プロフィール
人物
オードリー・ヘプバーン(英:Audrey Hepburn)は、アメリカで活躍したベルギー出身の映画女優。因みに国籍はイギリス(父親がイギリス人であるため)。母親のエラはオランダ貴族(男爵)の出身。
バレエで培われた優雅な仕草と軽やかな身のこなし、華奢な肢体と可憐な容姿で『銀幕の妖精』と呼ばれ、世界中から愛される清純派スターとなった。
日本では、『オードリー・ヘップバーン』と表記されることも多い。
少女時代
オードリーの父は、当時イギリスでも流行しつつあったファシズムに走って家族を捨て、母エラは生まれ故郷のオランダ、アーンヘムに戻って子供たちを育てた。しかし第二次世界大戦が勃発、祖父の領地や財産はナチスに没収され、伯父はレジスタンスに参加したかどで処刑、異父兄二人のうち一人は強制収容所へと送られてしまう(もう一人は辛くも逃亡に成功した)。オードリー自身、14歳の時に既の所で強制収用を逃れ、廃墟に身を潜めてわずかな食糧を食いつなぎ、1ヶ月後に半死半生で母の元へ戻るという経験をしている。
一家はその後別の街に身を隠し、オードリーは偽名を使って生活しながら、幼いころから続けていたバレエでレジスタンスの資金を稼いでいた。しかしやがてドイツ軍により食料の供給が立たれ、オランダが解放されたときにはオードリーは餓死寸前にまで追いつめられていた。危ういところで彼女を救ったのは、ユニセフの前身の連合国救済復興機関(UNRRA)による救援活動であり、この経験から後に彼女はユニセフの活動に取り組むこととなる。
女優デビュー
十代半ばまではプリマを目指して修業を積み、将来を嘱望されていたオードリーだが、背が伸びすぎた(身長170cm)ことや戦火の中でレッスンが途絶えたこと、栄養失調で体作りができなかったことなどにより、バレエの道を断念、母との生活を支えるため女優へと転身する。
生来の才能に複雑な生い立ちもあって数ヵ国語を話すことができたオードリーは、1951年、英仏両国語で撮影されるコメディ『モンテカルロへ行こう』に出演するためリヴィエラを訪れた。映画では端役だったが、ここで作家シドニー=ガブリエル・コレットの目に留まり、ブロードウェイ戯曲『ジジ』の主役に抜擢される。舞台は大成功となり、オードリーは一躍注目を浴びる存在となった。
ローマの休日
同じ年、オードリーは彼女の個性に着目したパラマウントの制作部長から推薦され、映画『ローマの休日』のオーディションを受ける。そしてスクリーンテストの際、わざと「カット」の声の後もカメラを回しっぱなしにした監督は、そこで見せたオードリーの茶目っ気たっぷりな表情を気に入り、アン王女役が決定した。
当初は主演男優グレゴリー・ペックの共演扱いだったが、オードリーの才能を確信したグレゴリーの主張によりダブル主演に変更された。
果たして彼の予言通り、無邪気な愛らしさと気高さを兼ね備えたアン王女に観客は夢中になった。
華奢で可憐な彼女の魅力は、それまでのグラマラスでセクシーな女優とは全く異なるものだった。映画は各紙・評論家から絶賛され、オードリーは映画初主演にしてオスカーを始めとする3つの主演女優賞を獲得した。
その後もオードリーは『麗しのサブリナ』、『ティファニーで朝食を』、『マイ・フェア・レディ』などのロマンスや、『シャレード』、『暗くなるまで待って』などのサスペンスから『戦争と平和』、『尼僧物語』といった文芸作品まで幅広く主演を務め、世紀を超えて愛される作品を生み出し続けた。
ジバンシィとの出会い
長身でスリムなヘプバーンを、より魅力的に演出したのがジバンシィのドレスである。
ヘプバーンが『ローマの休日』でスターとしての道を歩み始めたころ、ジバンシィもまた独立したメゾンを構え、一流クチュリエを目指し始めたばかりだった。
ヘプバーンとジバンシィは映画『麗しのサブリナ』の衣装をきっかけとして出会う。
以降、二人は才能を認め合い、必要としあう間柄となり、互いに深い敬意を抱いていた。二人はヘプバーンが逝去するその日まで親友であり続けた。
『ティファニーで朝食を』冒頭の、ヒロインがティファニーのショーウィンドー前でコーヒーを飲み、デニッシュを齧る有名なシーンにおいて、オードリーが着用しているのも、ジバンシィがデザインしたリトル・ブラックドレスである。
晩年
オードリーは家族と過ごす時間を大切にしたいと考え、1967年に一度引退する。
復帰後も何本かの映画に出演したが、1970年からは少女時代の自分を救ってくれたユニセフに協力し、親善大使に任命され、世界各地で活動を続けていく。
しかし1992年9月、活動先のソマリアから自宅のあるスイスに戻ったとき、彼女の体はすでに末期のガンに冒されていた。
最後のクリスマスを愛する家族と過ごしたオードリーは、1993年1月20日、自宅で静かに息を引き取った。
彼女の逝去は世界中で報じられ、日本でも多くのファンが別れを惜しんだ。葬儀にはジバンシィを始めとする多くの友人たちや一流の俳優たちが参列し、オランダ王室から献花が届けられた。
余談
- 可憐な美貌で世界から愛されたヘプバーンだが、その顔立ちは「ファニーフェイス(愛嬌のある顔)」と称されたように正統派の美人というわけではない。本人も自分の容姿にコンプレックスを持っていた。特に”えら”が張っていることを気にしており、正面から撮影されることを嫌がった。実際にスチールなどでは必ず顔に角度をつけてポーズをとる、顎に手を添えるなど涙ぐましい工夫をしている。
- ヘプバーンは甘いお菓子が大好物であり、特にチョコレートには目がなかった。『ジジ』出演のためにアメリカへ渡った際、ヘプバーンは咎める人が誰もいない船の上で、毎日好きなだけ食べられる日々を過ごした。その結果、アメリカについたときにはお菓子の食べ過ぎで体重が増えてしまい、ダイエットに励むことになった。
- コレットが「私のジジを見つけたわ!」と叫んだことは有名だが、『ローマの休日』監督のワイラーも、ヘプバーンの舞台を見て「僕のアン王女を見つけた!」と叫んだと言われる。ただし後者の方は作り話の可能性も高い。
代表作
・ローマの休日(原題:Roman Holiday)1953年 / アメリカ
・麗しのサブリナ(原題:Sabrina)1954年 / アメリカ
・ティファニーで朝食を(原題:Breakfast at Tiffany’s)1961年 / アメリカ
・シャレード(原題:Charade)1963年 / アメリカ
・マイ・フェア・レディ(原題:My Fair Lady)1964年 / アメリカ
アン王女(アーニャ・スミス) | サブリナ・フェアチャイルド |
ホリー・ゴライトリー | イライザ・ドゥーリトル |
吹き替え担当者
最初は散発的な吹き替えであったが、1970年代以降はほとんどの局でヘプバーンの吹き替えを池田が担当するようになり、「ヘプバーンの声は池田昌子」と呼ばれるほどイメージが定着していった。
ヘプバーンの生誕80周年を記念したDVD-BOXの発売に際して、新たな吹き替え収録が行われたが、当時すでに70を超えていた池田は出演を断るつもりでいたという。しかし熱心なオファーに負けて再びヘプバーンを演じることとなり、テレビ放映時と変わらぬ若々しい声を披露している。
NHK版の緑の館にて吹き替えを担当。
2022年5月13日放送の金曜ロードショー・ローマの休日(新吹き替え版)にて担当。実はオードリーの作品を見ていた時に母から声優の存在を教えてもらった事が声の仕事を知るきっかけだったという。運命か否かそのオードリーの吹き替えを担当する大役を担ったのである。
その他
阪口美奈子、二宮さよ子などが吹き替えた。
オードリー・ヘップバーンが名称の元になっているもの
- オードリー⇒日本のお笑いコンビの名前。
- オードリー・バーン⇒機動戦士ガンダムUCのメインヒロイン。主人公に名前を聞かれた時に見掛けた『ローマの休日』の看板から咄嗟に名乗った。
- オードリー・ドリームウィーバー⇒ラストオリジンのバイオロイド。名前はオードリーから取ったのを公式が回答している。
- オードリー⇒虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のメンバー、桜坂しずくのソロ曲。彼女のオードリーへの憧れが綴られている。
関連タグ
アンネ・フランク:オードリーと同年の出生。1957年、人気絶頂だったオードリーは映画『アンネの日記』への出演をオファーされたが、あまりにもアンネと少女時代の自分の境遇が似すぎていて辛い、とオファーを断った。
表記揺れ