解説
日本で古代から使われていた魔除けなどの呪術的意味のある装身具。日本において縄文時代から現代まで受け継がれている数少ない文化の一つである。
丸みを帯びた曲がった形状をしており、曲玉と表記されることもある。
今を遡ること1万年以上前の縄文時代早期に発生し、縄文時代から古墳時代にかけて新潟県の糸魚川産の翡翠が使用され、各時代の多くの遺跡で見つかっている。多くは翡翠、瑪瑙、水晶、滑石、琥珀、鼈甲が原材料として使用されるが、中には土製品も存在し、僅かに金属製品もある。初期は小型であったが、弥生時代に形状が複雑化し、古墳時代には大型化の頂点に達したが、役割としては威信材となるにとどまった。飛鳥・奈良時代には新規に製造されることがなくなり、伝世品が仏像の装飾に使われた。霊的な力を持つとされ、現在でも神具として古代の勾玉が伝承されている神社もある。
基本的に日本固有の文化であるが、朝鮮半島南部の遺跡でも糸魚川産の翡翠勾玉などが発見される事が有り、古代日本と朝鮮半島とが深い影響関係にあったことを示しているものと見られている。
語源は「曲がった玉」であり、のちに『曲(がる)』という文字にあまりいい意味が含まれていないということから、『勾』の当てているようになったという。
一般的には首飾りとしての印象が強いが、沖縄ではノロ(祝女、巫女)の祭具として今でも使用されている。
古代日本の実情を表した『三国志』『魏書』の「倭人伝」では、卑弥呼の妹で後継者であった壱與から魏の使者への献上品として翡翠の大勾玉が献上されたと記されている。
神具としての勾玉
玉は『魂(みたま)』に通じるとされ、古来より勾玉には霊的な力が宿ると信じられてきた。また三種の神器の一つには玉祖連(玉造部)の祖神である玉屋命が製作した八尺瓊勾玉があるように、神前へ奉るための神具としても珍重されてきた。
同時に勾玉は『月』の象徴ともみなされ、月読命を表すとされた。
これには勾玉と月が、ともに「霊的・精神的なイメージ」を持つことから結びつけられたものである。
こうした背景から、現在でもお守りや開運アイテムとして人気があり、パワーストーンなどを加工したものが、一般量販店やネットをはじめとして各所で販売されている。
形について
以下のような諸説ある。
なお太極図がモチーフだと勘違いしている人もいるが、現在よく知られる陰陽魚は早くとも十世紀以降に考案された物であり、先史時代に登場した勾玉の方が歴史は遥かに古い。
よって両者の間に因果関係はないか、あるいは逆に勾玉が太極図のモチーフになった可能性すらある。
関連イラスト
関連タグ
イーユイ:勾玉がデザインのモチーフであり、目の部分についている。
おジャ魔女どれみ:見習い試験1級に合格して手に入れた水晶玉の形状