さいたま市
さいたまし
概要
人口は2018年統計で130万人と埼玉県内随一の多さを誇り、増加が著しい。2位川口市とは2倍以上の差がある。「合併したんだから当然じゃん」という声はあるが、合併前でも1位(浦和)と3位(大宮)である。
東京一極集中が問題視された2000年代、中央の官公庁は、本部機能を東京に残しながら、その系統下で関東地方を管轄する出先機関をさいたま新都心に移転させた。中央役人にとって東京を離れることは都落ちという屈辱のため内部からブーイングが相次ぎ、さいたま移転は苦肉の策だったらしい。
さいたま市は全体的に図書館が夜遅くまで営業している事が多く、浦和駅東口の中央図書館はその傾向が強い。
1894年12月10日に大宮駅北側に車両工場を設立したことや、大宮駅から北に2キロ離れたところに鉄道博物館が作られたことから、現在も鉄道の街として認知されている。
さいたま市といえばサッカーと言われるくらいサッカーの街としても知られる。特に浦和は明治時代にサッカーが伝わって以降急速に広まり、古くは高校サッカー、現在ではJリーグ・なでしこリーグでその名を轟かせている。高校サッカーは現在鳴りを潜めているが、かつては広島、藤枝(静岡県)と共に「サッカー御三家」と呼ばれたほど。大宮も大宮で現存する最古のサッカースタジアムを保有している。
合併の経緯
2001年5月1日、浦和市・大宮市・与野市の3市の対等合併により発足した。2005年4月1日には岩槻市を編入し現在に至る。
県庁は元々あった旧浦和市域にそのまま置かれている。
政令指定都市及び都道府県庁所在地都市としては初めてのひらがな名称であり、決定時には賛否両論(むしろ圧倒的に否定論)が噴出した。ちなみに「埼玉」の県名発祥の地は、さいたま市の遥か北に位置する行田市である。もともと発足時の地域はすべて北足立郡に属していた(後に編入された岩槻市のみ南埼玉郡)ため、特に行田市からの反対があったのが市名がひらがなとなった原因の一つとなっている。
ただ浦和と大宮は非常に仲が悪い。半ば政略結婚のような形で合併したこともあり張り合いの度合いが合併前より強くなっている。
サッカーチームが合併前の名前のまま存在していることもそうだが、浦和は浦和駅前再開発に成功しただけでなく浦和美園駅周辺の開発にも着手。かたや大宮は念願の西大宮駅設置に工場跡地を再利用した大型ショッピングモール「ステラタウン」の建設。
果ては合併廃止論まで出る始末。誰か収めてやってくれ。
与野と岩槻のことが忘れられがちだが、与野はさいたま芸術劇場の所在地であり、バラ祭りがそれなりに有名。岩槻は元々城下町で、本来はこちらが県庁所在地になる予定だった(「埼玉県」の名前も「南埼玉郡岩槻」を想定したもの)。現在でも人形の街として知られる。