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五虎大将軍の編集履歴

2024-01-25 04:02:51 バージョン

五虎大将軍

ごこだいしょうぐん

五虎大将軍とは、蜀漢の五人の勇将、及び水滸伝において梁山泊の軍人の最高の位である称号。五虎大将(ごこたいしょう)、五虎将軍(ごこしょうぐん)、五虎将(ごこしょう)などと略される場合もある。

三国志演義

  1. 関羽…前将軍。三兄弟の次兄。劉備と並ぶ指導者であり、荊州に駐屯した。
  2. 張飛…三兄弟の末弟。最終官位は車騎将軍・司隷校尉。
  3. 趙雲…槍の達人として知られる古参の将。最終官位は中護軍・鎮軍将軍。
  4. 馬超…涼州の雄。最終官位は5人の中で最も高く、驃騎将軍・涼州刺史。
  5. 黄忠…後将軍。老将として有名。益州平定の功労者。

いずれも蜀漢の皇帝劉備に仕え、その軍事力の中枢を担った。

なぜこの五人かというと、正史「三国志」ではこの五人の伝が『蜀書第6巻 関張馬黄趙伝』として、1巻にまとめて記述されているからだとされている。

史実においては劉備が漢中王に即位した時点では関羽・張飛・馬超・黄忠がそれぞれ前後左右の将軍に就任しているのに対し、趙雲は当時まだ雑号将軍であり、他4人と比べて大幅に地位が低かった。

また、蜀漢が誕生した時でも馬超・張飛はおろか魏延呉懿李厳よりも地位は低かった。


ただし、趙雲は法正諸葛亮蒋琬費禕陳祗夏侯覇・関羽・張飛・馬超・龐統・黄忠に次いで諡号を追贈される栄誉に浴していることから、かなりの名声を持っていたとも考えられる。


また張飛・趙雲・馬超・黄忠らは劉備の元にいたのに対し、関羽だけは荊州に残っていたので5人が勢揃いしたことは1度も無い。


ちなみに蜀のライバル・魏において張遼楽進于禁張郃徐晃が「魏の五将軍(魏国五大将)」と称された。この五人も『魏書第17巻 張楽于張徐伝』として、1巻にまとめて記述されている。


については五虎将軍の記述がないが正史には程普黄蓋韓当蔣欽周泰陳武董襲甘寧凌統徐盛潘璋丁奉の12人の将軍が記載されている。なお太史慈がここにいないのは呉の臣下ではなく群雄の一人として扱われているからである。

   

水滸伝

筆頭・大刀 関勝

  豹子頭 林冲

  霹靂火 秦明

  双鞭 呼延灼

  双鎗将 董平

梁山泊の軍において総頭領と軍師に次ぐ最高役職である。


隋唐演義

隋唐演義(厳密には隋唐演義を基にした二次創作)では李密配下の五人の将軍が五虎大将軍と呼ばれている。

筆頭・秦叔宝

単雄信

王伯當

程知節

羅士信

李密は史実並びに作中で魏という国を建国するため、魏国五虎大将軍というこれがやりたかっただけだろな呼称となる。

ただし、史実ではこの五人が五虎大将軍と呼ばれた事は無い。


関連タグ

中国史 三国時代() 水滸伝隋唐演義

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