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概要編集

ロックバンドBUCK-TICKのボーカル。

1966年3月7日生まれ。血液型はO型。群馬県藤岡市出身。群馬県立藤岡高校(現在は群馬県の高校再編で藤岡中央高等学校に吸収され閉校)卒業。

1993年頃までは新字体で「桜井敦司」、または「ATSUSHI」と表記されていた。

ファンからの愛称は「あっちゃん」または「魔王」。所属事務所・有限会社バンカーの二代目社長でもあった。


高校時代に今井寿らと出会い、高校卒業後は一旦就職しつつも退職し、インディーズでバンド活動を行う。

BUCK-TICKの前身バンドである「非難GO-GO」時代はドラマーだったが、「自分が歌いたい」という願望が強くなり、同郷の氷室京介から「お前、ツラがいいからヴォーカルやった方がいいよ」と勧められたのと同バンドの前任のボーカル脱退を機に他メンバーに「自分が歌いたい」と直訴、ボーカルに転向。

樋口豊が兄のヤガミトールを後任ドラマーに呼んできて、現在のBUCK-TICKのラインナップと成る。

2015年からはソロプロジェクト「THE MORTAL」も開始。


作曲はほぼ行わないが、バンドの大半以上の作詞を担当。その退廃・生と死・エロス・耽美・森羅万象をテーマとした歌詞の世界観は、後進バンドに大きな影響を与え、1970年〜80年代前後生まれのバンドマンの中には彼に影響を受けてプロを志した者も多い。

独特の歌詞の世界観や「魔王」とも呼ばれるルックスや存在感は、多くの二次元系クリエーターにも大きな影響を与えており、商業誌で発表された漫画作品の中にも彼をモチーフとしたデザインのキャラクターが登場することも度々あった。


60歳近くになっても、なお健在していた美貌と存在感から長年根強い人気を誇り、一般の音楽ファンやバンドキッズ・バンギャルのみならず漫画家や音楽業界人、芸能人にも多くの信者を持っていた。「美しい男性ボーカリストは誰か?」という議論では、必ずHYDEHAKUEIに並んで名前が真っ先に出てくる人物でもある。

また本人もシャイな面がありつつも交友範囲が非常に広く、ヴィジュアル系をはじめとしたロック系の同業者や漫画家とも親しく酒を酌み交わすなどしていた。


プライベート編集

そのルックスとは裏腹に服のセンスが壊滅的なことでも有名で、ほっかむりや猫柄のシャツなど伝説的な服装を披露している。


そして大変な好きであり、晩年は3匹の猫を飼っていた。しかし、櫻井本人は猫アレルギーであった。


趣味はドライブ

BUCK-TICKのインディーズ時代は、櫻井がワゴン車を運転して各地のツアーを回っていた。櫻井曰く「他のメンバーは運転が危なっかしい」。そのおかげでガソリンを節約するドライブテクニックを身に付けていった。

「心が浄化される」との理由から車で山に行くことを好んでいた。特に富士山に魅了され、富士山周辺をよくドライブしていたという。


また鉄道ファンでもあり、特に意味もなく特急あずさに乗って、そのまま往復して帰ってきたというエピソードもある。

なお新幹線は「仕事で乗る」という意識があるため、そこまで好きではないとのこと。


息子・遠野遥との関係編集

2回の結婚歴あり。最初の結婚時に授かった長男の遠野遥はのちに小説家となり、芥川賞を受賞している。その際に櫻井は遠野に万年筆を贈っている。


遠野が作家として知名度を上げたのちの2020年に親子関係について公表され、文芸雑誌で父子対談を行なったことがある。

離別したのが遠野の1歳の時であったのと照れもあってか、対談では「遠野先生」「櫻井さん」と呼び合っていた。


遠野の実母で櫻井の元妻は、彼の元スタイリストであった縁から、彼の音楽まで嫌悪感を持ってはいなかった。遠野は小学生の頃から、櫻井が歌うBUCK-TICKのCDを聴いていた。

遠野の小説には性や暴力の激しい描写が登場することがあり、櫻井はそれを読んでショックを受けたという。遠野本人も「自分の作品も明るくはないから、もしかしたら無意識のうちに(櫻井の歌詞や音楽性に)影響を受けていることがあるのかもしれない」と述べている。


ともあれ、お互いに父子の関係を超え、表現者・創作者としてリスペクトし合う関係にあったのは確かのようだった。


突然の訃報編集

その後も精力的に活動していたが2023年10月19日、横浜市内で行われたBUCK-TICKファンクラブ限定ライブ最中に体調不良となり、三曲目を歌い上げた後にスタッフに支えられながらステージを降りそのままライブは中止。直後に救急搬送されていた。

その後に予定されていたBUCK-TICKのツアーも中止になり、今井寿のinstagramでは「開けた缶ビールの写真」が投稿され樋口豊のトークイベントも中止など「いつもなら大丈夫だとファンを励ます他メンバーの様子がおかしい」ことから悪い予感を抱きつつ回復を願うファンも多かった。

しかし願いは叶わず、5日後の10月24日に「緊急搬送された19日の23時9分に脳幹出血で息を引き取った」ことがBUCK-TICK公式サイトで発表された。享年57歳であった。

葬儀は遺族の意向で身内で執り行われた後に発表された。


脳幹出血の原因は主に高血圧であるが、生前は(この年代のバンドマンにはよくあることだが)飲酒の量も多めではあったが、それで直接大病をしたりと言ったほどではなかった。


病歴としては、1996年に撮影先のネパールにて急性腹膜炎を発症し、緊急帰国して即入院したことがある。あと数時間、治療が遅れていたら亡くなっていたと言われるほどの危険な状態だった。

22年後の2018年には消化管出血で一時休養を余儀なくされ、2022年にはCOVID-19に軽症ではあったが感染して休養するなど、これまでも決して無病息災というわけではなかった。

しかし櫻井は、その度に復活していたため、今回のあまりにも急な重病の発症と逝去に、各界で衝撃が走った。ただ、彼の父は18、母は24の頃とどちらもかなり早期の時期に亡くしている事からも元々長生き出来る血筋ではなかったようである。


彼と親交が厚かったDERZIBETISSAYが、2023年8月初旬に事故死したばかりで、ヴィジュアル系界隈としても、同年8月末に元Laputaのボーカルakiが52歳で急逝したばかり(こちらも特に体調に問題が見られなかったツアー中の突然の体調不良によるもの)であった。

また2023年10月は、8日に谷村新司が、10日後の18日にはもんたよしのりという、ベテラン歌手が2人も亡くなっていた。

このような訃報続きの状況で、ショックの余韻も冷めてないタイミングでの櫻井の訃報であったため、ファンや関係者のダメージが尚更大きかった。


さらに半年前の4月には、2019年5月に椎名林檎とソロで出演したことから、以前から1995年以来のバンドでの出演も望まれていたミュージックステーションに28年ぶりの出演を果たしたばかりで、これが最後の歌番組出演となった。


ちなみに2019年のソロでは、同郷の先輩である布袋寅泰(藤岡市の隣の高崎市出身)とも共演しており、皮肉にも先輩のBOØWYの4名よりも早くこの世を去ってしまった。


後輩に対しても優しく接する人柄で多くの同業者に慕われていたため、先輩後輩を問わず多数のミュージシャンや音楽関係者がSNSでお悔やみを表明し、「涙が止まらない」「ショックで作曲作業が進まない」といった深い嘆きも散見された。

直後に自分達のライブが予定されていた後輩バンド達の中には、追悼のため急遽BUCK-TICKのカバー曲を演奏したところも複数あった。


海外のファンからも嘆きの声が多数寄せられ、メキシコの日本大使館、ロシアではモスクワの日本大使館およびサンクトペテルブルグの日本領事館に花や手紙、似顔絵を持参して供える現地ファンが続出している。


国内でも突然の訃報に動揺するファンのために、予定されていたツアーの会場で、グッズ販売、櫻井に寄せるメッセージボードの設置、ツアートラックの展示が、ツアー日程の通り逐次行われている。

ファン向けのお別れ会が「THE CEREMONY-櫻井敦司へ-」と銘打ち、2023年12月8〜9日にZepp hanedaで開催されるはずだったライブを振り替える形で2日間にわたって開催されることも決まった。


最期にステージで歌った曲は「絶界」であった。(歌詞参照


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BUCK-TICK 残念なイケメン

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