概要
デヴィッド・キース・リンチ/David Keith Lynch(1946年1月20日~2025年1月16日)
1作を除くすべての作品に奇形、暴力、幻想、エロといった要素が取り入れられ、《カルト映画の帝王》の異名を持つ。
来歴
1946年、1月20日にアメリカ合衆国モンタナ州に生まれる。父は農務省研究員で、転居を繰り返す。
1964年、画家を目指してコーコラン芸術デザイン学校、ボストン美術館付属美術学校に通うが触発されるものが無かったため1年で中退。ボストン美術館付属美術学校時代のルームメイトのピーター・ウォルター・ブランクフィールドは、後にJ・ガイルズ・バンドのボーカルのピーター・ウォルフ(ピーター・ウルフ)としてデビュー。
1965年、オスカー・ココシュカの学校で修行しようと思い、友人のジャック・フィスクとザルツブルク(オーストリア)に渡るが空きがなく、2週間後に帰国し、ペンシルベニア美術アカデミーに入学。
1967年、ペンシルベニア美術アカデミーで知り合った妻ペギーと結婚。フィラデルフィア(ペンシルベニア州)のフェアモント地区で自宅を購入するが治安が悪く2度も強盗に押し込まれた。初の短編映画『Six Men Getting Sick (Six Times)』を制作。
1968年、アニメーションと実写を合わせた短編映画『THE ALPHABET』を作り、アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)の奨学金を得てロサンゼルス(カリフォルニア州)に移る。
1971年、AFIコンサバトリーに入学。『イレイザーヘッド』の自主制作を開始。
1974年、妻ペギーと離婚。
1976年、自主制作映画『イレイザーヘッド』で長編映画デビュー。深夜興行でカルト的人気を博す。
1977年、妻メアリー(ジャック・フィスクの妹)と結婚。
1980年、長編2作目の『エレファントマン』がアカデミー賞にノミネート。
1984年、『デューン/砂の惑星』が公開。ファイナル・カットの権利を有していなかったため、配給会社が勝手に大幅カットし、興行・内容ともに失敗作とされた。
1986年、『ブルー・ベルベット』が公開。ファイナル・カットの権利を手に入れ、思い通りに制作することができた。
1987年、妻メアリーと離婚。
1989年、マーク・フロストと共同製作したABC系列のテレビドラマ『ツイン・ピークス』が大ヒットとなる。
1990年、『ワイルド・アット・ハート』でカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞。
2006年、妻スウィーニーと結婚するが1ヶ月で離婚。
2009年、妻エミリーと結婚。
2023年、妻エミリーと離婚。肺気腫になっている事を公表。
2025年、1月16日に死去した事が家族により発表された。
作風
観る者を不安にさせるような奇形と幻想。整合性を無視した奇想天外な内容。その独特な世界観はリンチ・ワールドとも呼ばれ、好き嫌いはハッキリと分かれる。
例外的に1999年の『ストレイト・ストーリー』は純朴な人間ドラマをつむぐロードムービーである。
作品
映画
『イレイザーヘッド』1976年
『エレファントマン』1980年
『デューン/砂の惑星』1984年
『ブルーベルベット』1986年
『ワイルド・アット・ハート』1990年
『ツイン・ピークス - ローラ・パーマー最期の7日間』1992年
『ロスト・ハイウェイ』1997年
『ストレイト・ストーリー』1999年
『マルホランド・ドライブ』2001年
『インランド・エンパイア』2006年
その他
『ツイン・ピークス』1990-1991年 - テレビドラマ
『オン・ジ・エアー』1991年 - テレビドラマ
『キング・オブ・アド』1991年 - オムニバスのCM集
「プレイステーション2」 - CM
関連タグ
外部リンク
DAVIDLYNCH.COM - 公式サイト(英語)