エリモダンディー
えりもだんでぃー
1994年にえりも町で生まれる。この年にはブライアンズタイム初年度産駒のナリタブライアンがクラシックで大暴れしており、ブライアンズタイムを配合したエリモフローレンスの仔にも期待がかかっていた。しかし競走馬としては遅い5月に生まれたこともあってか、入厩した時点でも装鞍しても400kgに満たず関係者を驚かせた。
小柄ゆえか、牧場でも他の馬によくちょっかいをかけられ、世話をしてくれる厩務員を始めとする人間によく懐いていた。
競走年齢を迎え、栗東の大久保厩舎に入厩。ここでも他の馬によくちょっかいをかけられていたが、シルクジャスティスはエリモダンディーがいじめられているところへ駆けつけては「弱い者いじめしてんじゃねぇ! 俺が相手だ!」とばかりに怒り散らして他の馬を追い払っていたという。
その名に恥じぬ正義感を持っていたのか、単に自分が一番強いとアピールしたかったのかは分からないが、ダンディーはジャスティスを慕って着いて歩くようになり、ジャスティスも満更でもなかった様子。
1996年6月、札幌開催新馬戦(芝1,000m)でデビューし1着。翌月のラベンダー賞、12月のエリカ賞に挑戦するもどちらも掲示板外に終わる。
97年シーズンは1月の京都・福寿草特別より始動。ここで1着するとおよそ2週間後の若駒ステークスに出走しここでも勝利。3連勝のかかった共同通信杯4歳ステークスに挑むが、ギリギリ掲示板内の5着に敗れる。3月のすみれステークスでは2着に浮上するも、4月の皐月賞では掲示板外。日本ダービーでは掲示板内に入るも4着と白星には届かない結果が続いた。
11月の京阪杯では鞍上に武豊を迎え、ここで重賞初勝利を挙げた。
98年シーズンは京都金杯よりスタートし2着。続く日経新春杯で勝ちをつかんだが、左第一指骨の骨折が判明し、療養入りした。順調に治癒すればレースに復帰できるはずだったが、エリモダンディーは元々内蔵に持病があり、1998年2月8日に腸捻転でこの世を去った。
弟分と今生の別れを経験したシルクジャスティスはその年の阪神大賞典でメジロブライト相手に2着になるも、その後精彩を欠くレースが続き1度も勝利することのないまま引退した。
シルクジャスティスは種牡馬として活動後、2019年にエリモダンディーと同じところへ旅立っていった。
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『VERNAL』
1997年クラシック世代を中心に展開するお話です。 拙筆ながら自己満足にゆっくり進めていこうと思いますので、何卒よろしくお願いします。 作中でもルビは振りましたが、作中トレーナーの読みは 薄野(すすきの)と東(あずま)です。11,540文字pixiv小説作品