概要
本社を山口県周南市に置きAMラジオ放送と地上デジタルテレビジョン放送(2011年7月24日までアナログ放送も実施)を行っている放送局。ラジオはNRNとJRNのクロスネット、テレビは日本テレビ系列局。略称KRY。略称はかつての社名の株式会社ラジオ山口(KK.RADIO YAMAGUCHI)の英名に由来する。
放送局概略
ラジオ放送
系列 | NRN・JRN |
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愛称 | KRYラジオ |
コールサイン | JOPF(周南)JOPL(萩)JOPM(下関)JOPN(岩国) |
呼出名称 | やまぐちほうそう |
親局 | 周南765KHz/5kw |
コールサインのない中継局は山口、須佐田万川の2箇所。山口局にもかつてコールサインがあった。
周南親局・下関中継局・岩国中継局・須佐田万川中継局の4箇所は置局場所が海沿いまたは県境近くと条件がよく、隣県でも広く聴取されている。
テレビ放送
ニュース系列 | NNN |
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番組供給系列 | NNS |
愛称 | KRYテレビ |
コールサイン | JOPF-DTV |
呼出名称 | やまぐちほうそうデジタルテレビジョン |
リモコンキーID | 4 |
親局 | 周南20ch(大平山) |
テレビ山口、山口朝日放送が大平山親局を山口局と呼称しているが山口放送は本社所在地から周南局と呼称している。
ラジオ放送
先述の通りNRNとJRNのクロスネット局だが、NRN寄りであり、どちらかというと文化放送寄りである。火曜から土曜日の早朝3・4時台にはTBSラジオの番組を放送している。
初代社長の野村幸祐が山口県教育長を兼ねていたことがあり山口県教育委員会との関係が深かったことから深夜放送に対する反対論が根強かった。しかし放送終了時間がオールナイトニッポンのネット開始により遅くなり、1990年より終夜放送を行っている。
テレビ放送
日本テレビ系列だが県内にフジテレビ系列局とテレビ東京系列局がないためこれら2局の番組も購入して放送している。かつてフジテレビ系列だったテレビ山口(tys)がフジテレビの番組を多くネットしており、KRYはtysの編成から外れた一部の番組をネットしている。またテレビ東京の番組ネットに積極的である。
在山口民放各局内で最も自社制作番組の比率が高く、読売テレビや札幌テレビや福岡放送とともに「ZIP!」第1部を朝の自社制作バラエティ番組を放送したり、山口朝日放送(yab)の「5時からワイド」に対抗すべく夕方アニメ枠を自社制作番組枠に変え、「5時からワイド」の終了に追い込んだ。そのうえ日本テレビから深夜のバラエティ番組の制作を打診され、三宅裕司司会の「ワークパラダイス」→「ドシロウト」を制作、さらにすべての日本テレビ系列局(および「NNNきょうの出来事」をネットしていた他系列局約3局)で放送された。ほかにも1991年には開局35周年記念番組として、吉田松陰をテーマにした2時間時代劇も放送した。
もっとも、平日の自社制作番組の充実ぶりに対し、週末はニュースなどしかない。
その週末に関しては、読売テレビの番組の「そこまで言って委員会NP」だけでなく、「(藤井隆の)土曜はダメよ!」や「(なるみ&メッセンジャー黒田+ホラン千秋の)もんくもん」を放送したり、テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」(本放送・再放送両方とも放送)のほか「土曜スペシャル」もたまに放送している。。
歴史
1956年3月、徳山市に設立、4月1日に開局した。そして1959年10月1日に徳山地区でテレビ放送を開始したが、かなり複雑なネットワークの変遷を経験した。
開局前
1951年ごろから徳山市が、下松市、光市が公営ラジオ局の設立を構想していた。しかし、お手本にするはずだった兵庫県姫路市の姫路市営放送が、予備免許が交付されながらも開局できなかったことから、下松市と光市が「実現不可能」と離脱、残された徳山市は単独で計画を練り、免許申請しようとしたその矢先、ラジオ九州(現在のRKB毎日放送)が防府市に中継局を設けようと計画した。そこで調整が長引き、1956年の開局となった。またKRYは関門地区のテレビ局開局を巡ってもRKBと対立、結局は折半して西部毎日テレビジョンを設立した。RKBがこれを合併したため、KRYはRKB毎日放送の経営に一時的にかかわったことになる。
テレビ放送開始(あるいは関門局にまつわるあれやこれや)
先述のように1959年10月1日にはテレビ放送を開始したが、KRYの地盤である山口県の地理的状況からネットワーク変遷は複雑なものとなった。
開局時は日本テレビ系を中心としたオープンネット体制で、ニュース番組も日本テレビ、ラジオ東京テレビ(現在のTBS)から供給され、ローカルニュースはフジテレビ発の共同テレニュースを一部差し替えていた。
KRYテレビの開局時山口県を通過していた電電公社の中継回線は2回線しかなく、東側の広島県を地盤とする中国放送(RCC)、西側の福岡県を地盤とするRKB毎日放送(RKB)がそれぞれ本線を使用しており、どちらもラジオ東京テレビ系列(現在のTBS/JNN系列)だったため、順番に行けばここもラジオ東京系列になるはずだった。(なおもう1本の回線はNHKが使用していた。)
しかし山口県東部ではRCCが、西部ではRKBがよく入るため、もしラジオ東京系に入ると営業政策上不利になることが予想された。そこで、四国周り九州経由の電電公社回線を確保して日テレ系列に入った。四国を経由したのは四国の民放第1局全てが日テレ系列だったためである。ちなみに九州地区の先発局はサガテレビを除きTBS系列。
山口放送にとって待望の下関をサービスエリアとする関門テレビ局の免許が1961年7月14日に火の山VHF4chで交付されたが、その際に以下のような規制がかかった。
- 電波が少ないため、RKBやRCCなどを視聴する視聴者に配慮して西と南へ強く電波を発射してはいけない。
- 徳山からのフィルムネット番組、自社制作番組を50%以上放送する
- 九州朝日放送、RKB、テレビ西日本でも放送されている番組は1日の放送時間に対して3分の1以下とする
こうして、関門テレビ局は徳山局と異なる番組を放送する独立した親局となる、全国初の出来事となった。そのため、当時の新聞のテレビ欄には「山口テレビ(徳山・萩・岩国)」と「山口放送関門」のように並んで表記されており、全国でも前例のない事例となった。
関門局は当初4割ほどの番組がマイクロウェーブ回線で送られてきたが、2、3年後にすべてフィルム番組となり、山口放送の経営を圧迫した。
1964年9月23日、読売新聞西部本社が立ち上げられ、山口県や九州地方での読売新聞の発行を開始した。この動きに西日本新聞とが反発、さらにKBCとTNCの福岡市と北九州市の相互乗り入れが実現したことでRKBも反発したため、毎日新聞資本のUHF局設立に読売新聞と日テレが資本参加する事態に発展した。この動きに耐えられなかった西日本新聞は読売新聞との提携を解消、TNCは日テレ系列を脱退してフジテレビ系列にネットチェンジ、さらにKBCもNET系列にネットチェンジした。
これにより関門局の番組規制がなくなったため、徳山局と関門局が同時ネットとなった。これに合わせて日テレは山口放送と業務提携を結んだほか、福岡にも九州分室を設置し、九州におけるNNNニュースの取材拠点とした。
なおこの名残でアナログ放送が終了する2011年7月24日まで山口放送はJOPF-TV山口放送テレビジョン、JOPM-TV山口放送関門テレビジョンと2つのコールサイン、呼出名称を保有していた。
5年後の1969年に福岡放送が開局。電波が山口県まで届く北九州中継局のエリア調整に手間取り、北九州中継局の開局が福岡親局、久留米中継局より5か月遅れた。
1970年代以降
1970年にテレビ山口(TYS)が開局、フジテレビ、NET(現在のテレビ朝日)、TBSと番販協定を結んだ。フジテレビとTBSの番組の多くが移行したものの、TBSの番組では「ナショナル劇場」など、フジテレビの番組でも、「ズバリ!当てましょう」、(大川橋蔵の)「銭形平次」、「サザエさん」などはTYSに移行しなかった。
1974年に佐藤栄作元総理大臣が死去した際、山口放送は日本テレビにNNN報道特別番組の制作を求めたが、日テレに特番制作の予定はなかった。その間にフジテレビがFNN報道特番の放送を決定したが、TYSではJNN協定により放送できなくなってしまった。山口放送は日テレにこの事を説明し、「FNN報道特番の放送を了承してほしい」旨を申し入れた。これを受けて日テレはNNN報道特番を制作し、当然のことながら山口放送はNNN報道特番を放送した。
その後、日テレで放送されていた「11PM」(平日23時台)「ウィークエンダー」(ゴールデンタイム)「お昼のワイドショー」「ミセス&ミセス」(朝)といった番組内容が、下品なものや残酷なものが多く、低俗化していると訴えたが改善されず、日テレとの関係が悪化した。それと同時期にテレ朝がTYSを系列局から外したため、1978年10月をめどに山口放送にネットチェンジをしようとしたが、日テレから待ったがかかった。
山口放送、日テレ、テレ朝の三社会談の結果、日テレは「11PM」と「ミセス&ミセス」の打ち切りを認めた。またテレ朝からの働きかけによりANNニュースの放送もできた。しかし日テレメインの番組編成のため、TYSはテレ朝からの番販購入が認められた。
また「11PM」の代替として「プロ野球ニュース」の放送を開始。これはTYSが「JNNニュースデスク」を編成しており、時間の繰り下がりで「プロ野球ニュース」を放送できなくなる恐れがあり、山口放送がフジテレビと資本関係があったためと思われる。ただし山口放送は系列外であるため、周囲の系列局から難色を示されたり、「NNNきょうの出来事」の後に別番組を放送せず、5分遅れネットを行うために遅れ放送時間コントロールのための機械を開発せざるを得なくなるなど、ネットワークで難航した。
1979年4月には、TBS系列のスポンサードネット番組(「ナショナル劇場」など)すべて、「サザエさん」などフジテレビ系列の一部のスポンサードネット番組がTYSに移行した。
1987年9月にTYSがFNSを脱退する前後、フジテレビが山口放送に対しFNN/FNS加盟を打診したが、山口放送は断った。
山口朝日放送開局後
1988年に社長が赤尾嘉文に交代、社長と親交の深い氏家齊一郎が日本テレビの社長に就任したのを機に、日テレとの関係改善を模索するようになる。距離を置かれたテレビ朝日は、朝日新聞西部本社・みずほ銀行・九州朝日放送・みなと山口合同新聞社とともに出資し、1993年10月1日に山口朝日放送(yab)を開局させた。
山口放送が放送していたテレ朝の(人気)番組の放送を引き継ぎ、アニメの再放送のイメージが強かった平日夕方5時台にローカルバラエティを放送したyabにしばらくは苦しめられたものの、1990年代の日テレの大躍進の恩恵を受け、さらに1987年10月以降山口県にフジテレビ系列がないこともあり、1996年度以降、県内視聴率トップの座を守っている。
防府読売マラソン
山口放送がかかわっているロードレース(マラソン)大会。毎年12月に開催。大会自体は1970年から行われてはいる。
山口放送がこの大会にかかわるようになったのは1972年に開催された第3回大会からであり、このときはラジオ中継のみであった。なお、ラジオ中継自体は現在でも行われている。
1990年に開催された第21回大会からはテレビ中継も行われている。当初は生放送ではあった一方で山口県ローカルだったが、後に京都府・滋賀県・奈良県・和歌山県以西の日本テレビ系列全局でも生放送されるようになった。しかし現在は生放送は鳥取県、岡山県および香川県、徳島県より西の日本テレビ系列局(ただし福岡放送除く)およびTBS系列局約2局に変更されている(読売テレビと福岡放送は「そこまで言って委員会NP」を放送するため、同日深夜に放送)。なお、石川県、岐阜県、三重県以東(および福井県)では、ダイジェスト版ではあるものの、読売新聞系のBSテレビ局のBS日テレを通じて観戦は可能。
テレビ放送開始当初こそスタート・ゴール地点は読売テレビの局アナが担当していたが、現在は全ての実況を山口放送の局アナが担当、さらにスタッフのほとんどは山口放送(とその関連会社)の人間でまかなわれている。同じ地方開催の大規模かつ民放テレビで放送されるマラソン大会でも、(全国ネットという条件があるとは言え)RKB毎日放送が主催する別府大分毎日マラソンとは大きく異なる。
なお、最近では、山口朝日放送設立にかかわったみなと山口合同新聞社が主催する市民マラソン大会である下関海響マラソンや、山口県に因縁のある陸上選手・田島直人をたたえた陸上競技大会のテレビ中継も(録画ながら)行っており、前者に関しては福岡放送と広島テレビでも放送される。
また、毎年1月最終日曜日に宇部→山口→防府→周南(徳山)を結んで行われる駅伝大会である中国山口駅伝のラジオ中継も行われており、こちらは(後半のみではあるが)中国放送でも放送されている。