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歴史編集

アッバース朝の首都、バグダードに作られたギリシア語アラビア語に翻訳する機関。イスラムの高等教育機関も兼ねていた。


8世紀後半のアッバース朝全盛期の6代目カリフ、ハールーン=アッラシードは、エジプトアレクサンドリアムセイオン大図書館に伝えられていたギリシア語文献を中心とする資料をバグダードに移行。「知恵の宝庫」と名づけた図書館を建設した。

その息子で第7代カリフとなったマームーンは、それを拡充し、830年ごろに「知恵の館(バイト=アルヒクマ)」と改め、ギリシア語文献の国家主導翻訳を開始。主任翻訳官フナイン=ブン=イスハークは、ギリシア語、シリア語、アラビア語に堪能なネストリウス派キリスト教徒(異端として追い出された宗派)で、彼は同派の学者を招き、エウクレイデスの数学書、ヒポクラテスガレノスの医学書、プラトンアリストテレスの哲学書、さらにギリシア語の旧約聖書などを次々と翻訳した。 知恵の館から、イブン=シーナー、フワーリズミーなど知識人が輩出された。


このように、古代ギリシア文化が中世ヨーロッパに知られたのは、イスラーム世界を経てのことであったことは重要である。


だが12世紀、全てが崩壊する。

1258年、チンギス・ハーンの孫フレグがバグダードを包囲する。世に恐れられる「バグダード包囲戦」である。

アッバース朝最後の37代カリフ・ムスタアスィムは最後まで抵抗するがバグダードは陥落。


モンゴル軍によって攻略されたバグダードは徹底的に破壊され、市内に存在していた知恵の館や数々の図書館に収蔵されていた何十万冊もの大量の学術書はモンゴル軍によって燃やされるか、または、川に捨てられた。

  • 兵士の死者50,000人
  • 市民の死者20万人〜200万人
  • 首都バグダードの壊滅

これによってメソポタミア文明ならびにイスラム文明が築いた多くの文化遺産が地上から消失した(このバグダード包囲戦は人類史指折りの大虐殺であり、検索要注意である)。


文献の一部は十字軍に接収され、のちにルネサンスへと繋がっていくことになる。


知識が人から人へ受け継がれていく、神秘の歴史物語。それが知恵の館である。



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