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イタリア海軍の編集履歴

2017-03-19 16:48:10 バージョン

イタリア海軍

いたりあかいぐん

イタリア軍の海軍。

概要

イタリア国軍であるイタリア軍を構成する4つの軍隊のうち、海上兵力を担う海軍である(他の3つの軍隊はそれぞれ陸軍空軍警察軍)。


沿革

1861年にサルデーニャ王国によるイタリア統一を期に、既存の海軍組織を統合する形で発足した。


統一以前の各海軍の保有していた装備をすべて継承した事により発足当初から英仏列強に次ぐ規模の強大な海軍力を有していた。一方で各海軍の装備間の互換性のなさ、将官同士の権力闘争、重工業力の欠如などによる混乱で、初期の実力は低いものであった。


普墺戦争での対オーストリア=ハンガリー帝国戦で大敗を喫して以降、イタリア海軍はイギリス海軍を手本とした軍事力強化を行うこととなる。折からのフランス海軍との軍拡競争で新技術導入を画策していたイギリス企業は技術テストも兼ねて大々的にイタリア海軍に対する技術提供を行い、急速な技術革新を見せたイタリア海軍は、伊土戦争ではオスマン帝国海軍を行く先々で一蹴する大戦果を挙げて戦争の早期終結に貢献、続く第一次世界大戦ではオトラント海峡封鎖作戦によってオーストリア=ハンガリー帝国海軍の抑え込みに成功、イタリアは一躍地中海有数の海軍国となった。


しかしながら第一次世界大戦終結後の経済不安によって予算不足に陥ったイタリア海軍は装備の更新もままならない状況が続き旧式化が進行しつつあった。そんな中で政権を獲ったファシスト党統領のムッソリーニは、地中海イタリア化・ローマ帝国復興を宣言して、その一環として海軍艦艇の整備を命じた。折からの膨張政策によって活発化したイタリア経済の下、駆逐艦や巡洋艦の建造がはじまった。しかしこれによって危機感を受けたフランス海軍が続々と新型艦艇を建造、工業力の劣るイタリアは新型戦艦の建造と旧型戦艦の近代化改装によってこれに対抗しようとしたが、近代化改装を2隻に施しただけの段階で第二次世界大戦が勃発、最新鋭戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦2隻が就役したものの、ドイツの勝利に眼が眩んだムッソリーニは戦争準備も整っていない段階の1940年6月10日に連合国に宣戦を布告し参戦してしまう事となってしまった。


外交戦略の失敗によって国際的に孤立したイタリアは石油の輸入も出来ない状態であり、イタリア海軍は第二次世界大戦の間終始燃料不足に陥っていた。そのため主力艦は作戦行動どころか訓練もままならない有様であった。

更にフランス・イギリス艦隊はイタリア海軍を上回ることから首脳部は艦隊保存策をドクトリンとした。だが幸いにもフランスが21日に降伏し、長年ライバルと目していた彼の国の海軍との交戦はフランス海軍のジェノヴァ砲撃に留まっていた。

地中海の戦いは北アフリカなどを巡り戦う枢軸・連合軍への補給物資を届ける彼我のシーレーンへの攻撃・防衛、そしてイタリアの喉元に位置するイギリス領マルタ島へのシーレーンを巡る攻防戦が主であった。

7月9日にはリビア向け船団を護衛する艦隊司令長官イニーゴ・カンピオーニ中将率いる第一艦隊(戦艦主力)・第二艦隊(重巡洋艦主力)からなるイタリア艦隊が、マルタからアレキサンドリアへの船団護衛に出撃したイギリス地中海艦隊とジュトラント海戦以来の大規模な海戦を演じたが、イタリア艦隊は積極性に欠け、さほどの損失も無いうちに撤退した。またイタリア空軍も艦隊支援に参加したが、その高高度からの水平爆撃は正確ではあるものの命中弾を得ず、更に艦艇の識別訓練不足かイタリア艦隊も誤爆する始末であった。(カラブリア沖海戦

19日のスパダ岬海戦では軽巡洋艦2隻がイギリス軽巡洋艦1隻、駆逐艦5隻を交戦し、バルトロメオ・コレオニを損失して敗退。10月12日のパッセロ岬沖海戦では夜間に軽巡洋艦2隻を駆逐艦4隻、水雷艇3隻で襲撃したにも関らず、相手のレーダーと夜間訓練の差で駆逐艦1隻、水雷艇2隻を失い敗れるなど相手に対して技術・錬度に劣っている問題が露出し始めていた。

それでも新鋭戦艦も実戦に投入できる状態となり、更に近代化された旧式戦艦も新たに加わったイタリア艦隊は積極的にイギリス船団攻撃の為に出撃したが、イギリス側がこれを避けた為に会敵できなかった。

しかしイタリアのギリシャ侵攻の支援の為に拠点であったタラント海軍基地に集結していた艦隊は11月11日から12の夜間イギリス艦隊の空母イラストリアスより空襲を受け、最新鋭戦艦リットリオを含む戦艦3隻が大破着底する大損害を受けてしまう。これにより地中海での活動可能戦艦のバランスシートはイギリス側に大きく傾く事になり、ナポリに撤退した艦隊は以後艦隊保存策を強め、11月27日のスパルティヴェント岬沖海戦でも船団攻撃に出撃したイタリア艦隊はイギリス側が戦艦数で同数となり数で優勢でないのを知り撤退するなど活動は消極的となっていった。

海陸と敗北続きのイタリアではあったが、その状況に危機感を抱いたヒトラーエルヴィン・ロンメル率いるアフリカ軍団と第十航空団を派遣し、アフリカ軍団が逆襲に転じ、第十航空団も1941年1月10日にイラストリアスを撃破するなどイタリア軍は一息つくことが出来た。

だが陸軍のギリシャ進攻を支援していたドイツ軍からギリシャを支援しているイギリス軍の補給路寸断を要請され、カンピオーニ提督の後任であるアンジェロ・イアキーノ中将に率いられた艦隊は船団攻撃の為に大規模な出撃を行い、3月28日には交戦状態に入るも約束されたドイツ空軍の支援は皆無に近く、迎撃してきたイギリス地中海艦隊は空母とクレタ島の空軍から支援されている状況に後退するがイギリス側の追撃も厳しく、損傷した旗艦戦艦ヴィットリオ・ヴェネトは撤退に成功したものの重巡洋艦3隻、駆逐艦2隻を失う大損害を受け、制海権も著しく損なった。([[マタパン岬沖海戦)

しかし5月にドイツ軍がクレタ島に侵攻し、6月1日にイギリス側がクレタ島から撤退するまでにその支援でイギリス地中海艦隊はドイツ第八航空軍団により大損害を受け、バランスシートは再び枢軸側に傾くが、6月22日のドイツによるソ連侵攻により第八航空軍団も地中海から転出され、圧力が減じたイギリス艦隊の北アフリカ・マルタへの補給、そしてマルタからの枢軸軍の北アフリカ補給線遮断活動は活性化し11月9日にはデュースブルク船団を、12月13日にはボン岬沖海戦で補給物資のガソリンを満載した軽巡洋艦2隻からなる輸送部隊を全滅させた。対してイタリア艦隊もタラント空襲、マタパン岬沖海戦などでの損傷戦艦の修理が終わり、再び活動を始めた。

更にイタリア海軍特殊潜航艇部隊は12月19日にアレクサンドリア軍港でイギリス戦艦2隻を大破着底させ、11月14日のドイツ潜水艦U-81による空母アーク・ロイヤル撃沈、25日のU-331の戦艦バーラム撃沈と相まって一気に海軍バランスシートはイタリア側に傾いた。

またマルタ島の重要性を理解したドイツ側も11月にはドイツ第二航空艦隊、第二航空軍団が地中海に進出し、1942年1月から5月までマルタ島に猛爆撃を敢行し飛行場・港は機能をほぼ停止し、北アフリカへの補給線への安全をほぼ確保できた。

しかしその状況にありながら燃料不足は深刻化し1942年には旧式戦艦は活動を停止し、3月のMW10船団、6月のMW11船団、MW4船団といったマルタ島へのイギリス補給船団をイタリア海軍はドイツ・イタリア空軍、Uボートの協力のもとほぼ阻止したものの、8月のWS21S船団攻撃には遂に戦艦の投入も見送られるほど燃料事情は悪化し、船団の完全阻止にも失敗したことでマルタ島は息を吹き返した。

これを機に戦局は悪化していき、再び補給困難となったドイツアフリカ軍団・イタリア軍は10月24日からの英軍攻勢に敗退し、11月8日にはモロッコ・アルジェリアに連合軍が上陸した。

それでも北アフリカへの補給活動はイタリア海軍によって続けられたが、1943年には潜水艦すら運用困難な燃料事情に陥いり、5月13日には北アフリカの枢軸軍は降伏した。また空襲を避けてナポリからラ・スペツィアに移動したイタリア艦隊はそこでも空襲に晒されるようになっていた。

そして連合軍による7月にシチリア上陸(ハスキー作戦)が開始されると、艦隊司令長官カルロ・ベルガミーニ中将はこれを迎撃せんと残った燃料をかき集めて主力艦隊による連合国輸送艦隊への決戦を挑もうとした。しかしムッソリーニの失脚により停戦交渉が行われるとこの突撃は中止、連合国軍への合流を行う事となった。この時、合流を阻止しようとドイツ空軍は開発中の新兵器フリッツXによる戦史上初の対艦ミサイル攻撃を敢行、直撃した旗艦である戦艦ローマが沈没している。


第二次世界大戦終結後、冷戦期には東西陣営の境界線にあった事からNATOの一員として重要な役目を担ってきた。


所属した主な軍艦および艦艇

戦艦


航空母艦


重巡洋艦


軽巡洋艦


駆逐艦


関連タグ

イタリア軍 イタリア 海軍


艦隊これくしょん海外艦艦娘として、ヴィットリオ・ヴェネト級リットリオローママエストラーレ級リベッチオ及びザラ級ザラが実装されている。

戦艦少女:イタリア海軍からはカイオ・ドゥイリオ級(ゲーム中ではアンドレア・ドーリア級表記)のアンドレア・ドーリア、ヴィットリオ・ヴェネト級のヴィットリオ・ヴェネト、ナヴィガトリ級のアントニオ・ダ・ノリとウゴリーノ・ヴィヴァルディ、ソルダティ級のカミチア・ネーラとアヴィエーレが登場

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