概要
所属事務所は「VERMILLION」。所属レーベルは「VERMILLION RECORDS」。ビクターとビーイングとの関係が解消される前はBMGビクター所属だった。リリース元も変更されているが、1990年初頭までの作品はBGMビクターを吸収したソニー・ミュージック側に権利が残されており、それらが便宜上初期作品として扱われることもある。
公式ファンクラブは「B'z Party」。
松本による「自らの音楽を表現できるバンドを創る」という構想のもとにバンド結成へ向けた活動を開始し、その最中に稲葉と出会い結成に至る。
打ち込みでは再現できないパートであるギターとヴォーカルのみで構成され、基本をハードロックに置きながらも、様々なジャンルの曲作りに挑戦している。
来歴
デビュー前
音楽制作会社のビーイングに所属。浜田麻里やTM NETWORKなどのバックバンドやスタジオ・ミュージシャンなどとして活動していたギタリストの松本孝弘は、「自分自身の音楽を表現できるバンドをつくる」という構想を実現するため、バンド結成に向けた活動を開始。
1988年5月、松本はビーイング社長であり音楽プロデューサーでもあった長戸大幸から1本のデモテープを渡される。そのデモテープには「Being音楽振興会」に所属していた稲葉浩志が、T-ボーン・ウォーカーの「T-BORN SHUFFLE」、レッド・ツェッペリンの「YOU SHOOK ME」、ビリー・ジョエルの「Honesty」を歌ったものが録音されていた。歌声を聞いた松本は稲葉を即ボーカルに採用することを決める。
当時、六本木にあった録音スタジオ「SOUND JOKER」にて2人は出会い、その場でビートルズの「Let It Be」、「Oh! Darling」をセッションした。ところがアンプの故障によりセッションは2曲で終了したため、その場はそれでお開きになっている。2人が次に出会ったときには何故かデビューに向けての準備が進められていたという。初めての出会いからデビューに至るまでが約4ヶ月と超短期間であり、2人の間にお互いの信頼関係や友情等がほとんどない状態でデビューしている。
デビュー後
1988年9月21日、シングル『だからその手を離して』とアルバム『B'z』の同時発売でデビュー。
デビューからしばらくは音源を制作してリリースすることで話題を繋いでいくという戦略であり、当時の松本には「アルバムを少なくとも2枚出す(自分たちで作った楽曲だけでライブできる)まで絶対ツアーはやらない」、「ライブハウスからではなく、はじめからホール展開でやっていく」というビジョンがあった。その代わり、ヤマハのモニターを務めていた松本が「ギター・セミナー」を開催し、セミナー後に同行していた稲葉とともにB'zを披露するキャンペーンで全国各地を回った。
しかし、デビューからしばらくは全く売れずオリコンランク圏外が続くなど苦戦の日々となった。
松本は「(時間をかけたわりにはほとんど売れなかったため)周りの関係者からお叱りをうけた」。また、稲葉も作詞に悪戦苦闘。「曲は既に出来て上がっているのに、自分が担当する詞がまったく出来ていなかった状況に焦り、常に作詞のことを考えているのが憂鬱でしょうがなかった」、「苦労して作詞をしても周りから批評されるので、途中で投げ出して逃げたいと何度も思った」と語っている。
セミナーによるキャンペーンを除き、B'zが初めて観客の前でライブを披露したのは、1989年にTM NETWORKやFENCE OF DEFENSEとのSF Rock Station FINAL EVENT
『THANK YOU TM NETWORK』にオープニングアクトとして出演した時。松本は初めて稲葉がライブで歌っているのを横でギターを弾きながら見た時に、「『これは絶対にいけるな』と思った」と述べている。
彼らのブレイクのきっかけとなったのは1stミニアルバム『BAD COMMUNICATION』。この楽曲のタイアップが有線で話題となりオリコンチャートトップ10内に入らなかったものの、3年かけて163週にわたりチャートインし続けるというロングヒットを記録。1990年発売の3rdアルバム『BREAK THROUGH』、4thシングル『BE THERE』がそれぞれオリコンチャートトップ10入りを果たす。そして、5thシングル『太陽のKomachi Angel』で初のオリコンチャート1位を獲得し本格的にブレイクする。
1998年発売のベストアルバム『B'z The Best "Pleasure"』は日本国内の音楽史上で初めて売上枚数が500万枚を突破したほか、同年発売の『B'z The Best "Treasure"』との2作品合計で約1000万枚の売上枚数を記録。
1999年、前年に発売したベスト・アルバムのセールスなどにより『日本ゴールドディスク大賞』の「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」をはじめとする各賞、『ワールド・ミュージック・アワード』の「World Selling Japanese Artist of The Year」を受賞。
2007年デビュー20年目を迎えるに当たり、アジア圏のアーティストとしてはで初となる「Hollywood's RockWalk」の殿堂入りを果たす。
2008年、ギネス世界記録から「日本でもっともアルバムを売り上げたアーティスト」の認定を受ける。
2011年~2012年にはペプシコーラ「ペプシネックス」TVCMキャラクターに起用され、初のCM出演となった
2020年、コロナ渦における活動として歴代のライブ映像作品を公式YouTubeチャンネルにて期間限定で全編配信した『B'z LIVE-GYM -At Your Home』、5週間に渡り毎週、選曲・ステージセット・サポートメンバーを総入れ替えして『B'z SHOWCASE 2020 -5 ERAS 8820』を開催した。
2021年、メンバー各々のソロ楽曲を含めた全880曲を各サブスクリプション(「Spotify」など)サービスで解禁された。
また、自身主催のRock project「B'z presents UNITE #01」、テーマをアルバム『FRIENDS』シリーズに絞った「B'z presents LIVE FRIENDS」を開催するなど、デビュー30年を過ぎ、新しい試みも行われている。
2023年現在、お互いソロ活動を並行して行っているためグループとしてのライブがなかった年(2004年、2014年、2016年)もあるが、何らかの形で新曲は毎年世に発表され続けておりメンバーの体調不良等に伴う活動休止も現時点で一度もなく存続している。
メンバー
名前 | パート | 誕生日 | 血液型 | 出身地 | 英字表記 |
---|---|---|---|---|---|
松本孝弘 | ギター・作曲・編曲・プロデュース | 1961年3月27日 | O型 | 大阪府豊中市 | TAK MATSUMOTO |
稲葉浩志 | ボーカル・作詞・編曲 | 1964年9月23日 | AB型 | 岡山県津山市 | KOSHI INABA |
2人組になった経緯
当初、松本はバンドを結成する計画でメンバーを探しており、稲葉と出会った以降も他のパートメンバーを探していたが、納得できるメンバーに巡り会えず最終的には「僕が曲を書いて彼(稲葉)が詞を書いて、歌ってギター弾いて、それで十分音楽は創ることが出来るので、敢えて他のメンバーは入れなかった」としている。
一方、ライブ、レコーディングについて松本は「コンピューターだけではライブ、レコーディングの良さを出せるとは思ってないから、良いサポートミュージシャンを選びたい」と語っている。
ユニット名の由来
『B'z』というユニット名の由来は諸説色々あるがどれが本当なのかは定かではない(本人たち曰く「深い意味はない」)。下記にメンバー・関係者の媒体、書籍等でのインタビュー、コメントを記載する。
エースが2人、などの意味をこめて『A'z』(エーズ)としようとしたが、読みがしっくり来ない、当時社会問題となっていたエイズと発音が似ているなどの理由により、"A" の次の英文字の "B" に変更して『B'z』にした。
- ②企業のロゴのように意匠化しやすいイメージで「何か記号的、かっこいいものにしたかった」(3rdアルバム『BREAK THROUGH』のバンドスコアのコメント)
- ④「終わりにZをつけるのが最初に決まって、スタッフと考えた結果『B'z』になった」(1989年の会報インタビュー)
- ⑤「『B』から始まる名前は力強いバンドが多く、『B'zだと憶えやすそう』という意見があった」(2007年の会報インタビュー)
- ⑥「『ビートルズ(The Beatles)の"B"と、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の"Z"』(2012年のWOWOW番組「only two」での松本のインタビュー)
ライブ
ライブタイトルは一貫して『B'z LIVE-GYM』(公演によっては『B'z LIVE-GYM Pleasure』、『B'z SHOWCASE』、『B'z Presents』)となっている。
これまでに日本国内のライブハウス、ホール、アリーナ、ドーム、スタジアム等、日本国外までの様々な会場で開催。延べ公演数は1000回を越えている他、各種音楽イベントにも出演している。
『LIVE-GYM』という名称については、当時所属していたレコード会社『BMGビクター』がB'zのライブに相応しい呼び名を考えた中でライブは身体を動かす体育会系みたいなもの。それにより体育をする為の施設である体育館の英語スペル「gymnasium」から最初の3文字を取ってGYMになったとのこと。
メディアへの露出
年間を通じて「楽曲の制作」、「ライブ活動」をメインとした活動を行っているため、テレビ番組等メディアへの出演は少ない。現時点で最後のテレビ番組出演は音楽番組等での過去出演のVTR映像、WOWOW等でのライブ映像の放送を除くと2017年12月25日放送の『CDTVスペシャル!クリスマス音楽祭2017』となっている。『NHK紅白歌合戦』には一度も出場したことはない。
また、音楽以外の活動(タレント・俳優等)も消極的である。理由として「今はみんながマルチに多少多様に活動をする時代だから、色んなフィールドで活動されているけど、僕たちは音楽一筋勝負していきたい、それがユニット活動を長続きするための秘訣です」と語っている。
主な記録
- 邦楽アーティストシングル・アルバムトータルセールス第1位(約8262万枚)。
- 歴代ミリオンセラー獲得数シングル部門:第1位(15作)。
- 歴代シングル総売上枚数:第2位(約3596万枚)
- オリコンチャート首位獲得数シングル部門:第2位(49作)。
- 歴代ミリオンセラー獲得数アルバム部門:第1位(19作)。
- 歴代アルバム総売上枚数:第1位(約4687万枚)
- オリコンチャート首位獲得数アルバム部門:第1位(31作)。
楽曲
※B'zの楽曲一覧も参照
・太陽のKomachi_Angel(5th Single)
・もう一度キスしたかった(5th Album『IN THE LIFE』収録)
・ZERO(11th Single)
・いつかのメリークリスマス(4th Mini Album『FRIENDS』収録)
・愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない(12th Single)自身最大のヒット曲である。
・LOVEPHANTOM(18th Single)
・さまよえる蒼い弾丸(24th Single)
・HOME(B'z)(25th Single)
・ギリギリchop(26th Single)
・今夜月の見える丘に(27th Single)
・ultrasoul(31st Single)
・熱き鼓動の果て(33rd Single)
・愛のバクダン(38th Single)
・OCEAN(39th Single)
・イチブトゼンブ(46th Single)
・Don't_Wanna_Lie(49th Single)
・C'mon(18th Album『C'mon』収録)
・COMEBACK-愛しき破片-(22nd Album『Highway X』収録)
・SLEEPLESS(同上)