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タマモクロスの編集履歴

2018-08-13 12:42:44 バージョン

タマモクロス

たまもくろす

タマモクロスは昭和末期に活躍した競走馬、種牡馬である。(1984~2003)

'88年天皇賞(秋)。

芦毛の馬は走らない」。この2頭が現れるまで、人はそう言っていた。

芦毛と芦毛の一騎打ち。宿敵が強さをくれる。

風か光か、その馬の名は、「タマモクロス」。


2012年JRA・CM「THE WINNER」天皇賞(秋)より。


※馬齢は2000年までの旧表記で記載する。

※当馬をモデルにしたウマ娘については、タマモクロス(ウマ娘)を参照。


生涯

誕生からデビューまで

1984年5月23日生まれ。

父のシービークロス三冠馬ミスターシービーと同じく千明牧場出身で、「白い稲妻」と呼ばれた人気馬だったが、八大競走は一つも勝てなかった。

タマモクロスが生まれた錦野牧場は経営難だったために、彼の大成を見ることなく倒産してしまう。そのため、タマモクロスが優勝しても生産者の表彰台はいつも空いていた。


1987年(4歳)

1987年3月1日にデビューするも、春シーズンはなかなか勝てなかったが、秋に入るといきなり2勝を飾る。

陣営は菊花賞を目指そうとするも、調教師の小原伊佐美は先のことを考えて菊花賞を回避し、GⅡ鳴尾記念に出走させた。このレースで6馬身差をつけて勝利し、翌年の注目株となる。


1988年(5歳)

前年の二冠馬(皐月賞菊花賞)サクラスターオーは前年末の有馬記念で骨折し、1988年5月に死去した。

ダービー馬のメリーナイスは古馬になってからは振るわなかった。

そんな中でタマモクロスは5歳世代の中心として期待がかけられていた。


年明けの初戦は京都金杯(GⅢ)で、苦戦しながらも勝利し幸先良くスタートを切ると、続く阪神大賞典(GⅡ)では、ダイナカーペンターと同着で勝利。重賞での同着優勝は12年ぶりとなる。


そして、最大の目標であった天皇賞(春)でついにGⅠ初勝利。鞍上の南井勝巳もこれがGⅠ初勝利となった。

宝塚記念(GⅠ)では前年の天皇賞馬ニッポーテイオーを差し切ってGⅠ連勝を飾る。


秋シーズンは前哨戦を挟まずにそのまま天皇賞(秋)に直行。そしてこれが1歳下のライバル・オグリキャップとの初対決となった。

2頭とも88年はここまで無敗であり、共に芦毛ということもあってマスコミは「芦毛頂上決戦」と題打った。

レースの結果はタマモクロスがオグリキャップの追撃を振り切り、史上初の天皇賞春秋制覇を成し遂げた。


続くジャパンカップ(GⅠ)ではペイザバトラーに敗れて2着も、オグリキャップ(3着)には先着した。


そしてこの年の有馬記念(GⅠ)を最後に引退することを表明。最後はオグリキャップに敗れて2着だった。

天皇賞春秋制覇を含むGⅠ3勝が評価され、年度代表馬に選出されたが、翌年1月7日昭和天皇が崩御したため、結果として昭和時代最後の年度代表馬となった。


引退後

引退後は種牡馬となり、カネツクロスマイソールサウンドなどの重賞勝利馬を輩出するが、GⅠ馬は出せなかった。


2003年4月10日に19歳で死去した。


その他

みどりのマキバオー」の主人公ミドリマキバオーのモデルはタマモクロスである。

また、続編「たいようのマキバオー」では主人公ヒノデマキバオーの父でもあるが、名前は「タマブクロス」となっている。


関連イラスト

タマモクロス


関連タグ

競走馬


1歳上の世代

ニッポーテイオー ダイナガリバー メジロラモーヌ


同世代の馬

サクラスターオー メリーナイス ゴールドシチー マティリアル イナリワン


1歳下の世代

オグリキャップ スーパークリーク サッカーボーイ

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