概要
非理法権天とは、かつての日本の法観念を表す格言である。天道(至上万能の神)に従って行動すべきだという意味。
訓読
(ひはりにかたず りはほうにかたず ほうはけんにかたず けんはてんにかたず)
「非ハ理ニ勝タズ、理ハ法ニ勝タズ、法ハ権ニ勝タズ、権ハ天ニ勝タズ」
意味
人間として為すべき事は、天命によってのみ動くものであり、天を欺くことはできない
すなわち、天は全てを超越するものであるということ(古くの意味では天は天皇を表さなかったとされる)
補足
儒教の力が現在よりも強かった江戸時代においては、権力者が作った決まりはおよそ人の持つ道理よりも勝るという考えを持つものが多かった。この言葉は当時の世相をよく表している。
大東亜戦争で坊ノ岬沖海戦に赴く戦艦大和には非理法権天が印された幟があったと言われている。
現実
米帝様には勝てなかったよ…
諸説
連合軍の本土直接攻撃の準備の一環として開始された沖縄攻略戦に対し、この攻撃の意図を察知した日本側は天一号作戦を発動する。
これに伴って遅滞行動を企図し、陸海軍航空機を総動員した特攻作戦である菊水作戦を開始。これは生きては戻れない特攻作戦であったため、南北朝時代に菊水旗=非理法権天を掲げたことで有名な武将楠木正成が、大軍を有する足利尊氏勢に対し、後醍醐天皇の無茶な命令により、劣勢のなか死を覚悟して臨み、その軍勢もろとも壊滅し、戦死した湊川の戦いになぞらえているといわれている
(やぶれかぶれ的な意味で…)が、のちの検証により江戸時代に作られた伝承であることが明らかとなっている。
一方、戦時中における天一号作戦でのそれや、「回天」部隊が用いた非理法権天の幟について、元来の法観念や皇国史観の観念を示すものとして、当時の実戦部隊の将兵に捉えられていたことを疑問視する説を唱える者もいる。
模型製作家の大木清太郎は、『鋼鉄の鳳凰』にて非理法権天の大意を「勝敗の行方は天のみが知ることであり、われらは、武人として、命を懸け、全力を尽くすのみである」と解釈をしている。