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概要

宋時代に書かれた『鉄囲山叢談』において、宣和年間に洛陽に現われたと記述されるものは「黒漢」とも呼ばれる。

人に似るが黒い色をしており、人を噛み幼子を攫って喰らい、現われたことが戦乱や亡国の危機の予兆であると恐れられた怪異であった。

続く明時代に書かれた『粤西叢戴』においては「妖𤯝」と呼ばれており、夜になると人家に侵入し女性を犯すものだと恐れられた。

その姿はや黒気、火の屑のようで捉えどころが無かったという。

その後日本に伝わったこの妖怪の名は、九州・中国地方を中心に牛馬を襲う獣妖怪の名として当てはめられた。

日本での伝承

現代の辞典である『日本国語大辞典』や『広辞苑』にも記載されている存在で、筑紫国(福岡県)や周防国(山口県)において伝わる、イタチに似ている牛馬を害するもので「黒眚:シイ」と記述される。

江戸時代に書かれた『大和本草』の時点で筑紫国と周防国に伝わるという記述があり、牛馬に害を成し、賢く素早いので捕らえることは難しいとされている。

『斎諧俗談』においては奈良県吉野郡に棲むとされ、触れただけで顔や手足、喉を傷つけられる危険な存在である。

また『和漢三才図会』にもこの存在についての記述がある。

その他の伝承としては、和歌山県有田郡廣村および広島県山県郡ではヤマアラシと同一視されており、針のような毛を逆立てる姿を牛が恐れるために、牛を追う際には「シイシイ」とはやすのだという。

山口県大津郡長門市では、牛を田で働かせる際のタブーがあり(5月5日に使う、牛具を付けて川を渡る、女性に牛具を持たせる、5月5日から八朔の間に他の村の牛を引き入れる)、守らないと牛は黒眚に取り憑かれて食い殺されるとされる。

福岡県直方市にある福智山ダムには、かつては一つ目イタチのような黒眚が棲む洞窟があったことを伝える「𤯝らく」の石碑が建てられている。

それによると、永満寺地区では奇祭「スガラ祭」において子供達が「スガラのボウダイショ(菩提所)、虫しゃ川へ流せ、𤯝は山へ追いやぎぃ」と叫び、「あの女は𤯝らくさんのごとある(気性の荒いおばさんだ)」という慣用句があった。

さらに盛田地区では昭和初期まで、正月のある日には牛小屋に侵入されないように、一日中扉を閉めていたという。

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