かくて神風は吹く
かくてかみかぜはふく
映画の封切は昭和19年11月。製作は大映。
時節柄、元をかの国に喩えて最早神風にでも縋るしかない…という状況で国民の一致団結を促す戦意高揚映画の性格が強いが、戦前、戦中期の鎌倉時代を舞台にした考証等、映像資料としても価値が高い作品。
また、円谷英二が特撮を担当した元船のシーンはともすれば実写化と見粉う迫力がある。
この時期の日本が元寇をどのように捉えていたか、題材とした作品も少ない中でプロパガンダ映画という括りを考えても一つの歴史作品として本作は欠かすことはできない。
実際に映画の公開時にはフィリピンの戦いが始まってレイテ沖海戦が起き昭和の神風が吹いていたが、元寇の際とは異なり戦局が好転することはなかった。
企画:情報局
後援:陸軍省、海軍省、軍事保護院
配役
監督:丸根賛太郎
あらすじ
外蒙古より興り、朝鮮や中国を席巻し、ヨーロッパにまで勢力を伸ばし世界を戦慄させた元。クビライの下にその野望は留まる所を知らず文永11年に日本へ来襲、対馬、隠岐の住民を虐殺し博多へ来襲したが鎌倉武士の奮戦により撃退された。
しかし、クビライは未だ日本征服の野望を捨てず高麗に命じて軍船を作らせ、再び大軍をもって日本へ押し寄せようとしていた。
一方、日本では鎌倉幕府の執権である北条時宗の下に鎌倉武士が結束、元来襲への備えを固めつつあった。
河野家も長年の犬猿の仲であった水軍の惣那家と和睦し、手を携えて元軍に立ち向かうことになる。
博多へ至った元の使者は「日本は帰順の意を表すれば良し、さもなくば軍勢を以て滅ぼす」と威圧し、これに怒った時宗は使者を殺害する。
そして弘安4年、ついに15万の元の軍勢が襲来、合戦の火蓋が切って下ろされる……
映画公開の翌年、1945(昭和20)年1月にニッチクレコード(日本コロムビア)から発売された。
曲名は映画と同じ「かくて神風は吹く」
作詞:高橋掬太郎
作曲:竹岡信幸
「…何の討ち死に 死んでも護れ…」といった歌詞や曲調から末期感が随所から漂う。
レコードを発売したニッチクは戦局の悪化から2ヶ月後の1945年3月には工場が軍需工場に指定され、生産活動の停止に追い込まれた。