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ひなしおん

ひなしおん

ひなしおんとは、東方Projectに登場する鍵山雛と依神紫苑の二人による二次創作カップリングである。
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概要

東方Projectに登場する鍵山雛依神紫苑のカップリング。
雛は『東方風神録』、紫苑は『東方憑依華』にそれぞれ初登場した。

『憑依華』時点では両者が出会っている様子は見られておらず、その関係性は主に二次創作で様々に想像されるものとなっている。

厄神様と貧乏神

雛と紫苑は両者の存在性について、それぞれの理由によって他者から忌避される側面を持つ。

雛は人々の間で生まれる「厄」を自らに集めて神々に渡す「厄神様」という存在(『風神録』)で、稗田阿求によれば「 疫病神 」とも、個別の信仰を集める(求める)存在ではないことから「 普通の神様ではなく、妖怪の一部 」ともされる(『東方求聞口授』、下記注1)。
人々の間で生まれる厄、厄払いで祓われた厄は雛の元へいき、雛はその厄を自らに溜めていく。
雛によれば、雛は「 人間の厄を受けて神々に渡している 」(『風神録』)。
そして自らが引き受けた厄が再び人間たちの間に巡ることが無いよう、これを見張る。
有り難い存在であるが、一方で雛については話題に出すだけで厄が降りかかるなど禁忌があり、雛にまつわる「 タブー 」を犯すと「 如何なる人間や妖怪でも不幸に会う 」(『風神録』)。タブーのいくつかは阿求も注意喚起を行っており、それを犯した場合に降りかかる不運の可能性の具体例についても記述している(『求聞口授』)。

紫苑は自身を含むあらゆる存在を不幸にする「貧乏神」であり、その性質から、「 誰からも嫌われる 」(『憑依華』)存在である。紫苑の性質は完全憑依異変や同異変中の弾幕ごっこでも生かされており、妹の依神女苑(疫病神)とコンビを組んで相手の運気を奪い取って敗北をもたらす「 完全憑依の罠 」を実現した(『憑依華』)。
紫苑は奪い取った運気を「 不運 」に変換し、自身の中に溜めこんでいく。
溜め込んだものは「 定期的に爆発 」し、放出的に振り撒く。
紫苑のメンタリティと連動している様子も見られ、『憑依華』では強い怒りや屈辱の念などをキーに博麗霊夢もおののくほどの強烈な「 負のオーラ 」を放出した。

雛も紫苑も共に「 」の力に深く関わる存在であり、またそれを活力・原動力にしている点も共通している。

なお、先の阿求が記述する雛のタブーを破った結果降りかかる不運の想定の一つには「 破産 」という貧乏神が直接的にもたらす財と富に関連した不運もまたある。

※注1
ただし『東方外來韋編』では「厄」もまた「 ひとつの信仰の姿 」といえるのだろうともされており、雛が厄を集める神格として祀られるに足る存在でもある可能性も示唆されている。
先述のように阿求によれば雛は「 神様 」でもあるが妖怪の一部でもあり、信仰を集めることに敏感である東風谷早苗も雛について(神とは言うけれども)「 妖怪とどう違うんです? 」と、信仰を集めない特殊性から雛について語られる「」という存在性の定義に率直な疑問を抱いている。

「厄」と「不運」

東方Projectにおける「厄」とは、阿求によれば「 人間を不幸にする思念体 」、「 不運の幽霊 」である。雛の集める「 」と紫苑が変換して溜め込む「 不運 」はこの解釈の元では共通する思念体・幽霊としての概念ないしは実態であり、その力とするものもまた共通している様子をみることができる。
紫苑が弾幕ごっこにおいて振り撒く様々な漢字弾幕の一つにも「 」の文字による弾もある(『憑依華』)。

ただし雛が「人間の間で生まれた、すでに厄となっているもの」を集めてそれを神々に引き渡すのに対して、紫苑は「不運という形態でない運気」を他者から奪い取る形で得ていることや、さらにそれを自分の中で「不運に変換してしまう」という点に違いがある。

また雛にはその厄を集める過程の「厄」を理由として雛自身に不幸が襲うことはないが、紫苑はその貧乏神としての性質なのか性格なのか両方なのか、貧乏のままである。
雛は自身の厄を集める行いについて「人間のため」との自負もあり、「 えんがちょの向こう側 」で自らが行うプロセスを受け入れているが、紫苑は「 好きで貧乏している訳じゃない 」とし、貧乏から脱しようと女苑の企みに乗じたりもしている点も異なるそれぞれ雛、『風神録』、紫苑、『憑依華』)。

加えて厄や不運を「溜め込む」という点も共通する。
溜め込んだものを放出するという点も共通するが、先述のように雛は受け取った厄を神々に渡す存在というサイクルがある一方で紫苑にはそういった他者関係はなく、溜め込んだものが溢れて時折暴発することがあるといった違いもまたある。

さらには雛のタブーに触れてしまった際には「 えんがちょ 」を切ることやお祓いを受けるなどで対処できるが、少なくとも『憑依華』での紫苑の強制完全憑依についてはその基礎にある都市伝説異変の強力な性質も相まって、その攻略に八雲紫聖白蓮豊聡耳神子二ッ岩マミゾウなど名だたる知恵者たちも光明を得られなかったことから、「えんがちょ」で対処できるものではない様子である。

他者関係

雛と紫苑は他者に対する友好性という点でも共通点と違いがある。

雛は人間に対して友好的である。
厄の回収も自身の力となることもあるが、人間が不幸にならないためでもある。
阿求によれば、雛には「 悪意はまるでない 」。雛個人の性格について阿求の得た情報によれば、その性格は「 明るくて人懐っこい 」(『求聞口授』)ともされている。
『風神録』では妖怪の山という人間にとって不帰の路となりかねない場所に立ち入ろうとした人間を親切心から追い返そうとした。先述のような自身のタブーもあって人間からは積極的にも消極的にも接触ができないことに対してそれを利用して人間のもとにわざと出向いて厄を生み出そうということもせず、光の届かない妖怪の山の樹海(「 妖怪の樹海 」)などで静かに厄を集め続けている。
時には雛人形の新しいムーブメントで人間の里に溜まり続ける厄がより流されやすくする仕組みを考える(『求聞口授』)など、厄の回収に積極的である。
性格的には人に開かれているが、自分からは出会えないジレンマを抱えた存在と言えるだろう。

紫苑は人間や他者、あるいは物事の全般に対して消極的である。
『憑依華』では「 卑屈で暗い 」、「 無気力 」とも。
同作では女苑に憑りつく形で完全憑依を成しているが、紫苑が自らの意思でマスターとして前線に立つことはなく、弾幕ごっこのメインに立つのは常にアグレッシブな女苑である。
一方で『憑依華』作中では女苑と一緒になって相手を煽ったり、日常の場面では自身の貧乏神としての性質をジョークに織り込んだり相手からの言葉に意味を重ねて返して笑いを誘ったりもするなど、ノリのいい、明るい一面もまたある。また女苑と紫苑の完全憑依の絶対的な優位性は相手コンビに対する紫苑の憑依(運気の奪取)もあってこそのもので、女苑との人間関係は密接にある。
紫苑の側は他者に開く積極性はないが、他者を必要とし、しかし貧乏神の性質もあって他者からは嫌われる負のサイクルを負った存在とも言えるだろう。

厄や不運を受け止めるパッシブな能力を持つ存在にしてそれを応用するアクティブな一面も持つが、その取り扱い方については雛が広く人間たちに不幸をもたらす「厄」の回収と管理という他者の為という点に主眼を置くのに対し、『憑依華』での紫苑は自らの貧乏脱出のためという自分自身の状況改善に視点を置くことなどにも違いがある。

他者から見た雛や紫苑については主に先述のようなそれぞれの厄神様・貧乏神としての性質を通して語られており、例えば両者いずれにも面識を持った霧雨魔理沙は、厄神の雛について「 えんがちょだな 」、貧乏神の紫苑について「 近寄りたくねー 」・「 逃げろー 」といずれも忌避の念を抱いている(それぞれ『風神録』、『憑依華』)。

他方でこの魔理沙との初対面時にみる雛や紫苑側からの接触の仕方はそれぞれ違うもので、雛は先述のように妖怪の山に立ち入ろうとする魔理沙を追い返す善意であり、紫苑は自身の目的を遮ろうとする魔理沙に完全憑依の力を見せつけるように女苑と共に(あるいは女苑をたきつけるように)戦いを挑んでいるなど対峙の根本にある目的や想いも異なっている。この魔理沙との出会い通しても、先述のようなそれぞれの他者に対する相対し方の違いの一端を見ることが出来る。

「幸運」の女神たち

上記のような雛と紫苑の両者がそれぞれ背負うネガティブな要素は、しかしその一方でポジティブな面も併せ持つ。

阿求によれば「厄」の正体である「不運」は、「 幸運 」と性質をほぼ同じくする。
いずれも「運気の偏り」というだけで、いわばウェイトの振り幅の度合い、といったものである。

雛には「厄」(「 不運の幽霊 」)という形であるが、「運気」そのものが自ずから集まってくる。自らが必要とする、臨む性質の「運気」が「幸運にも集まってくる」といえる雛の性質について阿求は「不運を溜め込んだ雛」という存在について「 ある意味幸運の持ち主 」とも評している(『求聞口授』)。
他者にとっても先述のように厄という不運を請け負い、取り除くという雛は実際には有り難く、裏方としては不可欠な存在・神格と言えるだろう。

紫苑にみる「貧乏神」とは、相手の運気を落して結果財産を失わせる(「 借金 」に変換する)ものであるが、これは「 財禍 」を回避するというものでもある(『憑依華』)。
「財禍」とは、財や富を通した不幸を指すか。
これについては、妹の女苑との関わりで例えるとわかりやすいだろう。
女苑は雛とはまた異なる「疫病神」であり、人々から財産を文字通り根こそぎ巻き上げて結果人生を持ち崩させる存在という、イメージとしても典型的な「疫病神」である。
財や富を持つと女苑に目をつけられる(財禍)。
もし財も富も無ければ、女苑のターゲットにはならない。
一方で紫苑は女苑が奪い取る財や富をそもそも失わせる存在である。
故に紫苑は女苑がもたらす「財禍」から守る、守り神である、といった文脈である。

二人はそれぞれ視点の置き所で評価が真逆ともいえるほどに極端に変わる点も共通しており、先述のようなネガティブな側面ではなく雛は他者から厄を貰い受ける厄の受け止め先としての存在、紫苑は富の保有による財禍を取り除く存在というポジティブな側面もまたもつ。

八坂神奈子によれば、神々は語られる神話に合わせて性質を付加することが出来る(『求聞口授』)こともあり、雛も紫苑も単に解釈の仕方というばかりではなくこういった視点を通した「幸運の神々」としての性質も帯びる可能性にも開かれている。

ただし雛のかなり敷居の低い(やってしまいがちな)タブーとそれによってもたらされる回避不能で重大な不運や、結局のところ財産をすっかり失うことには変わりのない貧乏神としての紫苑の性質は通常は到底受け入れられないものであることは今のところ避けがたい。

その他の関連

先述の、雛が流通させているあえて簡素なものにしている自作の雛人形についてはこれと対比した豪華な雛人形がなぜ生まれたのかという点について雛は「 貧乏 」との関わりを指摘している。雛によれば本来使い捨てである雛人形が流されなくなったのは人間の「勿体ない」の精神によるもので、その心理の元では雛人形は流されなくなっただけでなく年月を経ても朽ち傷まないよう徐々に頑強なものにもされていった。こうして雛人形の風習は変わってしまったが、これには「 貧乏 」が関連している、としている(花果子念報記事、『求聞口授』)。
紫苑はまさに「貧乏神」であるが、雛もまた人々の間の生活に密接に根付く財と富などと無縁ではない

服装の面では、二人はいずれも後頭部に大きめのリボンを結んでいることや、半袖であることなどが共通している。
弾幕ごっこでは雛本人はくるくる回り(自転)、紫苑は勝利ポーズの一つでは女苑の周りを紙吹雪も撒きながらくるくる回る(公転)。

この他メタ的な視点も含むものであるが、ZUNは雛について「 設定的に不遇 」ともしており、水橋パルスィメディスン・メランコリーたちとならんで独特な困難さがあるとしている。メタ視点にまで視野を広げると、雛にもまた固有の「不運」があるといえるだろう(『外來韋編』参、メディスン紹介項)。

二次創作では

二次創作では先述のような両者の神格や性質の在り方や二人の性格の違いなど様々な観点から「ひなしおん」が想像されている。

紫苑が人間の里などで財産を失わせて大量の厄を生み出し、それを雛が川下で受けて力にするといった人間や妖怪たちの犠牲のもとの相互利益の姿や、紫苑が変換して溜め込んだ積年の不運を雛がごっそり回収して紫苑の厄も落ちつつ雛の力はより増すといった互いの性質がかみ合った相互発展の想像もある。
紫苑は貧乏を嫌うが清貧を必ずしも忌避するものではない(『憑依華』)ため、人間の里には赴かない雛の生活とも相性が良いのではと想像するものもある。

それぞれのパーソナリティの見出し方の一つである積極的で人懐っこく明るい雛と消極的で不器用な紫苑という観点を通した二人の関係なども相性の良い対比といえるだろう。

また雛があえて簡素にした雛人形を自作して流通させている点と、紫苑が胸に抱く猫らしきぬいぐるみ・人形という点から小物を通した「可愛いもの好き」といった様子や、紫苑についてはぬいぐるみ等の自作あるいは修繕などの想像ともあわせて、それぞれ手芸や工作に興味が開いている間柄と見るなど、本人たちの周辺を通したありかたもまたある。

さらに二人だけでなく女苑の存在が関係することもあり、疫病神としての性質も持ちながらも女苑とはまた異なる性質、メンタリティをもつ雛を紫苑がどのように感じるかといった想像や、あるいは自分達の負の力のアドバンテージのすべてを自身の力に変換する雛の前に二人仲良く膝も心も折るといった想像もある。
賢者達や実力者達を見事に翻弄した「 最凶最悪 」の神々の猛威さえ、川面に回る雛人形の神様の前には成す術もないとなれば、幻想郷のパワーバランスのなんと恐ろしく、そして抑止力の絶妙なことだろうか。
ZUNは雛のベースである「流し雛」についてエピソードを広げるにあたってのバックボーンの巨大さも語っており(『外來韋編』)、「雛の神話」もまだまだ奥深いものである可能性がある。

雛側からの人間関係としては、二次創作では雛と共に描かれることの多い河城にとりが『憑依華』に登場しており、ストーリー中では紫苑と直接の接触はないものの自由対戦モードでは女苑がにとりの商売の仕方を把握している様子も語られているなど接点の可能性もまた語られている。
にとりもまた先述の魔理沙や霊夢と並んで両者いずれにも共通する人間関係である可能性もまた開かれている。

様々な「負」の側面をその身に宿し、溜め込む二人がどのような出会いを果たし、どのような交流を重ねていくのか、二人ならではの紆余曲折の様も含めて二次創作でも多様に想像されている。

関連イラスト

雛と紫苑で厄力発電



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