概要
主な勝ち鞍はニュー1000ギニー(1943年)、ニューセントレジャー(1943年)で、第二次世界大戦中にニューマーケット競馬場で開催された代替GⅠレースであった。
プロフィール
略歴
1940年
第17代ダービー伯爵(エドワード・ジョージ・ヴィリアーズ・スタンリー)が所有するニューマーケットの競走馬飼育場「スタンリー・ハウス」で誕生。
父・キングサーモンはザテトラークの孫で、コロネーションカップ(1934年)やエクリプスステークス(1934年)を勝ち、ヘリンボーンが生まれた後にブラジルに種牡馬として輸出された。
母・スキャパレッリは繁殖牝馬としてヘリンボーンを含む7頭の重賞勝馬を輩出した。
離乳後はダービー伯爵専属のウォルター・アール調教師(ニューマーケット競馬場)に預けられ、調教が積まれた。
1942年
競走馬としてデビュー。5戦して2勝。
1943年
5戦して2勝。代替GⅠレースのニュー1000ギニーとニューセントレジャーに勝利した。ニューセントレジャーではリボンやナスルーラを破ったが、他馬の前に割り入って進路を妨害する場面があり、審議の結果着順変更なしとなったが、降着にするべきだったという意見も多かった。
1944年
競走馬を引退し、「スタンリー・ハウス」で繁殖牝馬となる。ドッガーバンク、エンテンテコルディアーレなど8頭の重賞勝馬を輩出した他、ハイランダーはベネズエラで種牡馬として活躍し、ピンストライプはムーンマッドネスやムーンパレード、シェリフズスター※等の牝系の祖となった。
※シェリフズスターはセイウンスカイの父。
1961年
9月、死亡(21歳)。