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「君たちは、仙舟が星の海を巡狩していたことについて知っているだろうか?少なくとも「豊穣戦争」という言葉は聞いたことがある筈だ。仙舟が不死の忌み物を排除し、同時に豊穣の忌み物の軍団が何度も戦線を突破し、仙舟を危機に陥れた。」

———景元


「あれは、私が見た中で最も美しい空だったけど、感じたのは耐えがたい悲しみだった。私は無力な蟻のように地面に這いつくばって、空を見ているしかなかった。」

———御空


概要編集

豊穣戦争は、仙舟同盟豊穣の民との間に起こった3度の戦争の総称である。

「第一次豊穣戦争」は星暦3400年前後に造翼者の故郷「穹桑」と「羅浮」の間で勃発した。

「第二次豊穣戦争」は星暦5749年~7380まで豊穣使令倏忽によって引き起こされた1600年以上に渡る大戦を指す。

「第三次豊穣戦争」はゲーム開始から28年前(星暦8072年)に豊穣の軍団が同盟に侵攻したことで始まった。仙舟の勝利に終わったが、双方は多大な犠牲を払った。



歴史編集

第一次豊穣戦争編集

  • 星暦3400年前後、三劫時代の1つ「火劫」において当時仙舟「朱明」はある大質量の天体の引力を観測したが、いかなる光信号も捕捉できなかった。仙舟同盟が十分に近づいて初めて、観星士はその巨大な物体が星々を呑み込む樹構造世界であり、古の国の時代の大敵、造翼者の故郷「穹桑」であることに認識する。
    • 視肉の巨獣艦も再び現れたことで、仙舟の民はさらに震撼した。造翼者は視肉を操り、両者の間にはある種の共生関係が成立していた。そして、「建木」の力に引き寄せられるかのように、「穹桑」は仙舟「羅浮」にゆっくりと近づいた。やがて両者の間に仙舟史上、最も壮絶な戦争が勃発する。
    • これまでに鬩牆の戦い(「三劫」の1つである「生劫」)、金人の裏切りと移住計画を経験したばかりの仙舟の民には、これほど大きな危機に立ち向かう力は残されていなかった。民衆は凍結監獄の全囚人を解放させ、その侵略に対抗した。その中には後に星神となる帝弓(嵐)も含まれていた。目覚めた帝弓は戦局を分析し、奇策で包囲を突破する。
    • 豊穣の民を撃退するため、帝弓は忠告を押し切って仙舟朱明の奥にある牢獄へ向かい、囚われ続けている歳陽の首領「火皇」を説得する。そして自らの肉体と引き換えに歳陽の助けを借りるという取引をした。
    • それぞれの仙舟では、大勢が英雄の献身に応え、英雄と同じ取引をした。彼らは「決死隊」に加わり、歳陽と手を組んで行軍し、空を覆う雲のように仙舟を守り、決して地上に降り立たないと誓った。これが「雲騎軍」の名前の起源である。
    • 「穹桑」に対し、曜青、羅浮、玉殿、朱明、方壺、蒼城、虚陵の順に戦闘態勢に入る。帝弓は仙舟曜青の船首から迎撃した。
    • おそらくこの時に、帝弓は星神に昇神する。其の武器「軒轅」を使って「帝弓の弓矢」を放ち、建木を破壊し、巨獣を貫き、仙舟羅浮と穹桑の接続を断ち切った。その衝撃は仙舟同盟の全艦船に及ぶほどだったという。その後火皇は肉体の一部を残し、嵐は姿を消す。この記述は誤りの可能性がある。
  • それ以降、仙舟人は混乱、狂気、衰退から復興することができ、現在の仙舟同盟が誕生した。


第二次豊穣戦争編集

【勃発前】

  • 星暦5320年前後、玉殿太卜司は「穹桑」の衰滅を観測した。反物質レギオンはあっという間に造翼者の郷土を破滅した。それ以降、宇宙を流浪するようになった造翼者の多くは、傭兵や星間海賊となった。
  • 星暦5700年ごろ、絶滅大君「星嘯」は仙舟「朱明」に対して抵抗の放棄、および航路の変更を要求した。その目的は、彼女の造翼者世界に対する攻撃に協力することだった。
  • 星暦不明、仙舟「曜青」天舶司の舵取を務めていた狐族の「月偃」は、第一次豊穣戦争の壊滅的な被害に巡狩への信念が揺らぎ、退官し、星槎に乗り、答えを求めて星海を巡り始めた。その後、豊穣の使令「倏忽」が死にかけた惑星「羅睺」を蘇らせる光景を目撃。月偃は倏忽に追従し、薬王秘伝を創設した。

【勃発】

  • 星暦5749年、博識学会は博学士軍団を派遣し、仙舟「玉殿」を包囲していた豊穣の使令「倏忽」の撃退に協力した。仙舟同盟と博識学会は協定を結び、豊穣の民の侵略を受けた世界の環境修復をおこなった。

【その後】

  • 星暦6300年前後、仙舟「蒼城」は活性化惑星「呑界羅睺」に呑み込まれた。鏡流は数少ない生存者の一人である。
  • 星暦不明、景元は羅浮剣首・鏡流に誘われ、彼女、白珠応星、そして丹楓からなるチームに加入する。こうして彼らは「雲上の五騎士」としての伝説の道を歩み始めた。彼らの主な偉業は次のようなものがある。
    • 海洋惑星「タラサ」を侵略する歩離人を討伐。
    • 豊穣聯軍の慧駿族と造翼者の同盟を打ち破る。
    • 仙舟玉殿の包囲を破り、活性化惑星「計都蜃楼」を打ち砕く。
    • 歩離人の戦首・呼雷を捕縛。これにより歩離軍の勢力は極度の不安定状態に陥った。

【倏忽の乱(星暦不明)】

  • 第二次大戦で敗れた倏忽が大軍を率いて再び仙舟を攻め、白珠は戦死する。倏忽も白珠と相討ちしたと考えられ、現在は幽囚獄最下層に幽閉されている。

【飲月の乱(星暦7379~7380年)】

  • 白珠の死を受け入れられなかった応星は丹楓と結託し「倏忽の血肉」を使い白珠を蘇らせようとした。しかし計画は白珠の邪龍化という形で失敗し、多くの仙舟人が死に、自身は亡骸の影響を受けて皮肉にも復讐の対象であった長命種となってしまった。その後、応星と丹楓は咎人として捕まり、鏡流は魔陰に堕ち仙舟から追放された。こうして雲上の五騎士は瓦解した。
  • 飲月の乱直後、景元が羅浮の雲騎軍を率いる神策将軍の地位につく。


第三次豊穣戦争編集

【勃発前】

  • 星暦7972年頃、符玄仙舟「玉殿」の太卜司・竟天の下で占星術を学ぶ。しかし運命を覗く卜者であることに甘んじ「宿命論」に依存していた師に疑問を抱く。そして一族の制止を振り切り、すべての妨害を無視して、半ば自己追放に近い形で仙舟「玉殿」から逃げ出した。彼女はより自由な気風のある羅浮の太卜司に入り、そこで占卜に没頭した。
  • 星暦7992年、歩離人月里火が出生。
    • 星暦8023年、月里火31歳。その時にはすでに自分の獣艦部隊「閉戻多」を持ち、当時の仙舟の飛行士にとって悪夢のような強さだった。
    • 星暦8038年、月里火は、可博の手によって息子を殺された後、同盟に服従し忠誠を誓う決意を固め、閉戻多と127人の部下を率いて仙舟「方壺」に向かった。
    • 星暦8040年、結果的に月里火達は方壺に住むことを許された。可博に対する憎しみからか、月里火はいつも「閉戻多」を率いて同盟のために戦いたいと訴えたが、そのような要求は認められなかった。
    • 星暦8070年、彼女はついにその繰り返しに耐えられなくなり、学士で友人でもある宗光に助けを求める。宗光は彼女に、長文の手紙を書くように提案した。彼女の生い立ちを詳細に語り、なぜ敵を憎み、同盟のために戦いたいと願っているのかを、七天将に伝えるためだった。その2年後に第三次豊穣戦争が勃発した。

【勃発】

  • 星暦8072年、第三次豊穣戦争勃発。
    • 曜青、方壺の烽火信号により、豊穣連合軍が再形成され、遊星「計都蜃楼」が蘇って活性化し、方壺に迫っているという警告が届く。羅浮雲騎軍は「垂虹衛」、「春霆衛」、「畢方衛」、「欃槍衛」を援軍に送りこれを迎撃した。この戦いは激烈を極め何度も敗北しかけたが、符玄の師・竟天が「瞰雲鏡」を使い「帝弓の光矢」を誘導させ、見事に難敵を一掃した。しかし竟天は光矢に巻き込まれ死亡した可能性が高い。
    • 「瞰雲鏡」付近で青丘軍と戦場にいた月御将軍も光矢の爆風で死亡した。
    • 月里火は「帰正本末」を書きあげる。その後、月里火と閉戻多は「帝弓の光矢」が現れる前に、少なくとも4,000人の市民を安全な場所に運ぶことに成功した。この過程で、彼女を含む127人の歩離人戦士は全員死亡した。
    • 丹枢の友人雨菲は戦争に参加し、方壺の野戦病院に送られる。仙舟が敗北に直面したその時「帝弓の光矢」が降臨し、歩離人の艦隊を殲滅した。しかし野戦病院も巻き添えを食らい雨菲は死亡する。この精神的ショックと帝弓への失望により、丹枢は巡狩の信仰を失う。
  • この戦争により、仙舟羅浮は合計で闘艦6万3000隻余り、飛行士12万人余りを失った。仙舟方壺は5分の1近くの洞天が光矢の爆撃を受けて破壊された。また同盟全体の空戦に参加した100万人近いパイロットのうち、生き残ったのは10万人以下だった。この死傷者の中には、采翼(御空の親友)も含まれている。

【その後】

  • 丹鼎司の長・雲華が、脱鱗直後の丹恒に前世を思い出させる術を施した罪により羅浮から追放処分を受け、何も知らない弟子の霊砂を連れ朱明に流転。その後任には丹枢が就くも、上記の通り巡狩を捨て豊穣に傾倒し始めた丹枢は、裏で羅浮内薬王秘伝の開祖として信者を集め、組織を拡大させていく。
  • 同盟で最も有名な観光地だった仙舟「方壺」は第三次豊穣戦争で多大な損害を被り、大量の観光客を受け入れる余力を失い、旅行ビザの発行も中断した。特に種族繁殖が困難である持明族が大戦で激減したことで、彼らと他の仙舟との正常な交流と貿易がほぼ断絶する事態に繋がった。その後、方壺が観光業を再開したことにより、船は再び訪問者に開放された。
    • 戦死者を悼むため「第三次豊穣戦争帝弓垂迹記念館(垂迹記念館)」が戦火で廃墟になった東海洞天の上に建設される。ここでは、戦争がどのように起こり、豊穣の軍団がどのように方壺に対して残忍な攻撃を開始し、そして嵐がどのように忌み物を屠ったかを展示している。
    • 中でも東海洞天で一番繁栄した「陵魚大通り」を再現した「俗世宮」は、39823名の住民が災厄に襲われる前の日常生活を再現した。方壺人は異邦人に仙舟同盟が何のために戦っているのかを知ってもらうため、これらを無料で公開している。
  • 御空は失意と無力感から軍人や飛行士を引退する事を決意し、羅浮の貿易を管理する「天舶司」に移籍して後にリーダーとなる。また、采翼の娘である晴霓を養女とする。
  • 月御将軍の死後しばらくして、飛霄は仙舟「曜青」の将軍に就任する。


現在(ゲーム開始)編集

  • 開拓者が仙舟・羅浮に到着。
  • 星暦8100年3月、薬王秘伝の指導者となった丹枢は、何年も気づかれることなく組織を成長させた後絶滅大君幻朧に接触。丹枢は星核を羅浮に密輸することに同意し、羅刹はその手助けをした。幻朧は復活した建木で丹枢に新しい不死の肉体を与えると約束した。
    • 開拓者と接触する中、遂に丹枢が薬王秘伝の指導者であることが露呈される。その後符玄達との協力の下、太真丹室で丹枢は敗れ、残りの薬王秘伝は逮捕される。力尽きる際、彼女は眼前にいた幻朧へ契約の履行による延命を懇願するが、当然の様に一蹴され、灰となった。
  • 星暦8100年8月2日、霊砂が仙舟「羅浮」丹鼎司 司鼎に任命される。
  • 幻朧は「マングス」という偽名を使い、自身を「長生の主の使者」と名乗り、バラバラになった歩離人たちをまとめ上げた。末度(Mok tok)率いる歩離人は幽囚獄に潜入し、呼雷の脱獄を成功させる。しかし、飛霄をはじめ彦卿雲璃三月なのかたちによって仙舟脱出は阻止され、呼雷は志半ば死亡する。

関連リンク編集

崩壊:スターレイル

豊穣

巡狩

薬師

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仙舟同盟 せんしゅうどうめい

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