日光見ずは結構と
いふなといひし諺も
おもひしらるゝ宮の樣
花か紅葉か金襴か
―― 鉄道唱歌(奥州・磐城篇)十二番より
概要
地名の由来は「補陀落」⇒「二荒山」⇒「にこう」⇒「日光」とされている。
もともと男体山を始めとした修験者たちによる「日光連山」信仰は存在していたのだが、
江戸時代初期に「徳川家康」の墓所となる「日光東照宮」が置かれた事により、「権現様」信仰が始まり、全国から物見遊散も兼ねての参拝客が訪れ、日本屈指の観光地となった。そして、この時期に「日光街道」や「日光例幣使街道」、「日光杉並木」などが整備された。
また、明治時代になると、日光東照宮の他、「中禅寺湖」や「華厳の滝」、「日光湯元温泉」などの「景勝地」を外国人が多数訪れるようになり、日本のみならず、海外でも有数な「国際観光地」となっていった。
そしてこの時期に日本駐在大使館や領事館の別荘が多数建てられたため、数々の著名な建築家たちの洋風建造物が多く存在する。
そして2006年に、今市市、足尾町、藤原町、栗山村が併合され、現在の「日光市」となった。
その面積は栃木県一、関東地方一、そして日本全国でも三番目の広さとなった。
また、これにより、鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉、足尾銅山などが「日光の観光地」となり、
今市市などの日光市周辺に存在していた「日光江戸村」などの「なんちゃって日光観光施設」も、正式に「日光市」となった。
大半の地域は鹿沼市と同じ旧・上都賀郡に属していたが、一部、旧・河内郡(宇都宮市などと同じ)や旧・塩谷郡(矢板市やさくら市などと同じ)だった地域を含む。
山間部は冬季は雪が積もり、関東の中でも寒さが厳しい地域となる。
鉄道は、JR東日本の「日光線」、東武鉄道の「東武日光線」「東武鬼怒川線」、野岩鉄道、わたらせ渓谷鐵道の「わたらせ渓谷線」。
有料道路として「日光宇都宮道路」がある。
また、自然の冷気で凍らせた「天然氷」も名物である、
旧・日光市
世界遺産として登録された「日光の社寺」:「日光東照宮」、「日光二荒山神社」、「日光山輪王寺」を中心として、多数の寺社仏閣や景勝地、建築物、温泉が存在する。
「いろは坂」を登った先の「中禅寺湖」や「華厳の滝」、そして「戦場ヶ原」や「男体山」の景勝地。
「霧降高原」や「霧降の滝」、「日光アイスバックス:H.C. TOCHIGI」のホームである「日光霧降アイスアリーナ」がある「霧降地区」。
など、とにかく見所たくさんである。
今市地区
日光市の南部にあった、元・今市市。
「日光杉並木」はこのエリアにある。
「日光ワンニャン村」もこのエリアにある。
あとこの方の出身地、というか住んでるエリアがこちらである模様です。
大沢地区、豊岡地区など一部の地域は旧・河内郡だった。
鬼怒川地区
旧・藤原町。
「鬼怒川温泉」は藤原町に存在していた。
また、「日光江戸村」、「日光猿軍団」(現・日光さる軍団)などの「なんちゃって日光観光施設」や、「東武ワールドスクウェア」、「鬼怒川花いちもんめ」「とりっくあーとぴあ日光」などのレジャー施設。
そして「鬼怒川秘宝殿」があったのもこちら。
あと「五十里湖」がある「三依地区」が近くにある。
旧・塩谷郡に属する地域だったものの合併前から今市地区との結び付きが強かった。
栗山地区
旧・栗山村。
栃木県で最後まで「村」だった場所。
旧・藤原町と同様に合併前は旧・塩谷郡だった。
足尾地区
旧・足尾町。
「足尾銅山」から端を発した「足尾鉱毒事件」が起こり、「田中正造」がその活動をした。
鉄道で日光地区や今市地区などに行けない代わりに桐生市方面に行けるため、群馬県との結び付きが比較的強い地域でもある。