概要
湯浅町とは、和歌山県有田郡にある町。
人口は約1万2000人、面積は約20.8km²。
醤油発祥の地として全国的に有名で「湯浅醤油」はマスコミにも取り上げられることもある。
また、有田みかんの栽培も行っており、「田村みかん」は有田みかんのブランド品でもある。
歴史
古代
海が現在より中にあり、水(ゆ)が浅い地形から「ゆあさ」と呼ばれていた。
平安時代
藤原鎌足の子孫藤原秀郷の後裔とされる湯浅氏が文献に登場する。また、熊野参詣がブームの際には宿駅として栄え上流階級から庶民らが行き交う町となる。町内の深専寺は時の上皇・法皇の熊野行幸の宿泊地にもなった。
鎌倉時代~南北朝時代
鎌倉幕府から厚い信頼があった武士団湯浅党が名を馳せる。湯浅党は京都の警備を委せられることもあった。南北朝時代には優秀な水軍も抱え、南朝(吉野朝廷)の進軍に呼応し活躍を見せる。この時の技術力が後の海運業の開花に繋がる。
江戸時代
紀伊藩の出先機関である有田代官所が置かれたり、醤油産業の保護を受けるなど、有田地方の中心として形成されていく。(今日においても和歌山県庁の有田振興局や税務署は有田市ではなく湯浅町に置かれている)醤油の発展は、運搬のための海運業や工業製品の発達を促し豪商を生み出す。
こうした背景により、幕末には城下町和歌山に次ぐ藩内2位の人口の都市にまで成長する。
明治以降
1956(昭和31)年に、田栖川村と合併し現在に至る。
主な観光地
湯浅
醤油蔵が立ち並び2006(平成18)年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定
深専寺
西山浄土宗の寺院で明秀上人が開基。熊野古道への行幸の際、上皇・法皇の宿泊地として利用。本堂は県の文化財に指定。
顯國神社
湯浅の「大宮さん」として鎮座。湯浅権守藤原宗重が湯浅村に遷宮し、初代紀伊藩主徳川頼宣により顯國大明神を授かる。それ以降、歴代紀伊藩主が崇敬。