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エンガノ岬沖海戦の編集履歴

2017-01-16 13:14:27 バージョン

エンガノ岬沖海戦

えんがのみさきおきかいせん

エンガノ岬沖海戦とは、1944年10月25日にレイテ沖海戦の中で発生した戦いである。

レイテ沖海戦の全体の流れは、該当の記事を参照。

挿し絵は、『艦隊これくしょん』のキャラクター(艦娘)を用いたイメージである。


エンガノ岬沖海戦まで

台湾沖航空戦で再建したばかりの航空隊と、直衛戦力の第五艦隊を提供した機動部隊だが、直後のレイテ湾口への米軍進攻の報を受け、連合艦隊から出撃準備の命令を受ける。

「当分機動部隊は使わない」という口約束を受けて戦力を提供していた機動部隊は数日を経ずに約束が反故にされた事を知り激怒するがどうしようもなく、内地に残置していた錬成中の航空隊をかき集め、19日に小沢治三郎中将率いる機動部隊(三航戦瑞鶴を加えた最終編成))、四航戦航空戦艦伊勢日向)、大淀五十鈴多摩、駆逐艦8隻)は瀬戸内海を出撃、20日大分で航空機を収容して日本本土を離れ、敵潜水艦の哨戒網の穴をすり抜けてフィリピン近海へ南下を続けていた開始した。


航空戦力の激減している小沢艦隊の作戦目的は、フィリピン周辺海域を遊弋するハルゼー大将指揮のアメリカ海軍機動部隊(空母17隻、アイオワ級戦艦をはじめ護衛の艦艇多数)を見つけ出し、それを北方海域まで誘致。基地航空隊と協力してこれを攻撃殲滅。それにより上陸地点に突入する栗田艦隊を支援する。というものだった。


しかし小沢艦隊による囮任務が成功する前にハルゼー機動部隊は栗田健男中将指揮の大和武蔵長門金剛榛名の戦艦5隻、妙高熊野利根などの重巡7隻を擁する第一遊撃部隊(通称栗田艦隊)を発見、10月24日にシブヤン海にて猛攻撃を加え戦艦武蔵を撃沈する。

ハルゼーが栗田艦隊を空襲している頃、小沢機動部隊もハルゼー機動部隊を発見。なけなしの艦載機を発進させ、アメリカ機動部隊への攻撃を行う。

この攻撃が、日本海軍機動部隊として最後の航空攻撃となった。

しかし瑞鶴以外の航空隊はどれも敵を発見できずにフィリピンの友軍基地に退却。瑞鶴航空隊はアメリカ軍の迎撃網を突破しアメリカ機動部隊への攻撃に成功するものの、戦果は至近弾数発のみであった。

攻撃隊は攻撃終了後には囮役の母艦ではなく、マニラの陸上基地へ向かうよう指示されていたため帰投していない。

(実際には一部の機は小沢艦隊に帰還している)

航空隊発艦


夕方、アメリカ機動部隊の偵察機が小沢機動部隊を発見。

敵に発見されたことを確信した小沢提督は、直掩用の零戦わずかを残して残りの艦載機を陸上退避させたため、以後の小沢艦隊は機動部隊でありながら、ほぼ航空戦力は無いに等しい状態となった。


小沢艦隊は敵に発見されやすいよう、松田少将貴下の第四航空戦隊を中心とする部隊を先行して南下させていた。ところが夜になって栗田艦隊がハルゼー機動部隊の空襲の激しさから一時退避したという電報を受け、同隊は退却したと誤断する。栗田艦隊は30分ほどで退避を取りやめ再突入を開始し、少し遅れてこの事を各隊に通達してはいたのだが、この通達は小沢艦隊だけ届かなかった。そのため自艦隊だけが敵中に孤立する事を恐れた小沢は前進している松田隊を引き揚げさせる。


そしてこの日のにはスリガオ海峡夜戦にて西村艦隊時雨を残して全滅している。


エンガノ岬沖海戦

第一次空襲(千歳沈没)

小沢機動部隊を発見したハルゼーは機動部隊は栗田艦隊の武蔵を沈めるなど大損害を与えた事と、これにより栗田艦隊が一時的に針路を反転させた事で退却したと判断。あとは上陸部隊の護衛部隊であるキンゲイト中将の第七艦隊に任せ、機動部隊全力で小沢艦隊への攻撃に向かう。翌25日、ハルゼーは200機近い攻撃隊を発艦させ、8時過ぎに小沢機動部隊に襲い掛かった。

小沢機動部隊は瑞鶴・瑞鳳を中核とした本隊と、千歳・千代田を中核とした支隊に分かれて進撃していたが、いずれも空母に攻撃が集中した。


アメリカ艦載機群の猛攻撃に反撃する航空戦力も無い小沢機動部隊は、まず支隊の駆逐艦・秋月が爆発を起こし轟沈

続いて8時15分には直撃弾を受けた千歳が爆発炎上し、沈没。

四空母の中で、最初の喪失艦となった。

センシティブな作品


そして瑞鶴も魚雷を受けて速力低下するなど、各艦も次々に被害を受けていった。小沢は未だ栗田艦隊が再反転したという情報を得られず、既に後退したと誤断。そのため北方誘致成功などの状況報告を執拗にはしなかった。そのため重要な「北方誘致に成功」の情報は栗田艦隊のどの艦隊にも届かず、それ以外の電報も栗田艦隊だけでなく参加部隊全てにも届いていなかったりと、通信の大きな齟齬を生じさせた。


最後の囮作戦


第二次空襲(千代田落伍)

第一次攻撃隊が去って小沢は通信力の落ちた瑞鶴から大淀への旗艦移乗を決断し大淀に近づくよう指令を出すが、空襲が終わってすぐの10時過ぎには、アメリカ艦載機群の第二波による攻撃が開始される。

この攻撃により瑞鶴に損害はなかったが千代田に爆弾が直撃、機関部を破壊された千代田は航行不能となり、単艦で艦隊から落伍してしまう。


これにより、機動部隊に残る空母は本隊の瑞鶴と瑞鳳のみとなった。

なお、第二次空襲の終了後に司令部の移乗が行われたが、乗員からは早々に司令部が逃げるとみなされ、小沢らに対して怒号が浴びせられたという。


なおこの頃になってハルゼーのもとに栗田艦隊がサマール沖まで進軍し、護送空母部隊の一群と交戦状態となり、レイテ湾が危機に瀕していると連絡を受ける。ハルゼーはそれでもキンゲイト艦隊が対処すると考えていたが、ニミッツからの命令を受け、小沢艦隊の追撃を部下のミッチャー提督に委ね、戦力の半数を率いて再度反転しレイテ湾に向かう。


第三次空襲(瑞鶴、瑞鳳沈没)

満身創痍の小沢機動部隊に対し、13時過ぎには再び200機近い機から成る第三次攻撃隊が殺到する。

ここまで生き残ってきた瑞鶴と瑞鳳であったが、すでに速力も低下したところに集中攻撃を受け、次々に被害を受けてしまう。


この時、共に必死の回避運動を行う瑞鶴と瑞鳳、そして炎上しながらも対空戦闘を行う瑞鳳の姿が米軍機のガンカメラにより写真として遺されている。


そして14時14分、真珠湾攻撃以来の武勲艦であり幸運の空母と謳われた瑞鶴がついに沈没。

唯一残された瑞鳳も損傷に耐えきれず艦体が切断し、15時27分に沈没した。


瑞鳳の沈没により小沢艦隊は機動部隊の体を成さなくなり、ここに栄光の日本海軍機動部隊は消滅した。

瑞鶴と瑞鳳



第一次砲戦(千代田沈没)

ハルゼーに替わり追撃戦を任されたミッチャー提督は、艦隊からデュポーズ少将率いる巡洋艦部隊を分離させ、先行して追撃させた。この艦隊は第二次攻撃隊襲来時に艦隊からはぐれ、単艦で漂流中の千代田と遭遇すると、千代田は果敢にも高角砲により応戦を開始する。デュポーズ部隊は航行不能ながら反撃してくる千代田に猛砲撃を加えしてこれを撃沈。生存者はいなかった。

【艦これ】史実で艦これ26【千代田】


第四次空襲(伊勢、日向の奮戦)

17時過ぎ、全ての空母を失った小沢艦隊に対し、更にアメリカ艦載機の大編隊が攻撃を開始する。

攻撃は大型艦艇である航空戦艦伊勢と日向に集中した。

伊勢と日向は中瀬泝(伊勢)、野村留吉(日向)の2人の新米艦長が指揮する鈍重な航空戦艦でありながら、新装備である噴進砲をはじめとする強力な対空兵装による弾幕射撃と戦隊司令松田千秋少将作成の回避マニュアルを用いた効果的な回避運動により、直撃弾を受けず(至近弾による若干の損傷は有り)に切り抜ける事に成功する。(この時伊勢は対空戦闘継続中に洋上で機関停止して瑞鳳乗員を救助する離れ業を見せるがそれがどれだけ危険な行為かは言うまでもない)

2隻の活躍は攻撃側の指揮官ハルゼー提督をして、「老練なる艦長の回避行動により、ついに一発の命中弾も得ず」と嘆じさせた。(実際は上記の通り老練どころか全くの新米艦長)                                                      
イセタソー



第二次砲戦(初月の勇戦)

第四次空襲の終了時点で小沢艦隊は四散したも同様の状態であった。小沢自身が統率できているのは軽巡大淀と戦艦伊勢だけで北上中、第四航空戦隊旗艦の戦艦日向が駆逐艦霜月と共にそれを追尾し、駆逐艦初月、若月、桑が瑞鶴と瑞鳳の生存者の救助作業中。軽巡洋艦五十鈴は行方不明となった千代田の捜索中。第一次空襲で大破した軽巡洋艦多摩は応急修理を経て内地に単独帰還中、前日の溺者救助で部隊とはぐれた駆逐艦杉、桐は合流できずと、バラバラの状態であった。

このうち五十鈴は生存者救助中の若月、初月と合流(桑はこの時点で救助を終え主力と合流すべく北上を開始)し、千代田捜索を依頼。初月が救助を続行し若月が五十鈴に同行する。

しかしこの直後に、不運にもこの3隻はは千代田を葬ったデュポーズ巡洋艦部隊と遭遇してしまう。


勝ち目無しと見た3隻はただちに煙幕展開し離脱を開始したが、初月はやがて反撃態勢を整えて反転、アメリカ艦隊と戦闘を開始する。

初月はアメリカ艦隊の集中砲撃を受けつつも偽襲行動などを繰り返し、単艦でアメリカ艦隊を翻弄、その間に五十鈴と若月は離脱に成功する。結果として初月は味方を逃がす事に成功したものの、2時間以上にわたる戦闘のすえ力尽き撃沈。生存者は一人もいなかった。


このときデュポーズ司令は、立ち向かってくる初月を(夜戦と煙幕で視界がさえぎられていたとはいえ)戦艦か最低でも阿賀野型軽巡だと誤認し、またたった一隻の初月を沈めるまでに膨大な弾薬を浪費しており、これらの事柄が初月の奮戦がどれだけ凄まじかったかを詳細に物語っている。


また単独で帰還していた多摩は、米潜水艦ジャラオ の雷撃を受け23時5分に沈没。単艦での沈没のためこれも生存者は一人もいなかった。


その後

小沢艦隊は五十鈴からの通報を受け、伊勢と日向の砲戦力を持ってアメリカ艦隊を攻撃すべく南下を始めたが、燃料の不足により帰投した。


戦後になって、囮となった小沢艦隊は空母四隻の全滅と引き換えに、狙い通りにアメリカ機動部隊を攻撃を引き受けることに成功したとされている。


しかし、囮作戦をする理由であった「敵機動部隊を基地航空隊と共に殲滅し、栗田艦隊を空襲の脅威から守る」事には失敗しており、当時は成功したとは考えられていなかった。

貴下の大淀の戦闘詳報でもその事が触れられ、小沢艦隊司令部が何時から何時まで、栗田艦隊を敵機動部隊の脅威から守らなければならないのかという明確な観念がないとこれを厳しく批判している。栗田艦隊が損害を受け、艦隊の中核である戦艦武蔵を失った後で囮に成功してもそれは「成功」とは言えないのだが、戦後の栗田批判小沢擁護の風潮の中で、その問題は忘却されてしまっている。


また松田第四航空戦隊司令は帰還して小沢に会った際、小沢が

「栗田艦隊が24日の反転後、突入を再開してレイテ湾に向かった事を知らなかった」

と語っていたと証言しており、25日の状況報告がどれも短く、執拗に行っていない点。小沢艦隊側の記録に栗田艦隊が再反転した事を知る事の出来る電報の受電記録がないなどから、栗田艦隊は退却したと考えていたのではないかとも考えられている。


小沢艦隊側の報告が届いていなかったという点は他の部隊でも見られ、例えば軍令部は小沢艦隊が4隻の空母を済めて失った事を、同艦隊が帰還するまで把握できず、天皇への上奏でも空母は健在であるとしている。


結局小沢艦隊が囮艦隊の奇策と犠牲をはらったこの海戦は、栗田艦隊の反転により無為となって終わり残存艦は日本本土へ撤退した。


残存艦の戦い

レイテ沖海戦終了後、第三艦隊は解体され、伊勢、日向などの機動部隊の残存艦は仏印(ベトナム)やインドネシアなどへの物資輸送の為本土を離れ南方へ進出する。

このうち軽巡大淀は重巡足柄らとともに木村昌福少将指揮の元、フィリピンのミンドロ島攻撃作戦礼号作戦に参加し日本海軍最後の戦術的勝利に貢献した。

五十鈴や若月などの護衛艦艇は多号作戦などレイテ島への増援部隊護衛任務に出動し、その多くが数か月以内に沈没した。

その後、伊勢・日向・大淀は、日本本土へ物資を輸送する決死作戦「北号作戦」に参加することとなる。




関連タグ

太平洋戦争 海戦 レイテ沖海戦 スリガオ海峡海戦 栗田ターン

瑞鶴 瑞鳳 千歳 千代田

艦隊これくしょんの関係艦娘

瑞鶴(艦隊これくしょん) 瑞鳳 千歳(艦隊これくしょん) 千代田(艦隊これくしょん)

※上記4空母の最終形態が緑色なのは、囮作戦の際に迷彩塗装を施されたため。


伊勢(艦隊これくしょん) 日向(艦隊これくしょん)

五十鈴(艦隊これくしょん)/五十鈴改二 大淀(艦隊これくしょん)任務娘多摩(艦隊これくしょん) 秋月(艦隊これくしょん) 初月(艦隊これくしょん)

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