概要
ウィチタ(英語:Wichita)は、アメリカ合衆国のカンザス州に属する都市。同州最大の都市で、39万7532人の人口を擁する。
歴史
1864年にウィチタ族の村に設置された交易所が起源である。1870年7月に市として成立し、古くから肉牛・小麦の集散地で、食品工業が盛んである。地理・気候的条件が試験飛行に好適で、航空産業各社が進出していった。現在もセスナ社やビーチクラフト社の本拠地であり、エアバス社・ボーイング社が拠点を置いている。
重巡洋艦「ウィチタ」
概要
アメリカ海軍の建造したブルックリン級軽巡洋艦の船体にニューオーリンズ級重巡洋艦の兵装を組み合わせた重巡洋艦で、同型艦は無い。
前級はニューオーリンズ級、次級はボルチモア級重巡洋艦である。8インチ三連装砲塔を艦橋の前部に2基、後部マストの後部に1基配置し、それぞれの直後の対空射撃に都合の良い位置に5インチ両用砲が配置された。この配置は、その後アメリカ海軍が建造した重巡洋艦各級に継承されている。
性能諸元(1945年)
基準排水量 | 10,000t |
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全長 | 185.4m |
全幅 | 18.8m |
機関出力 | 100,000hp |
最高速力 | 時速32.5kt |
乗員 | 929名 |
兵装 | Mk.12 8インチ砲 3連装砲塔×3 |
Mk.12 5インチ両用砲 単装砲塔×4、単装砲×4 | |
ボフォース40mm機関砲 4連装砲座×4 連装砲座×4 | |
エリコン20mm機銃×22 | |
艦載機 | OS2U水上観測機×4 |
艦歴
1935年10月28日起工、1937年11月16日進水、1939年2月16日就役。
1939年9月1日、第二次世界大戦が勃発。南アメリカでドイツが行っているプロパガンダに対抗し、アメリカの強さを知らしめるために巡航を行った。
1941年7月27日、アメリカ軍のアイスランド進駐(インディゴ2作戦)のため、第16任務部隊に加わりアイスランドに向かった。デンマーク海峡でアメリカ商船に対するドイツ軍、イタリア軍の敵性行為を監視。
1942年1月15日、デンマーク海峡の暴風雨で走錨事故。輸送船ウェスト・ノーノやイギリスのトロール漁船と衝突し、ウェスト・ノーノは浅瀬に乗り上げて擱座。
3月26日、第39.1任務群に加わり、スカパ・フローへ向かう。途中、在欧海軍部隊司令官ジョン・W・ウィルコックス少将が暴風雨で戦艦ワシントンから海に転落して行方不明となった。
4月4日、スカパ・フローに入港。イギリス海軍のジョン・トーヴィー大将指揮下で行動し、主にPQ船団とQP船団の護衛を行う。
10月下旬、北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)に参加するため、モロッコへ向かう。
11月8日、カサブランカ周辺のヴィシー政権海軍と戦闘。アメリカへの帰国後、太平洋戦線に投入されることとなった。
1943年1月27日、第18任務部隊に加わり、ガダルカナル島への船団護衛のためヌメアを出発。
1月29日、日本海軍の陸上攻撃機隊に空襲を受ける(レンネル島沖海戦)。
4月18日、アダック島に向けて出港。8月中旬までアリューシャン方面で行動する。
1944年2月12日、トラック島空襲を援護するため出撃。
2月17日、第58任務部隊による空襲で、トラック島の日本軍基地は無力化された。日本軍の夜間空襲で損傷した空母イントレピッドをマジュロまで護衛。
6月19日、マリアナ沖海戦に参加。
10月20日、アメリカ軍がレイテ島に上陸。これに対して出撃した日本艦隊を迎え撃つこととなった。
10月25日、エンガノ岬沖海戦に参加。重巡洋艦ニューオーリンズ、軽巡洋艦サンタフェ、モービルとの共同で空母千代田を撃沈。
1945年3月21日、沖縄戦に参加。
8月15日、日本が降伏。沖縄で終戦を迎える。
9月10日、長崎で捕虜10,000名を乗艦させ、アメリカ本国に送還。その後はマリアナ諸島からの復員輸送を行う。
1946年7月15日、予備役となる。
1947年2月3日退役。
1959年8月14日、スクラップとして売却された。
曖昧さ回避
- アメリカ先住民族のウィチタ族。「ウィチタ」はウィチタ語で“人間”を意味する。
- カンザス州(アメリカ合衆国)最大の都市。
- アメリカ海軍の重巡洋艦。同型艦はない。
- ゲーム戦艦少女に登場する重巡洋艦「ウィチタ」を擬人化したキャラ。威奇塔。
- ゲームアズールレーンに登場する重巡洋艦「ウィチタ」を擬人化したキャラ。威奇塔。
- ウィチタ(プラエデ)(レッド:プライドオブエデン)