概要
カンポ・ヒロ・ピストル、モーゼルC96をフル・オート化したコピー品、ストレート・ブローバックで9mmラルゴ弾を使用するM400など、個性的な銃器を開発したが、1998年に倒産した。
略歴
1908年、ファン・ペドロ・ウンセタ・バレネチア・チェンドヤ(1854~1934)とファン・エスペランサ・サルバドール(1860~1951)により、バスク地方(スペイン)の都市エイバルで機械製造会社としてウンセタ・イ・エスペランサ社が設立された。
1911年、イシドロ・ガスタニャガ=ガスタニャガ・イ・エスペランサ社と合併。ブローニングM1903を基にしたビクトリア・ピストルを開発するが、後にガビロンド・イ・ウレスティ社(のちのガビロンド・イ・シアSA社)がコピーしてルビー・ピストルとして販売、フランスで大量に注文を得る。
1912年、カンポ・ヒロ伯爵の設計した自動拳銃がモデロ1912ピストル(カンポ・ヒロ・ピストル)としてスペイン陸軍に制式採用される。
1913年、ウンセタ・イ・エスペランサ社が、カンポ・ヒロ・ピストルの製造を始める。
1914年、第一次世界大戦が勃発。ウンセタ・イ・エスペランサ社で改良したカンポ・ヒロ・ピストルが、モデロ1913としてスペイン陸軍に制式採用される。自社製品のコピー品であるルビー・ピストルの製造も請け負う。ゲルニカの新工場に移転。
1916年、モデロ1913の改良型がモデロ1913-16としてスペイン陸軍に制式採用された。
1921年、スペイン陸軍のトライアルを経てウンセタ・イ・エスペランサ社のアストラM400がモデロ1921として制式採用された。
1923年、スペイン海軍、空軍の将校用にアストラM300が採用された。
1926年、エスペランサが会社を去り、社名をウンセタ・イ・コンパニアに変更。
1927年、中華民国向けにモーゼルC96をコピーしたアストラM900を製造。本家モーゼルより先にフル・オートマチック撃発可能なM901も開発された。
1936年、スペイン内戦が始まる。ウンセタ・イ・コンパニア社は人民戦線政府側に立つが、社長のルフィーノ・ウンセタ・バレネチア・イバルザバル(1885~1976)はバスク政府と対立し会社を去る。
1937年、ドイツ義勇軍航空部隊コンドル軍団によるゲルニカ爆撃後、フランコ派によりゲルニカ市が占領される。ルフィーノが社長に復帰し、ウンセタ・イ・コンパニア社の生産はフランコ派とナチス・ドイツ向けとなる。
1939年、第二次世界大戦が勃発。
1944年、アストラM400を9mmパラベラム弾仕様としたアストラM600がナチス・ドイツ向けに製造される。翌年の敗戦後も契約期間が残っていたため1951年までドイツ連邦共和国が購入。
1946年、経営多角化のため産業機械の製造を始める。
1953年、社名を「アストラ・ウンセタ・イ・シア」に変更。コルト社、S&W社などのリボルバーのレプリカの製造を始める。
1975年、フランシスコ・フランコ総統が死去。ファン・カルロス1世が即位する。
1977年、社長のアウグスト・ウンセタ・バレネチア(1923~1977)がETA(バスク祖国と自由)に暗殺される。
1998年、破産したスター社(スター・ボニファシオ・エケベリアSA)と合併し、ASTAR社となるが同年末に倒産。
2008年、マッシモ・ガルバリノ(イタリア)がアストラ・アームズSAを設立。アストラ社の商標を獲得する。現在はM1911やAR-15などを製造している。