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パットンの編集履歴

2014-01-07 15:27:34 バージョン

パットン

ぱっとん

第二次世界大戦時にアフリカ戦線・欧州戦線で活躍したアメリカ陸軍の将軍。または、 彼にちなんでつけられた戦車の名称

概要

  1. ジョージ・パットン……第二次世界大戦時のアメリカ陸軍の猛将
  2. パットン戦車……上記パットン将軍より名前を取られた戦車。M46M47M48M60の四種類が存在する
  3. ランスシリーズ(アリスソフト)の登場人物……パットン・ミスナルジ

関連タグ

M2ブラッドレー M1エイブラムス


ジョージ・パットン

(基本的にこの項目はウィキペディアの記事を参照している)

 ジョージ・スミス・パットン・ジュニア (George Smith Patton Jr.、1885年11月11日 - 1945年12月21日)は、アメリカ合衆国陸軍軍人

由緒正しい軍人一家にうまれ、軍人にあこがれていた。幼少時は失読症の気配があったとされる。卒業後、オリンピック近代五種の選手として出場、5位入賞を果たす。

軍隊におけるキャリア

 彼は基本的に「攻勢に対して優秀な将軍であり、根っからの戦争好き」であったと推測される。


 彼は騎兵隊サーベルを研究、デザインを行う(なおこのサーベルはアメリカ陸軍騎兵隊の最後のサーベルである)。

 また、メキシコとの戦争の際には功績を挙げる。

 第一次世界大戦においては戦車部隊の指揮を執ることになる。この際、塹壕を用いる戦いは廃れることは予測(これは特にヨーロッパにおいて正しいことが証明される)。


 戦争が終了し、彼は戦車機械化部隊の重要性を説いたが、それは平和の中受け入れられなかった。

 また、戦争で先頭に立って指揮を執ることが好きな彼は平和な状態に対して精神的に不安定になっていたとされる。


 しかし、第三帝国中国大陸などの動向によりきな臭くなってくると彼は元に戻った。さらにドイツ電撃戦により彼の主張である戦車等の重要性も認められた。


 第二次世界大戦において、彼は「イタリア軍並み」と呼ばれていた北アフリカのアメリカ軍をたたきなおし、とにかく鍛えなおし、イギリス軍と協力してドイツの勢力を着任6ヶ月で駆逐した。

 

 次に彼はイタリアシチリア島の作戦に従事する。この際、彼は事件を起こす。 彼は「勘違いにより戦闘ストレス反応の兵士を殴打した」が、これがマスコミに報道され非常に重大な問題となり、一時指揮権限を剥奪される(本国送還もありうる状況であった)。


 指揮権限の剥奪は10ヶ月にも及び、しかもそれが終了した後も与えられた任務は「ノルマンディー上陸作戦のおとり部隊の隊長」というものであった。しかし、有能である彼はノルマンディー上陸作戦の終了後、指揮をとる立場に復帰した。彼はドイツ軍に対し「電撃戦」を行い、フランスにおけるドイツ軍を攻略した。しかし、補給が間に合わなくなりフランスとドイツの国境であるロレーヌ地方で足止めを食らうことになる。

 その後それは解消され、ドイツ本土に侵入。バルジの戦いと後に呼ばれる戦いでは、ヒトラーの考えを先読みして部隊を動かし、仲間部隊を救出することに成功。


 ドイツの降伏により戦争が終わったものの、彼はドイツにおける合法的かつ唯一の政党であったナチスを擁護する発言および行動をとった(具体的には戦争終了前に「ナチスと手を組んで今のうちにソ連軍を叩くべきだ」と発言したり非ナチ化政策をとらないなどの行動)と思われたため、左遷。その後交通事故により死去(暗殺説も流れる)。


彼の思想など

 彼は幼少時から強い英雄願望を持ち、それを実行した人物といえる。ただ彼は第二次世界大戦の初期の思考で動いていた「古い」軍人として見られている(実際にはソ連に対する警戒心などは持っていたが)。

 彼は輪廻転生北欧神話を信仰しており、ハンニバルの生まれ変わりと信じていたらしい。


パットン戦車

 第二次世界大戦の後、アメリカ合衆国において製造された戦車(重戦車、後に主力戦車)の愛称(なお、アメリカにおける戦車の愛称には*優秀な*アメリカ陸軍軍人の名称がつけられる)。

M46

 特に山岳地での機動性に問題があったM26パーシング重戦車を改良(具体的にはエンジントランスミッションの交換、M26でも行われた排煙機とマズルブレーキの改良)した戦車。1949年制式採用。

 この戦車は主として朝鮮戦争の後期に使用された。アメリカでは1957年まで使用された。

M47

 M46の車体にT42中戦車(試作中製造取りやめ?)の砲塔(M36 90mm戦車砲搭載)を搭載した戦車。1951年制式採用。なお戦車は砲塔の設計に問題があったためアメリカ国内では速やかにM48パットンに更新された(同盟国には供与された)。

M48

 これまでのパットン戦車およびシャーマン戦車の後継として徹底的に設計を見直しを行った戦車である。運転席の中央配置、それによる補助運転席の廃止、新型の砲塔、改良されたサスペンションがつけられた。

 なお、この戦車の初期型はガソリンエンジンであったが、発火事故が発生しやすいため、ディーゼルエンジンに換装された。

 また長く使用されたため、改修が行われ、次世代の戦車であるM60戦車と同様の戦車となったものも存在する。

 1970年代中盤にはM60パットンに切り替えられ、予備役や州兵の兵器として用いられた。

 イスラエルにおいてはマガフに改修(エンジン換装、主砲換装、駆動油変更)されたものも存在する。

M60

 この戦車はM48のエンジンをディーゼルに変更し、主砲をイギリス製105 mm 戦車砲L7A1(105mmM68砲、一部は152 mmガンランチャーM162に積み替えた)に交換したものである。この戦車は一般的にパットン戦車と呼ばれるが、正式な愛称ではない。

 また、この戦車は当初、次期戦車のつなぎの意味しかなかったものの、次期戦車のドイツとの共同開発(MBT-70計画)が失敗、次期戦車の開発に手間取ったため、この戦車はさらに近代改修され、アメリカ軍においては1980年に後継であるM1エイブラムスが採用された後も湾岸戦争まで使用されたとされ、現在でも使用している国も存在する。

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