背景
日本海軍は当初オーストラリアをこの戦争から脱落させるためにフィジー、サモア方面の攻略を企図していたが、ミッドウェー海戦での大敗北により空母四隻を失い延期せざるを得なくなった。さらに失った分の航空兵力の補充をするため、日本軍はガダルカナル島(以下ガ島)にルンガ飛行場を建設。7月末には滑走路の一部が完成した。この時、ガ島ルンガ飛行場建設を進言した第四艦隊司令官の井上成美中将含む日本軍上層部はこんな小島に連合軍が攻めてくるなどとは全く予想をしていなかった。
アメリカ軍の攻撃
日本軍の考えとは裏腹にアメリカ軍はこの地域を重視し、ガ島に飛行場が作られるとオーストラリアとの連絡線が遮断されることを危惧した。7月上旬には、フランク・J・フレッチャー少将指揮の空母「エンタープライズ」「サラトガ」「ワスプ」からなる機動部隊、リッチモンド・K・ターナー少将指揮の巡洋艦8隻、駆逐艦15隻等から構成される上陸部隊がアレクサンダー・ヴァンデグリフト少将を師団長とする第1海兵師団約1万9000人を乗せ、フィジー諸島に集結した。1942年8月7日早朝アメリカ海兵隊約3000人を主力とする部隊が対岸のツラギに奇襲上陸。対する日本軍には守備隊は約400人ほどしかおらずその日の夕方玉砕した。ほぼ同時期にガ島にもアメリカ軍が上陸、すぐさま内陸に撤退した。
日本軍の対応
大本営、特に陸軍では、現地からの強大であるという報告を受けても、精々強行偵察であり反攻作戦ではないと考えた。大本営では連合軍の反攻は翌1943年であると予想していたからである。また陸軍内ではガ島飛行場建設の話は、作戦課内での事務的なやり取りでしか知らず、大本営以外ではその存在を知らなかったのだ。よく陸軍は全く知らなかったと言われるが、正確には一部の人間しか知らなかったことになる。現地の日本海軍第8艦隊(三川艦隊)と第11航空艦隊司令部及び所属の第25航空戦隊(以下25航戦)は事の重大さを認識し、25航戦は直ちに機動部隊に対し攻撃を開始した。一方、第8艦隊では、神重徳作戦参謀発案の殴り込み作戦を実行することが決定され、すぐさま出撃準備にあたった。当初では重巡洋艦鳥海と緊急電でラバウルから南に向かっていた重巡古鷹、加古、青葉、衣笠からなる第六戦隊を集め五隻で突入する予定であったが、ラバウルにいた第18戦隊の軽巡洋艦天龍、夕張、第29駆逐隊の駆逐艦夕凪が参加要請を出してきた。第8艦隊司令長官三川軍一中将は、艦齢が古く速度も遅いため夜戦に向かないとして断ったが、第18戦隊参謀の膝詰談判により、結局、艦隊最後尾に置かれることとなった。このようにして、寄せ集めで編成された第8艦隊は合同訓練すら行われないまま作戦に従事するという不安要素をもって設立後初めての海戦に臨む事となった。
作戦の要点
前述した不安要素から神重徳参謀は単純な戦闘行動を取ることとし、以下の要点を示した。
- 第一目標は敵輸送船
- 複雑な運動は避け単縦陣による一航過の襲撃とする
- 翌朝までに敵空母の攻撃圏外から離脱すること
- ソロモン列島間の中央航路を通りガダルカナル泊地にまで進出する
この他にも陸軍に対し奪還のための逆上陸部隊の派遣を要請したが、当時ニューギニア方面で別作戦が行われていたため余裕がなく、止むを得ず海軍陸戦隊590名が投入される事となった。8月7日14時30分に「鳥海」「天龍」「夕張」「夕凪」はラバウルを出撃、16時頃に「第六戦隊」と合流し、一路ガ島に向かった。
前哨戦
第25航空戦隊の空襲
8月7日朝8時頃ラバウルから零戦17機、一式陸上攻撃機(以下陸攻)27機、九九式艦上爆撃機(以下99艦爆)9機が出撃。アメリカ軍の戦闘機11機と艦上爆撃機を1機を撃墜し、駆逐艦1隻を小破させたが、零戦2機、陸攻5機、99艦爆4機を失い、99艦爆5機が不時着した。不時着した99艦爆は事前に待機させていた水上機母艦「秋津島」と第29駆逐隊「秋風」「追風」によって救助された。また、この戦闘で坂井三郎が被弾している。翌8日も零戦15機、陸攻23機による攻撃が行われたが、駆逐艦「ジャービス」大破のち沈没、輸送船1隻船体放棄させるが、陸攻18機が未帰還、零戦1機自爆という大損害を出してしまった。機動部隊のフレッチャーは、これまでに珊瑚海海戦とミッドウェー海戦でそれぞれレキシントン、ヨークタウンを失っていたために消極的になっており、日本軍の攻撃圏内に居るのは危険として、上陸部隊と上級指揮官の南太平洋海軍部隊指揮官ゴームリー中将に一時退避の旨を伝え、上空援護を独断で放棄し撤退(4時間後にゴームリーはこれを追認)した。
第8艦隊突撃準備
第8艦隊は航行中に何度か哨戒機に発見されたが、針路を偽装するなどしてやりすごした。一方で陸戦隊を乗せた輸送船団は米潜水艦の攻撃を受け、引き返すこととなった。敵哨戒機が去った後、第8艦隊は水上機部隊を回収、この時加古の零式水上偵察機が未帰還となった。また、16時30分頃に「秋津島」とすれ違い、情報を交換した。三川は、これらの情報から敵戦力を「戦艦1隻、甲巡洋艦4隻、駆逐艦7隻、特設空母らしきもの1隻、輸送船15隻」と推定し、同時に最も脅威である機動部隊が250浬圏内に存在しないと判断し、以下の戦闘要領を各艦に通達した。
- サボ島南側から突入しルンガ沖の主敵を雷撃後、ツラギ沖の敵を砲雷撃した後、サボ島北側から離脱する。
- 突入は一航過とし、出来る限り速やかに空襲圏外に離脱する。
- 突入時刻はを23時30分以前とし、翌日出時(4時40分)にはサボ島の120浬圏外に避退する。
- 狭隘な水道内戦闘であるので混乱防止のために各艦距離1200mの単縦陣とし、反転突入は全く考慮しない。
- 使用速力は燃料消費率も考慮し26ノットとする。
- 水偵をガダルカナル泊地に3機、ツラギ港外に1機進出させ吊光弾による背景照明を実施する。
- 敵味方識別のためマスト両舷に白色吹流を掲げる。
- 右舷側への雷撃が多いと思われるので予備魚雷は全て右舷側に移すこと。
以上を伝えた上で日没後、次の戦闘前訓示を伝えた。
帝国海軍ノ伝統タル夜戦ニオイテ必勝ヲ期シ突入セントス。各員冷静沈着ヨクソノ全力ヲツクスベシ
第8艦隊は、「鳥海」を先頭に、「青葉」「衣笠」「加古」「古鷹」「天龍」「夕張」「夕凪」の順で単縦陣を組んで、ガタルカナルを目指した。
連合軍の動向
連合軍は先の25航戦の空襲により物資の揚陸作業が遅れ、夜を徹して作業が続けられていた。加えて、日中の空襲により36時間連続の戦闘配置が続けられていたため、乗員の疲労は溜まっていた。護衛艦隊はV・A・C・クラッチレー英軍少将を総司令官に、共に重巡3隻、駆逐艦2隻から成る北方部隊と南方部隊、軽巡2隻、駆逐艦2隻から成る東方部隊、駆逐艦2隻から成る哨戒隊の4つから成っていた。第8艦隊の情報は勿論届いていたが、「ラバウルへ向かう」或いは「島嶼間の移動」と判断された上、護衛艦隊で充分対処できると楽観視し、むしろ上陸作業の今後についてが重要視されていた。戦闘開始時にはこのための作戦会議が行われており、クラッチレーは、ターナーやヴァンデグリフトとともに護衛艦隊旗艦の重巡「オーストラリア」から上陸部隊旗艦の輸送船「マーコレー」に移動していた上、統一指揮権を委譲していなかった。
戦闘経過
第八艦隊突撃
第8艦隊は21時、吊光弾投下のために各艦から水偵を発艦させた。22時43分、旗艦「鳥海」見張員が右舷側距離9000mに敵艦を発見し、直ちに三川長官が「戦闘」を下令した。発見したのは哨戒隊の駆逐艦「ブルー」であった。「ブルー」はレーダーを搭載していたが、僚艦と誤認し、第8艦隊もこれをやり過ごした。この他にも連合軍はレーダーやエンジン音で第8艦隊や水偵を探知していたが、当時のレーダーは低性能なために不明確であったり、水偵を味方機と誤認して全く行動を起こさなかった。そのため、攻撃は完全に奇襲となった。
南方部隊壊滅
サボ島沖南方に到着した23時30分頃、「全軍突撃せよ」が下令され、間もなく南方部隊と遭遇した。23時43分、水偵隊が吊光弾を投下。47分、先頭の重巡「キャンベラ」に対して砲雷撃戦を開始。第6戦隊も、「キャンベラ」他、後続の重巡「シカゴ」、駆逐艦「パターソン」にも攻撃を開始。日本艦隊は3700mというかなり近い距離に接近していたため、主砲のみならず高角砲や機関砲に至るまでを南方部隊に浴びせた。「パターソン」は全軍に警報を発令し、照明弾を打ち上げるが、「天龍」の探照灯射撃により艦橋を潰され、早々に退却した。「キャンベラ」は「パターソン」からの警報を受け戦闘配置に就こうとするが、直後僅か3分で航行不能になる。「シカゴ」も大破しスコールの中に逃げ込んだ。結果として「パターソン」が警報を発令してから僅か6分で南方部隊は壊滅した。この戦闘で「天龍」と「夕張」が被弾した以外は第8艦隊は無傷であったが、「夕凪」は故障により自艦位置喪失のため退避し、「キャンベラ」との衝突回避のため「古鷹」以下、「天龍」「夕張」の3隻(以下「古鷹」隊)が第8艦隊から逸れてしまうが、これが後に思わぬ事態を招くこととなる。
北方部隊壊滅
南方部隊壊滅後、ガ島の対岸ツラギ港に向かった「鳥海」以下4隻(以下「鳥海」隊)は、新たな部隊を発見した。「鳥海」は直ちに探照灯を照射。これは重巡「ヴィンセンス」を旗艦とする北方部隊だった。北方部隊は南方部隊から連絡で戦闘態勢に入っていたが、前述した統一指揮権の問題により、正確な情報が分からず、南方部隊の上陸支援砲撃か少数の日本駆逐艦と戦闘しているものだと思い、おまけに探照灯を照射した「鳥海」を味方と勘違いして敵味方識別信号を送る始末だった。「鳥海」隊は、まず3番艦の重巡「アストリア」に距離5000mで攻撃を開始。「アストリア」は味方の誤射だと勘違いして反撃せず、日本軍だと気づいた時には大破していた。反撃により「鳥海」の砲塔1基を破壊するが、翌日転覆して沈んだ。続いて2番艦の重巡「クインシー」に対し砲撃、初弾により搭載している水上機が燃え、恰好の目標となった。日付が変わった直後、なんと逸れていた「古鷹」隊が北方部隊を間に挟んで「鳥海」隊の反対側に出現。意図せずして、第8艦隊は北方部隊を挟撃する形となり、北方部隊の状況は絶望的となった。「クインシー」は0時35分に転覆沈没。「ヴィンセンス」も同様に初弾で水上機が炎上して「クインシー」の二の舞となり、「青葉」の砲撃で艦橋と首脳陣を吹き飛ばされ、0時50分に同じく転覆沈没した。残る駆逐艦2隻は南方部隊救援のため、第8艦隊と行き違っており、戦闘に参加できなかった。第8艦隊はサボ島沖に集結地点へ離脱を開始。このとき「天龍」と「夕張」が哨戒隊の駆逐艦「ラルフ・タルボット」と遭遇、これを大破させている。
第八艦隊反転せず
海戦は日本軍の大勝利に終わったが、司令部では早期撤退か、再突入かで意見が別れていた。「鳥海」艦長早川幹夫大佐は、「鳥海一艦で敵輸送船団を撃滅する」と言ってまで再突入を主張した。しかし、所在不明の米機動部隊が救援に駆けつける可能性を無視できず、魚雷のほとんどを使用してしまい、加えて艦隊陣形が乱れていたため、再突入は危険と考え、三川は早期撤退を決断した。
加古撃沈
第8艦隊は夜明けまでに30ノットで避退し、無事攻撃圏外への離脱に成功。9日8時に突入部隊の解列を下命し、第6戦隊はニューアイルランド島カビエンへ、「夕張」と「夕凪」はショートランド泊地へ、そして「鳥海」「天龍」はラバウルへ各々帰投した。第6戦隊は「青葉」の水偵が上空を旋回し、味方制空権内であることもあり、ガビエンまで残り100浬の地点でジグザグ運動を中止した。だが、米潜水艦「S-44」が第6戦隊を発見し、潜望鏡を使わずに聴音のみで雷撃。魚雷は「加古」に3本命中し、直後5分程で沈没した。艦長の素早い判断で犠牲者は67名に済んだが、一瞬の気の緩みを衝かれた損害であった。戦隊司令官の五藤存知少将は救助された艦長に自身の判断の誤りであるとすぐに謝罪した。S-44は攻撃後すぐに離脱した。
結果
第8艦隊では「重巡洋艦4隻、甲巡3隻大火災沈没確実軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻撃沈、軽巡洋艦1隻、駆逐艦2隻撃破」を主張。これを受けた大本営は25航戦が上げた誤認の戦果と合わせて「米甲巡6隻、英甲巡2隻、艦種未詳乙巡2隻、駆逐艦9隻、潜水艦3隻、輸送船10隻」「戦艦1隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦4隻、輸送船10隻撃沈。甲巡1隻撃破、輸送船4隻を撃破・大破、戦闘機49機、爆撃機9機撃墜、見方機21機喪失、巡洋艦2隻損傷」という素晴らしい大本営発表を行った。しかし実際は、豪重巡「キャンベラ」、米重巡「アストリア」「クインシー」「ビンセンス」が撃沈。米重巡「シカゴ」、駆逐艦「ラルフ・タルボット」「パターソン」が大破というものだった。
日本側の損害は、「鳥海」が砲塔1基と後部艦橋を破壊され、「青葉」は1・2番魚雷発射管が使用不能、「衣笠」は左舷舵取機室が故障し、第一機械室に火災が発生した他、若干の浸水、「加古」と「古鷹」は被害報告が無く、「天龍」と「夕張」の被害は砲弾が貫通する程度で最小だった。
また、ツラギ奪還に向かうはずだった海軍陸戦隊輸送船団が米潜水艦の攻撃で撃退されたため、ガダルカナル・ツラギの早期奪還作戦は頓挫し、本来の目的である輸送船団は撃沈出来なかった上に物資及び部隊の揚陸も阻止できなかったため、日本側の作戦は失敗したと言える。特に輸送船団を攻撃しなかった事は現在に至るまで大きく非難されており、海戦後に報告を聞いた連合艦隊司令長官山本五十六は「こんなものに勲章をやれるか」と激怒したとされる。
一方で、退避が遅延して米機動部隊の攻撃を受ければ、被害は「加古」だけでは済まなかったとする見方もある。
また、この海戦で探照灯射撃をした「鳥海」では、艦隊司令部が置かれた艦橋と壁一枚を隔てて隣の作戦室が被弾しており、砲弾は炸裂しなかったが、当たり所によっては司令部全滅の危機に瀕していた。しかし、連合軍が自軍の弾薬の粗悪性に気付くことを防ぐために緘口令が布れたため、探照灯射撃の危険性は戦訓に生かされず、これが第三次ソロモン海戦での「比叡」、「暁」沈没の遠因となった。
戦術的に敗北した米軍は苦渋に満ちており、数か月にかけて関係者から事情聴取した。結果は、「シカゴ」のボート艦長のみが唯一懲戒処分にあたるとされ、他の指揮官は咎められず、経歴に傷が付くことはなかった。ボートは後にパナマ運河地帯の基地で自殺した。また、北方部隊司令官兼「ヴィンセンス」艦長のリーフコール大佐は処分は免れたが、二度と艦長となることはなかった。
戦後に太平洋戦史をまとめたS.E.モリソンはこの海戦をこうつづっている。
「これこそ、アメリカ海軍がかつて被った最悪の敗北のひとつである。連合軍にとってガタルカナル上陸の美酒は一夜にして敗北の苦杯へと変わった。」
なおこの海戦によって戦闘が過激化したためアイアンボトム・サウンドの生みの親といっても過言はない。
損害
日本軍
沈没喪失
重巡洋艦「加古」 (帰投中米潜の雷撃により。)
小破
連合軍
沈没喪失
重巡洋艦「キャンベラ」、「ヴィンセンス」、「クインシー」、「アストリア」
駆逐艦「ジャービス」
大破
重巡洋艦「シカゴ」
駆逐艦「ラルフ・タルボット」
中破
駆逐艦「パターソン」