概要
演:西田尚美(ドラマ版第2作)
東京吉祥学苑の新校長。34歳。眼鏡をかけた長髪・爆乳の美女。フェラーリ・テスタロッサが愛車。
人物
校長・丸山一八が教育委員会の反逆組織による陰謀で姉妹校のムカチャッパ学園に左遷させられた後、理事会により校長として赴任してきたキャリアウーマン。
理事長・桜井良子の理想的な教育方針に反発し、生徒や教師のプライバシーを管理して学苑を支配しようと目論む悪女。
渋谷翔を始めとする10数名のメンバーが所属する天使部隊を従え、学苑の風紀を理不尽に取り締まらせている。
実は桜井理事長の元教え子であり、中学時代は公立から名門私立へ編入し、テストで常に満点を取る優等生であった。しかし、父親が放火により逮捕され、優等生であることへの嫉妬と、「犯罪者の娘」としての差別による凄惨ないじめを受け続けていた。当時担任であった桜井が自身の居場所であったが、彼女に裏切られたと思い込み(学苑に赴任してきたのも自身の逆恨み同然の復讐をするためであった)、父同様に放火を起こし自殺未遂を起こした。
寸前のところである人物に救われ、「これからは一度死んだと思って強く生きろ」と説かれ、「思い込んだらテコでも曲げない負けず嫌いさ」も手伝い、荀子の性悪説に倣い「人間の本性は悪」という歪んだ思想と狂気に取りつかれる。
学苑の支配の計画は順調であったが、鬼塚の活躍と、渋谷の暴走による天使部隊の壊滅により狼狽。さらに、桜井理事長に真実を話され、それに絶望したことと、渋谷を庇うための落とし前として再び火の中で自害しようとしたが、渋谷に殺されたと思われた鬼塚が奇跡的に復活し、バイクで駆けつけて助けられた。この一連の事件を経て考えを改め更生し、理事長のアシスタントに収まった。なお彼女の退任後はムカチャッパ学園から帰還した丸山が再び校長となっている(当然3人の教頭達は不満を漏らしていた)。
ドラマ版では菊地善人の実母で渋谷の継母という設定で登場。かつて桜井が導入していた成果主義教育を大門が実践しようとした事で離婚し、大門に捨てられたために菊地は桜井をその原因として逆恨みしていた。
物語後半で新校長として登場し、校内に設置された監視カメラや自らが用意したタブレットで他の教師や生徒の状況を監視・管理するなど、かつて桜井が推進していた成果主義を近代的に発展させたものを導入した。しかし生徒個人の人格はおろか教師個人の人格すら否定するという捻じ曲がった方針とあまりに度を越した手段から、内山田を初めとする教師たちや2年4組の生徒たちの反感を買い、タブレットを投げつけられて孤立した挙句、それまでのやり方をマスコミに公表される自業自得の結果となった。
渋谷が暴走した際、血の繋がりのない事を盾に責任逃れをしようとするが桜井から平手打ちされ、鬼塚からも教育者としてではなく母親として渋谷と向き合うように怒号を浴びせられたことで自らの間違いに気づき、菊地と和解。その後、渋谷が起こした騒動に対する責任を取る形で辞職する。
最終話の後日談のスペシャルには登場していないが渋谷の帰りを待ってもう一度向き合い、菊地ともやり直すと話していた事が桜井の口から語られる。
総評
「GTO」におけるラスボスポジションと言える人物。にして、「鬼塚と出会わなかった場合のモトヨンのIFを体現した大人」であったが、
- 「(排他的なやり方ではあったものの)鬼塚のゴミだらけの住処を掃除されて外に放り出され、親友の弾間龍二に発注してもらったトラックに住むことになり、以前より整理整頓ができるきっかけを作る」
- 「鬼塚が不登校の生徒であった宮森勇気を再登校させるきっかけを作る」「宮森の実家に同行した吉川のぼるが時刻表の趣味がきっかけで友達になる」
- 「天使部隊のリーダーである渋谷翔が大門と出会わなければ四面楚歌の生き地獄から解放されることもなかった」
- 「渋谷が転校初日にいじめを受けそうになった際、吉川と宮森に助けられて友達になり明るくなる」
- 「常盤愛が過去に付き合っていた男に騙されて輪姦されて男性不振に陥り、大門と出会いテコンドーを叩き込まれ、後に学園内で暴走していたところを鬼塚の指導を受けたことで改心して過去の蟠りを振り切り、無意味な暴力を止めるきっかけを作る」
- 「天使部隊に所属するようになった生徒たちに居場所を与え、生き甲斐を見出すきっかけを作った」
など、作中後半の元凶である彼女の所業が、作中の生徒たちを結果的に救っているという「影の立役者」になっている所が皮肉にも否定できなかったりする。悪役ポジションとはいえ少なくとも、本来の校長である丸山に比べれば学苑の経営そのものは彼女なりに真面目にやっていたとも言える。
余談だが、作中で荀子の「性悪説」の意味を誤認している。本来、性悪説の「悪」は「人間は弱い生き物」といった意味であり、続いて「成長過程における教育環境や本人の努力次第で人間は良くなっていく」と諭す内容である。
大門は意味こそ誤認したものの、曲がりなりにも結果的に更生しているので、その更生に至るまでの生き様が皮肉にも「性悪説」にぴったりと当て嵌まっていたと言える。