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日本ハムファイターズの編集履歴

2019-12-28 01:01:21 バージョン

日本ハムファイターズ

にっぽんはむふぁいたーず

現在のプロ野球・北海道日本ハムファイターズの1974年から2003年までの名称。東京の後楽園球場→東京ドームを読売ジャイアンツと共有して本拠地としていた。

北海道日本ハムファイターズ


なお現在でも正式名称の北海道~が長いため、こちらが球団名タグとして使われることがある。

ここでは主に1974年から2003年までの(いわゆる東京時代)球団の歴史について解説する。


歴史

順位の推移

順位監督
1974年6位中西太
1975年6位中西太
1976年5位大沢啓二
1977年5位大沢啓二
1978年3位大沢啓二
1979年3位大沢啓二
1980年3位大沢啓二
1981年1位大沢啓二
1982年2位大沢啓二
1983年3位大沢啓二
1984年6位植村義信→大沢啓二
1985年5位高田繁
1986年5位高田繁
1987年3位高田繁
1988年3位高田繁
1989年5位近藤貞雄
1990年4位近藤貞雄
1991年4位近藤貞雄
1992年5位土橋正幸
1993年2位大沢啓二
1994年6位大沢啓二
1995年4位上田利治
1996年2位上田利治
1997年4位上田利治
1998年2位上田利治
1999年5位上田利治
2000年3位大島康徳
2001年6位大島康徳
2002年5位大島康徳
2003年5位トレイ・ヒルマン

1970年代

1973年オフ、わずか1年で球団を手放した日拓ホームフライヤーズ日本ハムが買収し、

また、チーム名も公募から「ファイターズ」に変更された。

名前が変更された理由としては、「フライ」(fly)には「」の意味があるため、食品を扱う会社にとってはイメージがよくないからだとされる。


新生チームの監督には中西太が就任するが、2年連続で最下位に終わる。

球団は血の入れ替えが必要だと判断し、東映時代の中心選手が次々とトレードされた。

74年オフに大杉勝男ヤクルトスワローズへ、白仁天太平洋クラブライオンズへ、そして翌75年オフには張本勲読売ジャイアンツへ移籍した。

1976年からは「親分」こと大沢啓二が監督に就任。78年には11年ぶり、ファイターズになって初のAクラスとなる3位になる。


1980年代

1981年、大沢監督の下、62年以来19年ぶりのリーグ優勝を成し遂げた。

日本シリーズでは、当時同じく後楽園球場を本拠地としていた巨人と対戦。「後楽園決戦」と呼ばれた対戦は2勝4敗で敗れた。

ちなみに、巨人との日本シリーズは後に2009年2012年にも行われたが、いずれも2勝4敗で敗れている。

83年まで大沢が指揮を執り、植村義信に禅譲するがシーズン途中で休養となってしまったため、後半戦は大沢が代行として再び指揮した。


85年からはV9戦士の一員、高田繁が監督に就任。4年目の1988年に、本拠地が東京ドームに移転する。

88年はドーム効果で観客動員数は伸びたが、この時期に黄金時代を築く西武ライオンズにはなかなか勝てず、高田は辞任した。

(ちなみに巨人の方もこの年に王貞治が監督を解任された。)

89年からの3年間は近藤貞雄が指揮したが、3年間すべてBクラスに終わった。


1990年代

1992年生え抜き土橋正幸が監督に就任。しかし、わずか1年で辞任してしまう。

1993年からはユニフォーム・球団旗・ペットマーク・マスコットを一新する。監督は10年ぶりに大沢啓二が復帰する。

93年は2位に躍進したが、翌94年は一転して最下位に沈み、大沢は最終戦でファンに土下座をした。

95年からは、阪急ブレーブスの黄金時代を築いた名将、上田利治を招聘する。

1998年ビッグバン打線が猛威を奮い、前半戦を独走で折り返すが、後半戦は大失速し西武に優勝を奪われてしまう。99年限りで上田は辞任した。


2000年代

2000年からは大島康徳が監督に就任し、3年間指揮する。

2002年開幕前に2004年を目処とした本拠地の札幌移転が北海道新聞に報じられ、球団側もこれを肯定。これ以降移転に向けた準備(ドタバタとも言う)が進行することになった。

2003年トレイ・ヒルマンが監督に就任したが、1年目は5位に終わった。

そして翌2004年からは本拠地を札幌ドームに移し、球団名は「北海道日本ハムファイターズ」となった。


以降の歴史は「北海道日本ハムファイターズ」の記事を参照。


マスコット

ギョロタン

1981年にデビュー。本名は「ギョロ目の舌吉(タンキチ)」

日本ハムのみならず、日本球界初のマスコットである。

モチーフは太陽

長らく伝説のマスコットとなっていたが、2014年に復活した。


ファイティー

Fighters100

1993年にデビュー。プテラノドンがモチーフ。

東京時代を代表するマスコットで、本拠地が北海道に移転してからも暫くは後任のB・B(ブリスキー・ザ・ベアー)と共に活動していたが、2005年を以て引退した。

2014年にはギョロタンと共に一時復活した。


鉄仮面

1993年から2003年までのペットマークに使用された仮面の男。

特定の名前はなく、ただ単に「鉄仮面」「仮面の男」と呼ばれた。


関連動画

↓球団歌『ファイターズ賛歌(讃歌)』


ファイターズになった1974年に制作され、現在使われているパ・リーグ6球団の応援歌では最も古い。歌ったのは、『宇宙戦艦ヤマト』などアニメソングを数多く歌うささきいさお

2000年に速水けんたろうが、北海道移転後2014年には上杉周大が歌い継いだ。

なお、リリース当初は『ファイターズ歌』だったが、現在は『ファイターズ歌』と記すのが正しい。


↓応援歌『それゆけぼくらのファイターズ』

『ファイターズ賛歌(讃歌)』のカップリング(正式にはこちらがA面)。


↓1981年の日本シリーズ第1戦ハイライト


現在東京時代のファイターズを知る現役選手(いわゆる東京ハム戦士)

(2018年シーズン開幕前。太字はファイターズに所属する選手)



関連イラスト

やよい@日本ハム

↑1980年代のオレンジユニフォーム。モデルは高槻やよい


関連タグ

東映フライヤーズ日拓ホームフライヤーズ日本ハムファイターズ北海道日本ハムファイターズ

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