概要
ラテン語の格言の一つであり、出典には諸説あるが、一般的には4世紀頃の古代ローマ帝国の軍事学者であるフラウィウス・ウェゲティウス・レナトゥス(Flavius Vegetius Renatus)のものとされている。
- 「敵に攻撃される可能性の少ない強い社会」を意味し、軍事行動において準備を万全にしておくことの重要性を強調し、単なる偶然や数の優勢に頼ることを戒めた一節であり、
- 「したがって、平和を願う者は、戦争の準備をせねばならない。勝利を望む者は、兵士を厳しく訓練しなければならない。結果を出したい者は、技量に依って戦うべきであり、偶然に依って戦うべきではない」
と続いている。
兵法家孫子も類似することを述べている。
- 「百戦百勝は、善の善なる者にあらず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」
- 「子曰く、およそ善の善なる者は、其(敵)の来たらざるを恃(たの)むこと無く、我に以て待つあるを恃むなり。其(敵)の攻めざるを恃む事無く、我に攻むる所あるべからざるを恃むなり」
前者は「真に最善の兵法は戦わずして勝つことである」と説き、後者は「戦わず勝つ者は自分から相手に攻められないよう、常に万全の態勢で警戒する者である」と説いている。
平和を願うのに軍事力を上げろというのは矛盾していると捉える者もいるかもしれないが、何も軍事力を用意していない場合、他国からの侵略を受ける恐れがある。それを防ぐためには他国から警戒される程度の軍事力を保持する必要がある。(無論、国民をきちんと食べさせていける財政が前提であるが。)
また、他国から警戒される程度の軍事力を持つということは他国に対して軍事行動はせずとも一定の警戒を与えることができるということでもあり、直接自国とは関係の無い多国間同士の戦争を起こさせないようにする交渉力にも繋がる。
簡単にまとめると
軍事力を上げることが自国への侵略を防ぐと共に、他国への発言力を高めることになり、それが平和へと繋がるのだ。
つまり、ここで言う戦の準備とは「戦争を行うための準備」ではなく「(結果的に)戦争を行わせないための準備」ということである。
もちろん、これは他国に対して恐怖心や過度の警戒心を与えるような挑発行為とも取れる行為では意味が無い。
平和のために軍事力をあげているつもりが、自分達が平和を乱す存在になりかねないからである。
また、如何に軍事力をあげてもテロや暗殺の危険は常に存在する事も忘れてはならない。
さらに、戦とは必ずしも「人間との戦争」だけを指すわけではない。
日本においては2023年は熊被害の多発、2024年は元日から令和6年能登半島地震が勃発し、「平和のための備え」(獣害対策、防災)の大切さを多くの日本人が思い知ることとなった。
関連項目
9mmパラベラム弾:名称はラテン語の原文「Si Vis Pacem, Para Bellum」から取られている。
パニッシャー(MARVEL):実写映画第2作において、戦いに向かうフランクが声明書に書き記している。
備えあれば憂いなし:格言ではないが、意味がよく似ていることわざ。
関連人物
ギルバート・デュランダル:TVアニメ『機動戦士ガンダムSEEDDESTINY』の登場人物。「平和主義者」だが、「汝平和を欲さば戦への備えをせよ」を地で行く人物である。彼は「デスティニー・プラン」による超管理社会により「世界平和(世界征服)」を目指しキラ・ヤマトらと対立したが、最後の最後で自らの腹心であるレイ・ザ・バレルに撃たれてしまった。しかし死後もコズミック・イラの世界に影響を及ぼしている。