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概要

京都府舞鶴市にあった旧日本海軍の鎮守府。通称、舞鎮(まいちん)

その歴史は、対ロシア戦略の要衝として1901年に現在の京都府舞鶴市に開庁した。日本は、帝国海軍の要衝を日本海側に設ける事を悲願とし、日本海側で軍港とするのに適した場所を探していた。その背景には、ロシアがウラジオストックに軍港を擁しており、ロシアと戦争となった場合、ここから艦隊を繰り出し本土と大陸との交通を妨害する恐れがあった為である。そこで白羽の矢が立ったのが、湾口が狭く湾内の波も穏やかで、かつ沢山の艦艇を停泊させられる 舞鶴湾は、軍港に適していた。だが、日清戦争の折であった為に、先に設置されていた佐世保両鎮守府の整備が優先され、舞鶴鎮守府の建設には、中央から捻出されていた僅かな予算で建設が進められたが、日清戦争で得た賠償金を充てる事になり、それ以降飛躍的に建設が進行し開庁に至り、初代司令長官には、後に日本海海戦で名を馳せる事となる、当時海軍中将であった東郷平八郎が就任した。

鎮守府としては遅咲きであったが、日露戦争の際には上村中将麾下の第2艦隊が在泊し、ロシアの巡洋艦3隻を主力とする通商破壊艦隊と戦う為の重要な基地となった。

ワシントン軍縮条約によって一時期、1ランク下の「要港部」に格下げされていたが、失効後、再び鎮守府となった。

1933年には昭和天皇の舞鶴行幸があり、舞鶴鎮守府に滞在している。1945年太平洋戦争終戦と同時に舞鎮鎮守府は一度閉鎖されたが、1952年の警備隊発足時に舞鶴地方隊として復活。そしてその遺伝子は現在、海上自衛隊の第3護衛隊群の軍港として受け継がれ、特に韓国北朝鮮ロシア中国という最も厄介な相手を抱える日本海中部域の防衛警備を担っている。

その代表的な事案が1999年に漁船に偽装した北朝鮮の工作船が領海侵犯する能登半島沖不審船事件である。

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