海ゆかば(楽曲・和歌)
海においても陸においても、我が大皇(おおきみ)の御為に生命を捧げて毫(すこし)も恐れないという純忠至誠の意を述べたもの。
「大伴佐伯宿禰波 常母 云如久、天皇朝(スメラガミカド)守仕奉事、顧奈伎 人等爾 阿礼波、爾多知乃 祖止母乃 云来久、海行波 美豆久屍(ウミユカバミヅクカバネ)、山行波 草牟須屍(ヤマユカバクサムスカバネ)、王乃 幣爾去曽 死米(オホキミノヘニコソシナメ)、能杼爾波 不死(ノドニハシナジ)止 云来流 人等 止奈母 聞召須」
と見え、また『万葉集』第十八天平感宝元年五月越中守大伴家持陸奥国より黄金の出でしを賀して詠みし長歌の一節に
「大伴能遠都祖神乃(オホトモノトホツカムオヤノ)、其名乎婆大来目主登(ソノナヲバオホクメヌシト)、於比母知弖都加倍之官(オヒモチテツカヘシツカサ)、海行者美都久屍(ウミユカバミヅクカバネ)、山行者草牟須屍(ヤマユカバクサムスカバネ)、大皇乃敝爾許曽死米(オホキミノヘニコソシナメ)、可弊里見波勢自止許等太弖(カヘリミハセジトコトダチテ)、丈夫乃伎欲吉彼名乎(マスラヲノキヨキソノナヲ)、伊爾之敝欲伊麻乃乎追通爾(イニシヘヨイマノヲヅヅニ)、奈我佐敝流於夜能子等毛曽(ナガサヘルオヤノコドモゾ)」
とあるのによる。
※言立(ことだて)とは、言葉に発表することをいう。責任を以て言明すること。
米軍による分析
米軍は大日本帝国海軍内で定番の楽曲ということで、日本海軍の行動パターンの理念を探るために本歌を分析した。すると翻訳した楽曲を再翻訳して和歌・古文の装飾性を取り除き、ドライに口語文に直した結果が次のとおりだった。
- 「海には水死体 山には変死体 私は天皇のためにだけ死ねる そのことにためらいはない」
つまりアメリカが大日本帝国海軍をどのような行動理念の集団と判断したか……言うまでもないだろう。
戦後の「海ゆかば」
「海ゆかば」が当時日本の準国歌とされ大本営発表で頻繁に流されるなどしたために、作曲家の信時潔は戦後、音楽史から抹消された。今の海上自衛隊では基本的に弔事の際に使われる。
東儀季芳作曲の「海行かば」
こちらは漢字表記の「海行かば」と表記されることが多い。
末尾の歌詞が「長閑には死なじ」となっている「陸奥国出金詔書」の詞を採用している。
戦前の海軍では将官礼式曲として使用されており、海軍公式の「海行かば」はこちらだったとされる。
「軍艦行進曲」の間奏部にメロディが引用されており、戦後の音源では合わせて歌われることもある。
余談
表記ゆれの「海行かば」はしばしばぎなた読みされる。
また、顕正会ではこの曲をリメイクしたと思われる「遺命重し」という曲が存在する。