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愛国行進曲

あいこくこうしんきょく

愛国行進曲は昭和12年(1937年)、内閣情報部によって公募された「国民歌」である。 第二の国歌として、広く親しまれていた。
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概要編集

愛国行進曲は、昭和12年(1937年)に、広く国民に親しまれるべき歌(国民歌)として内閣情報部によって公募された歌である。


作曲:瀬戸口藤吉

(元、海軍軍楽隊長。ご存知軍艦行進曲の作曲者)

作詞:森川幸雄

(当時23歳の青年。なお、歌詞に関しては大幅に改変されたとされる。)


国歌である君が代が荘厳な曲調であるのに対し、愛国行進曲は対照的に明るい行進曲的な曲調となっている。


かつて旧日本軍が統治していた国々では、日本語教育の際にこの歌が用いられたため、インドネシアパラオでは、この曲を歌えるお年寄りが多くいらっしゃる。


『行進曲「愛国」』編集


愛国行進曲が人気を博するなか、内閣情報部は、愛国行進曲をトリオとした『行進曲「愛国」』を作成することを決定。

複数の作曲家によって作曲され、現在では斉藤丑松(海軍軍楽隊員)によるものが出回っている。

斉藤丑松氏は戦後、吹奏楽の第一線から姿を消したもののトロンボーン奏者として、複数の曲を作曲なさった。


この他、須磨洋朔(陸軍戸山学校軍楽隊員)によっても作曲がなされた。

なお、須磨洋朔氏は戦後、陸上自衛隊の前身である警察予備隊保安隊 音楽隊の設立に尽力したほか、

陸上自衛隊 中央音楽隊の初代隊長を務めている。

また、自衛隊で現在も使われる行進曲「大空」や各種ラッパ譜の作曲をなさった。


歌詞編集


本来、歌詞の投稿は著作権上、慎まねばなりませんが、愛国行進曲に関しては、広く国民に親しまれるべきという特性上、内閣情報部は著作権を放棄したため、そのまま打ち込みます。もし、瑕疵がございましたら、ご面倒でも修正して頂けますと幸いです


1 見よ東海の 空あけて

  旭日高く 輝けば

  天地の正気 溌剌と

  希望は躍る 大八洲

  おお晴朗の 朝雲に

  そびゆる富士の 姿こそ

  金甌無欠 揺るぎなき

  我が日本の 誇りなれ


2 起て一系の 大君

  光と永久(とわ)に 戴きて

  臣民我ら 皆ともに

  御稜威(みいつ)にそわん 大使命

  往け八紘を 宇(いえ)となし

  四海の人を 導きて

  正しき平和 打ち立てん

  理想は花と 咲き薫る


3 今幾たびか 我が上に

  試練の嵐 哮るとも

  断固と守れ その正義

  進まん道は 一つのみ

  ああ悠遠の 神代より

  轟く歩調 受け継ぎて

  大行進の 行く彼方

  皇国常に 栄あれ



なお、歌詞の内容や、国民歌として制作された経緯より、愛国行進曲は軍歌ではなく戦時歌謡であるとする意見もある。


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軍歌 大日本帝国 国歌 戦時歌謡

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