概要
「水があまりにも綺麗すぎると魚はその流れに寄ってこないように、人格や法律が厳格すぎると却って人は敬遠して引いてしまうものである」という意味の語。
出典は「大戴礼記―子張問入官」の一節、「水の至清(しせい)なれば則(すなわ)ち魚無く、人の至察(しさつ)なれば則ち徒(と)無し」。
科学的に「綺麗すぎる水」とは
魚類に限らず鰓呼吸を行う水棲生物にとって「綺麗すぎる水」、例えば超純水などは生息には極めて不適切な環境と言える。彼らは体内のミネラル分を水中のものと常に調整しながら生きているが、それらが一切存在しない超純水下では正常な浸透圧の調整ができなくなるどころか体表から様々なものが奪われ、鰓の細胞も破壊される。また呼吸に必要な水中の酸素さえも存在しないため、ものの数分で窒息してしまう。つまり生物にとって、適度に不純物やミネラル分が含まれる水こそが良い水なのである。
そして自然界に存在する「綺麗すぎる水」には地中から毒素が染み出していることが多い。本当の悪意は綺麗に見えるように装っている、ということなのだろうか…。
類義語
表記揺れ
対義語
関連タグ
松平定信:田沼意次の汚職政治から脱却を図るべく寛政の改革を断行するも、その潔癖さに辟易した庶民は「白河の清きに魚も棲みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」という狂歌を詠んだという。