曖昧さ回避
ロジータとは、海外の女性名「Rosita」のカナ表記。「ロシータ」とも。
スペイン語圏において薔薇を由来とする名前のひとつ。(同じく薔薇を由来とする名に「Rosa (ローサ)」がある。)
pixivではおもに以下を指す。
- ロジータ:日本の競走馬。詳細後述。
- ロジータ:『セサミストリート』のキャラクター。
- ロジータ:『SING(映画)』のキャラクター。
- ロジータ・エスピノサ:『ウォーキング・デッド』の登場人物。
ロジータ(競走馬)
1988年から1990年にかけて主に南関東公営競馬で活躍した競走馬(89世代)。牝馬ながら南関東三冠を制覇し、繫殖牝馬としても中央・地方問わず多数の重賞馬を輩出した名牝である。
馬名の由来はユリの品種名の一つ。意味そのものは「谷間のユリ」とされる。
馬主は加藤富保。川崎・福島幸三郎厩舎所属。
1988年(2歳)
10月7日、川崎競馬場ダート900m新馬戦でデビュー。1番人気1着。
2歳時は、新馬戦を含む4戦2勝だった。
1989年(3歳)
年明けからニューイヤーカップ、京浜盃と重賞2連勝を飾る。
その次に出走したのは、南関東牝馬三冠の第一戦となる桜花賞。ただし、桜花賞と言っても阪神で開催される同名のGI競走ではなく、浦和競馬場ダート1600mで施行される地方競馬の重賞競走(南関東SI)の事である。
(浦和)桜花賞
ロジータは、1周目のスタンド前では5番手につける。2周目の向こう正面では他の馬が先に仕掛けたことで7番手まで後退するも、第3コーナー入り口付近から進出を始める。馬郡の外を回り第4コーナー出口付近で先頭に立つと、そのまま押し切って1着でゴールインした。
そして次に出走したのは、南関東牝馬三冠の第二戦・東京プリンセス賞(SI)……ではなく、牡馬も出走してくる南関東三冠第一戦の羽田盃(SI)だった。
羽田盃
出走馬の中で、牝馬はロジータただ1頭のみであった。
向こう正面では7番手から先団の外側につける。第3・第4コーナーをそのままの位置で通過すると、最終直線でトウケイグランデイと並んで、最初から逃げていたホクテンホルダーを抜かすと、そのまま叩き合いとなる。最後は叩き合いを制して勝利した。
東京ダービー
ここでも牝馬はロジータのみだった。
ホクテンホルダーが逃げるが、そこまで馬郡はばらけない。1周目スタンド前で中団の外目につけたロジータは、向こう正面ではトウケイグランデイと並走し6番手争い。第3コーナーで外目から進出を開始すると、第4コーナー出口でホクテンホルダーに並ぶ。最後はほとんどムチを使う事なく、ホクテンホルダーに3馬身差をつける余裕の勝ちっぷりで二冠を制した。
初の古馬との対戦となる報知オールスターカップは敗れるものの、3歳牝馬ながら2着と強さを見せつける。
次に選んだのは、当時GIIIで当時の数少ない中央・地方交流競走だった(産經賞)オールカマーだった。
ここでロジータは、芝未出走ながらここまでの強さを評価されたのだろう、ダービー2着などの実績があるサニースワローらを抑え3番人気に推される。
しかしここには、ヤツが出走していた。同じく公営競馬・笠松出身のオグリキャップである。前年の有馬記念以来の出走であったが、もちろん1番人気である。ついでだが、2番人気は宝塚記念6着だったキリパワーだった。
産經賞オールカマー
初の芝出走だったが、向こう正面では3番手につけ、レコード勝ちしたオグリキャップから0.7秒差の5着に入線した。また、この結果により、ジャパンカップの出走権を獲得する。
次は地元・南関東に戻り、南関東三冠最後の東京王冠賞(現在の南関東牡馬クラシック最終戦はジャパンダートダービー)に出走した。なお、当時の南関東牡馬クラシックは現在のような短期集中型のアメリカンスタイルではなく秋に最後の一冠を競うヨーロピアンスタイルだった。
東京王冠賞
堂々の1番人気に推されたロジータ。第3コーナーから進出を開始すると、直線入り口では先頭に並びかける。そのまま先頭に立つと押し切って勝利し、牝馬としてただ一頭南関東三冠を制した。
こうして、「地方最強馬」の看板を引っ提げ、ロジータはジャパンカップに出走した。
1989年第9回ジャパンカップ
しかし、1989年第9回ジャパンカップと言えば、オグリキャップとの叩き合いを制したホーリックスが2分22秒22の世界レコードを叩き出したジャパンカップである。1800mおよび2200mの地点を、当時の日本レコードを上回るタイムで走破と言う非常に早いペースになり、さすがについて行く事が出来ず、ブービーのキャロルハウスから更に2秒差を付けられ最下位で入線した。
しかし、同年の優駿牝馬の走破タイム2分29秒0を上回る2分26秒9で走破し、地方最強馬としての意地を見せた。
次に選んだのは東京大賞典だったのだが、ジャパンカップでの負けが響いたのか、ロジータは2番人気に留まる。1番人気は岩手からやって来たスイフトセイダイである。
東京大賞典
レースの結果は、もはや圧勝だった。第4コーナーを先頭で通過し逃げ切りを図るスイフトセイダイを外から抜かすと、ムチを使わず馬なりで4馬身差で制した。
まだまだ期待できたのだが、陣営の早めに繁殖入りさせたいとの判断から、翌年の川崎記念が引退レースとなった。
1990年
さて、引退レースとなった川崎記念であるが、ロジータの人気は凄まじいものであった。なんでも、
・単勝支持率80%、もちろん1.0倍の100円元返し
・他馬の単勝は全て100倍以上
・ロジータの絡まない枠連も全て万馬券
だったそうな。
それどころか、ロジータの記念馬券を求めるファンの列は締め切りを過ぎても続いた結果、発走時刻が遅れてしまったらしい。この時の入場人員のレコードは、ホクトベガの日本ラストランとなる川崎記念まで破られる事は無かった。
川崎記念
結果はと言うと、第4コーナーを回ると独走で、馬なりのまま2着馬を8馬身ぶっち切る圧勝で引退の花道を飾った。ロジータが先頭に立った時には、大きな歓声が上がったらしい。
引退後
川崎競馬はロジータの功績を称え、3歳牝馬限定重賞のロジータ記念(SI)を新設した。
また、2010年にはNARが牝馬限定の世代別ポイント制シリーズ「GRANDAME-JAPAN(グランダム・ジャパン)」を創設。そのキャッチフレーズとして『ロジータふたたび』という言葉が用いられた。
なお、2016年度のグランダム・ジャパン公式サイトでは、ロジータが後述するカネツフルーヴとレギュラーメンバーと共に登場している。
繁殖牝馬としても優秀で、2003年の川崎記念で母子制覇を果たしたカネツフルーヴを輩出した。また、第一子であるシスターソノは成績は振るわなかったものの、その子(つまりロジータの孫である)レギュラーメンバーが、川崎記念を含むGI級競走4勝を挙げている。
繁殖牝馬として引退した後も高瀬牧場で余生を送っていたが(繫殖牝馬時代より牧場のボス的存在だったとのこと)、2016年12月1日に永眠した。31歳没。なお、その死の公表はなぜか約1年後、2017年11月のロジータ記念開催直前に行われた。
ロジータ記念開催当日の川崎競馬場では献花台が設けられ、主戦騎手の野崎武司元騎手と福島調教師の次男・福島秀夫調教師が献花に訪れ、天へと旅立った地方競馬屈指の名牝に冥福を祈った。