歴史
明治初期に開業した楠本イネ(シーボルトの娘)が西洋医学を学んだ初の女医と言われることが多いが、幕末には榎本住、高場乱らの女性医師が開業しており、彼女が本当に最初かは怪しい。なお楠本イネは1875年〜1884年の間は女子が医師になれなかったため廃業して産婆となっていた。
その後は1885年に荻野吟子が公式に認められた「初の女医」となる。
1943年の岐阜県立女子医学専門学校(現岐阜大学医学部)・名古屋市立女子高等医学専門学校(現名古屋市立大学医学部)の設立を機に、8校の女子医療専門学校が設立され、女医の増加のベースが醸成されてきた。
なお、女子医専は医学部や大学が戦後制度改変されたのに伴い、共学大学の医学部に改組されたところが多く、現在では女子のみの日本の医科大学は私立の東京女子医科大学のみである。
(医学部の男子校は日本には現在存在しない)
現状
ドラマ「梅ちゃん先生」(主人公が医師になったのは1952年)あたりでも描写されているように既に戦後から医師になる女性も結構おり、女性の大学進学率が上昇した1960年代以降は相当増えており実際はおばちゃん女医や70オーバーなおばあちゃん女医も多い。80を過ぎると男性医師と同様体力的な問題から現場を退く人も多いが、いなくはない。
一生モノの資格ということもあり女医の人数は増えつつある。
多忙な仕事でもあり未だ家庭との両立等に行き詰まり途中で退職する人も多い。
家庭との両立がしやすいということで昔は皮膚科や眼科などに行く人が多かったが最近は結構どの科にもわりといる。麻酔科なども最近はパート勤務やフリーランスの麻酔科医という選択肢ができてきたこともあり、微妙に増えている。
従来は外科は体力的な問題もあり女性は少なかったが、技術進歩により消化器系などは腕力に頼らない内視鏡手術が増加したり手術時間の大幅な短縮が可能になって状況は変わりつつある。後述の支援策もあり若い世代では女性の入局者も少しづつ出ている。
ただし、泌尿器科だけは男子器が治療の対象であるため患者側も敬遠する向きが多い(泌尿器科クリニックでは「医師や看護師も含め、スタッフは男性のみ」を売りにするところも多い)こともあり未だに少なく、「開業している実家の跡取り」といった事情以外に志望する女性も少ないため1県に1桁人数しかいない場合も多い。
最近は医学科生のおよそ半数が女子になる程増えてきたこともあり、大手病院や医学部でも女医や看護師の職場復帰がしやすくなるよう、パートや時短勤務、病院の敷地内に保育所を設けるなどの対策が進められつつある。
実在する著名人の女医
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