを知り、連合艦隊最期の日まで戦い続けた彼女であればこそのものであると言えよう。
彼女が浴びた非難と陰口の数々、それによる司令の自決。
その後も悪化する戦局の中行われる危険極まりない無謀な作戦や輸送任務の数々…それでも最後まで戦い抜いてきた彼女。
言わば小ハートマン軍曹である。
歴然の戦士である彼女の罵倒は只の罵倒にあらず。
彼女なりの説教である。
言うなれば教官、多くの艦娘の命を預かる提督を教育するための説教なのである。
ある意味ダメ提督製造機と言われる彼女と真逆のダメ提督更正機。
難航不落の海域が突破できず堕落してしまいがちな提督は、一度彼女にケツを叩いてもらうのもいいだろう。
「だから何よ」
そんな提督には基本的にツンツンな彼女ではあるが、2013年11月13日のアップデートにて補給、放置ボイスが実装され、激戦下でついついボーっとしている提督のケツをぶっ叩いてくれるようになり、ますます教官らしさに磨きがかかっているが、補給した時にいつものテンションで怒ろうとして「何よ、補給なの!?…まあ、必要だけど。」と我に帰る所が見えるようになり、彼女の貴重なおっちょこちょいな姿を見る事が出来るようになった。
また、2014年8月8日のアップデートによって先行実装された清霜の時報によると礼号作戦で唯一沈んだ彼女の乗員を救出した縁からか、昼を作り忘れた彼女におにぎりを持ってきてくれたり、夜にまたおにぎりを持ってきてくれたりと面倒見のいい一面を見ることができる。
そして、何時も提督を怒鳴り散らす彼女が遂にケッコンカッコカリで究極のデレを見せてくれた。
Lv99の道は険しく遠いが、かつての第18駆逐隊の仲間達と一緒に運用してあげるのもオツなものではないだろうか?
そんな霞も、性能自体は1-1でも拾える普通の駆逐艦のひとつにすぎないが、前述の通り運のパラメーターは幸運艦として名高い雪風や時雨には及ばないながらも15(改造後は20)と気持ち高め。
史実での数々の困難な作戦を遂行し、大和と最期を共にした経歴故に駆逐艦の中では改二候補の筆頭に挙げられてはいたものの、永らく改二の実装の気配が無かった・・・が、2015年12月14日の運営からのアナウンスにて、改二の実装が決定した。
強気な台詞と共に、夜戦で敵を仕留めていく文字通り「ガンガン行く」駆逐艦となってくれる事を願う提督も少なくないだろう。何よりケッコンカッコカリで遂に提督への好意を見せた事もあり、改二になった際にどの様なデレを見せてくれるか期待する提督も少なくないだろう。
こんなの全然容姿のうちに入んないわよ。
瞳の色はオレンジに近い黄色。
髪は灰色で、青緑色のリボンで結んだ頭部右側のサイドテールになっている。
よく見ると毛先にはエメラルドグリーンのグラデーションがかかっている。
他の朝潮型と同じく、サスペンダーで釣られたプリーツスカートを着用。
靴下には、大日本帝国の国旗が描かれている。
なお、中破するとエメラルドグリーンのブラが見える。
少しは出来る関連イラストがあるようね…褒めてあげるわ。
関連タグよ。何度言わせんのよ、このクズ!
礼号作戦僚艦:足柄 大淀(艦隊これくしょん) 朝霜 清霜
毒舌・『霞』つながり・・・百地霞
史実
朝潮型駆逐艦9番艦として1939年6月に竣工。
第18駆逐隊に編入される。
太平洋戦争開戦時は同型駆逐艦の「霰」や陽炎型駆逐艦の「陽炎」「不知火」と共に機動部隊の護衛として数多くの作戦に参加している。
1942年6月28日、キスカ島沖にて濃霧で仮泊中に米潜水艦SS-215グロウラーの奇襲攻撃を受けて霰は轟沈、自身と不知火も大破という大損害を被る。
海軍内からは司令駆逐艦であった霞に対する非難の声が上がり、散々陰口を叩かれ続けた。
結果、霞に座乗していた第18駆逐隊司令宮坂義登大佐は責任を取って切腹自殺を遂げた。
(と最近まで思われていたが、最新の資料整理により、司令が座乗していたのは不知火であり、自決するも一命をとりとめ、内地で終戦を迎え、天寿を全うしていたことがわかった)
この事件により第18駆逐隊は解隊となり、霞も修復後は悪化していく戦場の中、地味だが重要で過酷な輸送作戦などに従事する事となる。
戦況の悪化に伴い、1944年のレイテ沖海戦より再び水雷戦隊に編入。
第二次多号作戦において、一水戦を率いて輸送任務を輸送艦一隻のみの損失で成功させる。
その沈没する輸送艦の救助に旗艦自らが向かい、伴艦の艦長は甚く感銘を受けたという。
同12月26日、帝国水上作戦最後の勝利となった礼号作戦では重巡洋艦「足柄」を差し置いて旗艦を努めた。
これらの時の司令官が「帰ろう、帰ればまた来られるから」の名言で知られる木村昌福少将である。
この時の木村少将はミンドロ島の米軍上陸拠点攻撃成功後に他の艦へ帰還を指示し、「霞」と共に海域に留まって轟沈した駆逐艦「清霜」の乗員救出を敢行、感銘を受けた他艦の命令無視による防戦行動によって多くの乗員を救出して、無事帰還している。
その後、北号作戦の完部隊の一員として、伊勢などと無傷で内地にたどり着く。
米艦載機の猛攻に対し奮戦したが被弾によって航行不能となり、4月7日「冬月」の最初で最後の雷撃によって処分された。
奇しくも、この冬月の艦長は霞の前艦長であり、総員退艦時には霞乗組員は彼のことを艦長と呼んだとか。