ピクシブ百科事典

大川隆法

おおかわりゅうほう

日本の宗教家。宗教団体「幸福の科学」の創立者、総裁を務める。
目次[非表示]

概要

1956年7月7日生まれ。
徳島県麻植郡川島町(現在の吉野川市)出身。出生名は「中川隆(なかがわ たかし)」。
一浪を経て1976年に東京大学文科一類に入学し、政治コースに進む。司法試験国家公務員上級試験を受験するも不合格となる。1981年に卒業後はトーメン(現在は豊田通運と合併)に就職した。また、1982年からニューヨークに研修として派遣され、その間にベルリッツ語学学校ニューヨーク校を卒業、ニューヨーク市立大学大学院センターで国際金融論を学んだ。

宗教家としては、大学卒業前後の1981年から「霊的覚醒」が始まったとしている。サラリーマンとして働く傍ら、宗教や思想研究に熱心に取り組み、1985年から父善川三朗(本名:中川忠義)と共に「大川隆法」を名乗って「霊言」シリーズを執筆・出版するようになる。
1986年にトーメンを退職し、幸福の科学を創立。以降は宗教活動・執筆活動に専念する。
1989年に『仏陀再誕』を出版。自身が「仏陀の魂の再誕である」と主張するようになる。また、1991年には「エル・カンターレ」であると「御生誕祭」にて宣言。「エル・カンターレ」とは幸福の科学の本尊であり、大川はその本体部分が地上に下生した存在で、「現成の仏陀(悟りたる者)」であると定義される。
1994年に「講談社フライデー事件※」が起きて以降マスコミへの露出は控えていたが、2009年に幸福実現党を設立し、政界進出を本格的に目指すようになってからは再びマスコミに露出するようになる。
※フライデーが大川や幸福の科学に批判的・虚偽を含む内容の記事を掲載したとして、過剰な抗議活動・デモを信者らと結託して行った事件。

私生活では、1988年に東京大学の後輩にあたる木村恭子(大川きょう子)と結婚、5人の子を授かるが、2010年に離婚協議となり、2012年に離婚。同年のうちに幸福の科学の職員であった近藤紫央(大川紫央)と再婚している。

インターネット上での扱い

幸福の科学の総裁(教祖)であるが、その「霊言」はイタコ芸と言われるような(信者以外から見れば)チープでワンパターンなものであるとたびたび指摘されている。

霊言の流れ
「スゥ…○○(著名人の名前が入る。また、存命中の人物ならその守護霊となる)です…」から始まり、彼・彼女へのインタビューという形式でその人物(の名を借りた大川)の思想や物事の見解が語られる。

この「霊言」に関わる書籍(守護霊インタビュー、および公開霊言。基本的にはインタビュアーが大川の霊言を書き起こしたもの)は文字通り「事あるごとに」刊行されており、多い時で年間52冊におよび、ギネス世界記録に認定されているほどである。

インターネット上ではこれを誇張し、その時話題となった人物だけでなく、物や現象に対しても大川が降霊術を行い霊言を述べる、という一種のネタが一部で広まっている。

隆法「スゥ…ピクシブです。」

長男との確執

長男の「宏洋」こと「大川宏洋」は俳優業の傍ら、かつては幸福の科学の理事長兼事実上の芸能部門である「ニュー・スタープロモーション」の代表取締役社長を務めていたが、2018年に離脱したと表明している。現在はYouTuberとしても活動しているが、動画ではたびたび幸福の科学の内情の暴露や隆法に対する批判的(というよりは「煽り」に近い)な意見を発表しており、これに対して幸福の科学側は名誉を毀損されたとして損害賠償と謝罪広告の掲載を訴訟している。
なお、宏洋はYouTubeデビューしてからえらいてんちょうこと矢立東紀と交流を持っているが、矢立はかつては「預言者」と呼ばれ、イスラム系の新興宗教 「ダールルハック(真理の家)」の代表を務めていた経歴があるため、視聴者からは不安視されている。

関連項目

幸福の科学 カルト イタコ

関連記事

親記事

幸福の科学 こうふくのかがく

兄弟記事

pixivに投稿された作品 pixivで「大川隆法」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 58528

コメント