ヒバゴン
ひばごん
1970年代(1970年~1974年)、広島県の比婆郡西城町油木、比婆郡比和町、庄原市(現在は市町村合併で全域が庄原市となっている)の中国山地にある比婆山連峰で目撃された類人猿型未確認動物。名前の由来は比婆山。
目撃情報によれば、背丈は1.5m程度と小柄の大人ぐらいあり、ずんぐりむっくりしている。二足歩行が可能で体中が濃い茶色の毛で覆われており、尻の左半分の毛が白がかり、“タコ”と呼ばれる猿の様な尻の毛が生えてない部分が無かったとされる。目撃された個体は片足を引きずっていたのが共通しており、恐らく同一の個体だったと思われる。
また、顔は逆三角形をしており、目はギョロ目で大きく吊り上がり、体重は体格から推定85kg、足のサイズは27cm程度で、歩くときに鳴き声らしき音を発することがあるという。
未知の生物以外には、年老いた大柄なニホンザル、密輸入されたゴリラやオランウータンなどの類人猿、ツキノワグマの誤認、民俗学で山人と呼ばれる山の民など諸説があり、さらには軍用機の墜落により比婆山に潜伏していたアメリカ兵や、単なるホームレスといった奇説・珍説もある。
ゴールデン・ラングール、シロテナガザル、クロクモザルは、身長が1.5mもなく長い尻尾も持つなど差異が見られるが(テナガザルに至っては尻尾はない)、既存の生物の中では最も目撃証言に酷似しているため、何らかの理由で放たれた外来種が正体であった可能性がある。目撃されたのが同一個体だった(1頭しかいなかった)、と推測される点もそれと合致する。
名付け親は中国新聞の庄原支局長だった宮尾英夫氏。
目撃された旧西城町の役場には、問い合わせが殺到したために「類人猿係」が設置され、これも話題になった。
1974年の目撃を最後にヒバゴンは姿を消すが、6年後の1980年(昭和55年)10月20日に、同県福山市山野町田原の県道で、農作業から帰宅しようとした男性が全身を灰褐色の毛で覆われたゴリラのような生物を目撃し、その後ヒバゴンにあやかってこちらは「ヤマゴン」と名づけられた。目撃者の描いたヤマゴンの特徴を描いた絵を見たヒバゴンの目撃者が「自分が見たものと同じ」と証言しており、ヤマゴンというのはヒバゴンと呼ばれた個体が比婆山から数十キロ南の山野町に中国山地沿いに移動してきたものでは?とも推測されている(実はこの4年前の1976年にも山野町で猿のような謎の生物がタクシー運転手によって目撃され地元紙に載ったが大して注目されていなかった)。ヤマゴンもこの年の目撃を最後として以降は姿を見せる事はなかった。ヒバゴンの最初の目撃から10年ほど経っており、野生状態の動物の寿命からして、この少し後にヒバゴンあるいはヤマゴンと呼ばれた個体が自然死したため、以降の目撃が絶えた可能性がある。
1999年に開催された「西城ふるさと祭」において、マスコット化されたキャラクターが発表され、その後は地元のイベントちらしや商品などに描かれている。
なおこのキャラクターは「NPO法人ヒバゴンの知恵袋」の管理物である。
小説家重松清氏によってヒバゴン目撃事件をモデルにした『いとしのヒナゴン』という小説が書かれ、2004年には実写映画が目撃された西城町で撮影された。