発見と命名
1922年、アメリカ自然史博物館の遠征隊がモンゴルで発見した化石に、同博物館のヘンリー・F・オズボーンによって「モンゴル産のオウムのような爬虫類」を意味するプシッタコサウルス・モンゴリエンシスと命名された。
現在のところモンゴル・中国・タイ・ロシアで化石が発見されており、10種が有効とされている(タイ産のP.サッタヤラキは疑問名となっている)。有効種の多さは恐竜でも屈指であるが、あるいは複数の属に分割される可能性もある。(余談だが、ロシア産のP.シビリクスは異様に顔がカッコいい)
特徴
全長は最大で2メートルほどでもっぱら二足歩行だった。かつてはほとんどの角竜の祖先と考えられていたが、前肢の指が他の角竜より少なく前上顎骨に歯が無いなど他の角竜より特殊化しており、現在では初期の角竜と別れた支流と考えられ独自の「プシッタコサウルス科」に分類されている。
嘴がある点は後の時代の角竜と同じだが、プシッタコサウルスは吻部は短く前顎骨の横突起が横に広く張り出しており、前眼窩窓(頭骨の目の入る穴の前にある主竜類独特の穴)が消失している。
肛門には色素沈着があり、なにかしらの分泌腺があった模様。
近年、中国遼寧省で発見された化石には尾のあたりに体毛(羽毛かどうかは不明)が確認された。
ちなみに、メラノソームという色素を作る器官が見つかっており、メイン画像のような茶色をしていたことがわかっている。
生態
他の角竜と同様丈夫な嘴を持つことから繊維質の多い種子植物の葉や種子など硬い植物を食べていたと思われる。しかし進化した角竜のようなデンタルバッテリー構造が発達しておらず、竜脚類や現生鳥類(ダチョウなど)のように胃石(飲み込んで胃に貯めた石)によってすりつぶして消化していたと思われる。イチョウの原産地の付近で発見されるため銀杏をついばむ復元画が描かれているが、実際に銀杏を食べていたかは不明である。
2002年に遼寧省で成体と34体以上の幼体の化石が巣と思われる構造でまとまって発見されたため、子育てしていた可能性が高い。しかし一頭の個体の幼体としては34頭という数は多過ぎるため、ワニやダチョウのように他の個体との縄張り争いに勝利して獲得した別の親の幼体が含まれている可能性もある。
幼体が当時生息していた大型哺乳類のレペノマムスに食べられていた証拠が見つかっており、成体もディロングやユティランヌスの餌食になっていた可能性が高い。そのため前述した尾の体毛は、現生哺乳類のヤマアラシの針のような身を守る武器だったとする説もある(ただし確証はない)。