リャマ
りゃま
スペインの銃器製造会社「ガビロンド・イ・シアSA」のブランド。
沿革
1904年、ガビロンド・イ・ウレスティ社としてバスク地方のエイバル(スペイン)に設立された。当初はナガンやコルトなどのコピーを自社ブランドで製造し、他社の部品の製造も請け負っていた。
1914年、「ブローニングM1903」をコピーしたウンセタ・イ・エスペランサ社(後のアストラ・ウンセタ・イ・シア社)の「ビクトリア・ピストル」を更にコピーした「ルビー・ピストル」を発売。
1915年、第一次世界大戦で銃器が不足していたフランスで「ルビー・ピストル」を大量に販売。製造が追いつかないため、パクり先のウンセタ・イ・エスペランサ社を始め、スペインの4社が製造を請け負った。ガビロンド・イ・ウレスティ社製「ルビー・ピストル」は優良だったが、他社の製造したものは劣悪で、フランス軍から弾倉底部に自社のマークをつけるよう求められた。
1919年、「ブローニング1910」からブローニングの特許がある部品をスペイン製に置き替えた「バッファロー・ピストル」を発売。
1925年、「バッファロー・ピストル」の.25ACP弾使用モデルの「ダントン・ピストル」を発売。軍用モデルのつもりだったが採用されず、個人や警察の武器としてアメリカで大ヒットした。
1928年、「ルビー・ピストル」を改良し22発ダブルカラム・マガジンとした「ルビー・プラス・ウルトラ」を発売。アジア市場で大人気となった。
1932年、悪評高い「ルビー・ピストル」と決別すべく、ブランド名として「リャマ」が登録された。
1933年、「リャマ」ブランドの拳銃の販売を開始。「コルトM1911」のコピーだが、様々な弾薬に対応したタイプを揃えていた。
1970年代後半、スペイン軍の拳銃近代化に応えて「Omni」シリーズを提案。プロップアップ式ショートリコイルを採用するダブルアクションの拳銃で、9mmパラベラム弾15発ダブルカラム・マガジンを使用するものだったが、コスト高のため採用されなかった。
1987年、「Omni」の改良型がスペイン軍に「モデロ82ダブルアクション」として採用された。
1990年代初頭、東アジアの経済危機で不良債権を抱えたスペイン銀行は国内での融資を制限し、ガビロンド・イ・シアSA社は資金繰りが困難になる。
1992年、ガビロンド・イ・シアSA社が破産。
1993年、従業員60人がファブリノール協同組合を結成し、ブランド名と装備品を買い取った。
2000年、譲渡が完了。ファブリノール協同組合は工場をレグティアーノに移転し、資産の売却や事業多角化を試みたが、売り上げは振るわなかった。
2005年、臨時株主総会で再編計画が却下され、リャマのブランドは終焉を迎えた。