概要
本名は前川次郎。芸名の「だるま」は小島三児がそのがっちりとしたあんこ型の体型を見て名付けたもの。
かつては山陽国策パルプ(現在の日本製紙)の岩国工場に勤めていたが、歌手を目指していた兄に触発されて芸能界を志すようになる。
1974年に上京して俳優養成所に入り、翌75年に俳優デビュー。
東映のスーパー戦隊シリーズ第1作「秘密戦隊ゴレンジャー」において、当初キレンジャー/大岩大太役で出演していた畠山麦が、舞台出演とのスケジュール調整が難しくなった為に急遽降板する事になり、同シリーズ初の2代目キャラとなる2代目キレンジャー/熊野大五郎役で出演する事になった。
なお熊野大五郎初登場回のオープニングにはだるまの姿は無く、畠山のカットにだるまの名がテロップ表示されると言う状況だった。畠山が演じたひょうきんで愛嬌があり、戦士としては切れ物で理知的な面を見せるプロフェッショナル、というキャラクターだった大岩と異なり、真面目だが新人らしく猪突猛進気味なところがある熊野を好演し、戦隊の黄色=次郎さん体型と言うイメージ定着に貢献するが、畠山の復帰と共に第67話でシリーズ初の殉職というかたちで降板した。
時代劇・現代劇・刑事ドラマ等にゲスト出演する中で、1980年から放送されたアニメ「あしたのジョー」の2作目にて、前作で声を務めた西尾徳に代わって、主人公矢吹丈の友人で同門のボクサーのマンモス西/西寛一の声を務めた。
芸能界引退後の不運
仕事が徐々に減ったこともあり、1983年のTVドラマ出演を最後に芸能界を引退。『ゴレンジャー』の終了後も他のメンバーとの交流は続いていたが、1988年に刊行された『ゴレンジャー』関連の書籍では、共演者の小牧リサが「ここ数年は年賀状のやり取りも無くなっている」と言及している。
1989年、単身フィリピンに渡り、柔道五段の腕前を生かして柔道教室を開設した。1991年にはフィリピン人の女性と結婚。長男が産まれたことで、安定した収入を得るため日本に帰国する。
日本に帰国後、第二子となる次男が産まれている。
しかし、なかなか定職に就けず様々な仕事を転々とする。2005年には自動車部品会社の契約社員となり配送ドライバーをしていたが、変形性膝関節症を発症したために契約を打ち切られてしまった。
また、この病気の為に膝に人工関節を埋め込み、杖なしでは歩けないほどの身体となってしまった。
更に突発性拡張型心筋症による呼吸困難に見舞われ、のど仏の下の気管軟骨を切開して気道を確保する緊急手術を受けている。このため満足に話すこともできず、障害が残ってしまった。
2010年に開催された『ゴレンジャー』関連のイベントにも参加予定であったが、脳梗塞を発症し入院中のため不参加となった。
病気のため仕事も困難となってしまい、妻がパートで働きなんとか生計を立てていたものの、ついに息子たちを連れて家を出ていってしまった。
その後は愛知県で一人暮らしをしながら障害者支援施設に勤務していた。
『ゴレンジャー』のメンバーたちとの再会
2014年の『爆報! THE フライデー』の追跡調査で、引退後の動向について上記の事実が判明。番組がだるまの元を訪れると、だるまは明らかに暗い表情をし、まさに人生のどん底の状態という様子であった。
番組はだるまを激励するため、連絡が途絶えていたゴレンジャーの面々との再会の場をサプライズで企画する。
何も知らないだるまは1人公園に呼び出され、待機していると……
『よぉ、だるま!』(宮内)
だるまが後ろを振り向くと、そこには『ゴレンジャー』で共演した宮内洋、伊藤幸雄、小牧リサの三人が彼のために駆けつけていた。思いがけない再会にだるまは思わず泣きながら喜んだ。また、小牧からは自作のナポリタンを差し入れられ、これも泣きながら食べていた。
この会では、リーダーのアカレンジャーを演じた誠直也は仕事の都合で残念ながら不参加であったが、事前にだるまを激励する内容が込められた手紙を託しており、これを小牧が代読した。
その後、だるまは生きることに前向きになり、ゴレンジャーの関連のイベントにも(体調や居住地の関係もあって)全てとはいかないが積極的に参加するようになった。
なお同番組で、離れて暮らす次男とは週末一緒に過ごしており、一人前になるまでは後押ししたいと話していたが、2019年にその次男が中学卒業後大相撲・高砂部屋に入門したことを公表。「朝翔(あさはばたき)」の四股名で活躍している。
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外部リンク
- daruma2016のブログ - 本人によるブログ
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