GHQ
じーえいちきゅー
概要
連合国軍最高司令官総司令部(General HeadQuarters)の英語の通称
戦後に日本に対して、以下の洗脳・マインドコントロール工作を行ったことで有名。
WGIP
正式名称:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(ウォー・ギルト・プログラムあるいはウォー・ギルト・インフォメーションとも)
英語訳: War Guilt Information Program
太平洋戦争(大東亜戦争)終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による、日本占領管理政策の一環として行われた、宣伝を使った洗脳工作・愚民化政策の一つの名称。
この名称は1980年代後半に江藤淳氏(文学評論家、大衆迎合に属さない復古的な保守派として有名であり日本は実質的に独立国家ではなくなっていると主張したことでも知られる)が「GHQの内部文書に基づくもの」として自著にて発表したことにより明らかとなった。
実際にこの政策を行ったのはGHQの民間情報教育局 (CIE)であるとされ、1948年(昭和23年)2月6日付に、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」との表題の文書で民間情報教育局からCIS・参謀第2部民間諜報局(G-2)宛てに発せられた。
この工作は一連の工作に関しては敗戦国に対するプロパガンダであり、マインドコントロールの一種とされる。
具体的には戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるため、新聞社などの国民の情報機関を占領して乗っとり、GHQへの批判や日本の擁護を一切禁止させ、日本や日本軍(まとめて軍国主義者)が悪かったという一方的な宣伝を行わせたとされる。
この政策は「日本の「軍国主義者」が何を行い、それに対し連合国はどう立ち向かったか」ということを宣伝するための行為である。このほかにも『プレスコード』と呼ばれる検閲(すなわち「何を伝えてはいけないか」という方面からの規制)などの行為なども同時に行われた。
これらの宣伝行為は、GHQにより政策自体は行われているものの、現代までアメリカの公文書としてWar Guilt Information Programと記述されたものが発見されていないとして、発表者である江藤淳氏の作り話だと一部においては陰謀論扱いされることがあった。
しかし、2015年に近現代史研究家の関野通夫氏が公式文書を発掘し、同年3月に出版された著作『日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦』(自由社ブックレット)に公式文書を写真で掲載し、同年の月刊『正論』の5月号にも掲載された。
具体例
新聞
昭和20年の12月8日(1941年の真珠湾攻撃の記念日)から、GHQの命によって全国の新聞社に「太平洋戰爭史」という連載記事が10回にわたって掲載された。
その内容は張作霖爆殺事件(1928年に発生した中国大陸の軍閥指導者の暗殺事件)からミズーリでの降伏文書調印式(昭和20年9月2日、これによりポツダム宣言、すなわち全日本軍の無条件降伏を含む全13か条から成る宣言の受諾は外交文書上固定された)までを題材とした「日本の悪行(過剰な表現等を含む)」をことさらに強調されたものであった。
書籍
GHQはさらに太平洋戰爭史を昭和21年4月に単行本化し(この時点で「聯合軍總司令部民間情報教育局資料提供」としている)た。
また、昭和24年2月に発売された随筆集「長崎の鐘」にマニラ大虐殺(フィリピンのマニラにて庄和20年2月から3月にかけて発生した戦闘により日本軍による民間人の大量虐殺が発生したというものである、これにより無防備都市宣言しようとした山下奉文大将が絞首刑となった。ただし、アメリカ軍の戦闘行為、すなわちマニラに対する無差別砲爆撃等による死者も馬鹿にならないことを隠ぺいするための陰謀であるという意見もある)に関する資料を掲載させた。
教科書
「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」を昭和20年12月31日に出し、それまでの教科書を回収、当然新しい教科書準備は間に合わないため、先の太平洋戰爭史を教科書として使用させた。
教科書の検問基準は5つあり以下の通りである
- 天皇に関する言葉で「現御神(あきつみかみ)」「現人神(あらひとがみ)」「大君(おおきみ)」などを扱ってはならない
- 国家的拡張に関する言葉で「八紘一宇」「皇道の道」「肇国の精神」などは扱ってはならない
- 愛国心につながる用語を記載してはならない(愛国心がタブー視されていく源がここにある)
- 日本国の神話の起源、あるいは英雄及び道義的人物としての皇族、これを扱ってはならない
- 神道や祭祀、神社に関する言及をしてはならない(神道指令)
実際に禁止されたものに、以下のものがある。
- 国民から尊敬される天皇の歴史を教えてはいけない(天皇の負の面しか教えてはいけない)
- 国民から尊敬されるような英雄を教えてはいけない(日本人に誇りや勇気を教えてはいけない)
- 「我が国」という言葉を使ってはいけない(日本のことは「この国」としか呼んではいけない)
ラジオ
ラジオにおいてGHQ配下のCIEが作成した「太平洋戰爭史」を劇化した「眞相はかうだ」を昭和20年12月9日より10回にわたって放送させた。この番組はGHQが作成したことを隠匿していたため、この放送を行ったNHKに問い合わせ等が殺到したとされる。そこでCIEは反響を利用して新たな番組「眞相箱」や「質問箱」を作成し、昭和23年まで放送させた。
プレスコード
上述の通り、「何を伝えさせるか」という積極的な政策を行ったわけであるが、そのほかにも「何を伝えさせないか」という政策も同時に行われた。その中でも有名なものが、通称『プレスコード』と呼ばれる検閲である。
この『Press Code for Japan』と呼ばれ、日本名を『日本に与うる新聞遵則』という。この検閲は新聞のみならず雑誌や書籍などにも適用された。さらに放送においては日本放送遵則(英名:Radio Code for Japan)という同様の規制が存在した。
日本を占領したダグラス・マッカーサー元帥が1946年元日に声明を出す以前の1945年9月10日に『新聞報道取締方針』『言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書』を発令し、報道の自由と裏腹に、GHQ及び連合国批判および大東亜戦争の被害に関するものの報道を一切禁止させた。
更に9月21日より、日本における出版に対して検閲を行うことを定めた日本に与うる新聞遵則が成立し、第二次世界大戦中の検閲と異なる点は「削除の形跡が残らないこと」であったとされる。また30項目の記載してはならない点があった。
GHQが定めた30項目の報道規制(プレスコード)
- SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
- 極東国際軍事裁判(東京裁判)批判
- GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
- 検問制度への言及
- アメリカ合衆国への批判
- ロシア(ソ連)への批判
- 英国への批判
- 朝鮮人への批判
- 中国への批判
- その他連合国への批判
- 連合国一般への批判(国を特定しなくても)
- 満州における日本人の取り扱いについての批判
- 連合国の戦前の政策に対する批判
- 第三次世界大戦への言及
- 冷戦に関する言及
- 戦争擁護の宣伝
- 神国日本の宣伝
- 軍国主義の宣伝
- ナショナリズムの宣伝
- 大東亜共栄圏の宣伝
- その他の宣伝
- 戦争犯罪人の正当化および擁護
- 占領軍兵士と日本女性との交渉
- 闇市の状況
- 占領軍軍隊に対する批判
- 飢餓の誇張
- 暴力と不穏の行動の扇動
- 虚為の報道
- GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
- 解禁されていない報道の公表
この検閲により7769冊もの書籍が出版されることなく没収され、焚書された。また、GHQ自体、あるいはその付属者や外国人などの悪事も報道されることがなかった。
この検閲における削除および発行禁止対象はアメリカ国立公文書館の資料に残されている。
その他の政策
そのほかにも日本人に対する「これまでやってきた戦争がが邪悪なものである」ということを証明する宣伝等を行ったとされる。
昭和20年12月15日、国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件を発表、これにより「大東亜戦争」や「八紘一宇」などの「国家神道、軍国主義、過激なる国家主義を連想する」言葉が使用禁止となり、神祇院(昭和15年に作られた国家機関)が解体され、国家神道(神道的な実践を国民統合の支柱とするシステム、この神道的なものは宗教かどうかは諸説あり)が廃止された。
昭和21年1月4日に公務従事に適しない者の公職からの除去に関する件を発表し、『公職追放』を行った。多くの公務員が一斉に職を追われ、その空いた席に、戦前は逮捕されていた過激な左翼思想者や、ソビエトなどで共産主義思想を叩き込まれた者たちが入り込んでいった。
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これらの政策の影響
占領中は、これら日本を占領した連合国、特にアメリカ合衆国により、「戦争は犯罪である」という考えおよび「平和第一主義」などの考え方を植え付けられた。
その影響はその後の世界情勢、特に冷戦などに対してアメリカ合衆国にもかなりの悪影響を与え、現代にまで残ってしまっている。
原因
これら一連の占領政策については、連合国における日本占領の際、憎しみを感じたのは敗北した日本軍ではなく、占領軍であったことが手紙の検閲等で明らかになり、また、当時の日本人には戦争に対する贖罪意識はなく、ただ敗戦に関してはアメリカなどの産業、科学の劣性および原爆の所作であると思っていたたしい。
また、アメリカ合衆国をはじめとした連合国は東京大空襲や原爆投下で日本の罪無き民間人を大勢虐殺したため、こういった宣伝工作で自国の正当化を図る必要があったものの、南京大虐殺およびマニラ大虐殺はそのために過剰に宣伝されたものであるとされ、東京裁判において突然出てきたため当時南京にいた人々も身に覚えの無い話に驚いたという。
この状況では日本の占領に対して不都合であると考えたため、いわゆる正しい歴史認識を染み渡ら、戦争を起こさせる気力を奪い、そしてその後の統治を楽にするためにこの行動をとったと思われる。
参考書籍
著述書
関連動画
外部リンク
wikipedia
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