概要
元素記号はNp。アクチノイド元素の1種であり、ランタノイドのプロメチウムに対応する。超ウラン元素の1種でもあり、その中で最も軽い元素であり、天然に存在する超ウラン元素の1種でもある。
名前は惑星の海王星に由来する。これは1つ前の元素のウランが、ウラン発見の8年前に発見された惑星の天王星に由来する事から、冥王星 (当時は惑星) に由来するプルトニウムと共に惑星の順番で命名された事に由来する。
性質
核物理学的性質
ネプツニウムの同位体に安定同位体は存在せず、全ての同位体が放射性同位体である。最も安定な同位体は半減期214万4000年のネプツニウム237であり、合成の容易さからもこの同位体が最も多用される。ネプツニウム237は、ウランに中性子線を照射して合成する。ウラン235に対して熱中性子を2個吸収させウラン237とし、半減期6.75日でネプツニウム237へとβ崩壊する。また逆に、ウラン238に対して高速中性子を照射すると、吸収ではなく中性子をたたき出す事でウラン237にする方法もある。
ネプツニウムは使用済み核燃料の0.05%、プルトニウムに対する比率は5%と少ない量で存在する。これは原子番号が奇数で、原子核が若干不安定である事に由来する。
ネプツニウム237に次いで長いのは半減期15万4000年のネプツニウム236と半減期396.1日のネプツニウム235であり、その他は長くて数日、多くは1時間未満の半減期となる。
ネプツニウム237はネプツニウム系列という崩壊系列の最初の同位体であり、α崩壊とβ崩壊の繰り返しで最終的にはタリウム205まで到達する。しかしながらネプツニウム237は他の崩壊系列の最初の同位体と比較すると極めて半減期が短い為、原初のネプツニウムは全て崩壊しており、他のルートで発生したネプツニウム237も極微量にしか存在せず、崩壊系列という概念が生まれた当初はミッシングリンクとして知られていた。
物理的性質
単体のネプツニウムは銀色の固体金属である。展性・延性を有するが、硬度は硬くマンガンに匹敵する。
常温常圧での密度は比重20.45と、全元素で5番目と極めて高い値を有するが、温度が高くなると結晶構造が変化して最低18.0まで下がる。少なくとも3種類の同素体がある事が知られており、4種類目の存在が主張されているがこれはまだ証明されていない。
融点は639℃と低いが、沸点は異常に高く、推定4174℃であり、これはまだきちんと測定されていない。
化学的性質
単体のネプツニウムは反応性が高く、空気中では酸化して曇り、粉末は自然発火する。
酸化数は+3から+7が知られており、+5が最も安定である。化合物の性質は様々に調べられており、基本的な無機塩から有機化合物まで幅広く合成されている。
ネプツニウムは酸化数によらず水溶性が高い傾向にあり、これは他のアクチノイドと異なる性質である。
用途
ネプツニウム自体の用途は、高エネルギーの中性子検出器としての用途がわずかにあるものの、主流ではない。
ネプツニウムの利用法と存在意義は、実質的にその隣にあるプルトニウムの生産の為にあると言っても過言ではない。
ネプツニウム237はウラン235から生産されるが、更にそこに中性子を1個吸収させ、β崩壊でプルトニウム238とするのである。プルトニウム238はRTG (放射性同位体熱電気転換器) として有用な性質を持つ。プルトニウム238自体は使用済み核燃料に存在するが、他の同位体から分離するという手間が生ずるのに対し、この方法ではかなり純度の高いプルトニウム238を精製させる事ができる。
また、ウラン238に対して中性子を1個吸収させると、最終的にプルトニウム239に崩壊するが、途中で経由するのは半減期2.356日のネプツニウム239である。
ネプツニウム237は核分裂性物質であり、理論上は核兵器に使用する事は可能である。しかしながら、ネプツニウム237の臨界質量は60kgと、現在核兵器として主流のプルトニウム239の6倍以上も重い。戦術核兵器として小型化が主流の現代において無駄な大型化は逆行している。そしてこれほど大量のネプツニウムを生産できる設備があれば、それは明らかにプルトニウムも大量生産が可能である事を意味し、わざわざネプツニウムを使う意義に乏しい。
実際のところ、核兵器に転用可能という理由で、濃縮ウランとプルトニウムの全同位体の生産・所持・使用は国際的に厳しい規制が敷かれているが、ネプツニウムは何ら規制を受けておらず、放射性物質としての一般的な規制以上の措置は必要とされていない。一般人が持っていたとしても、濃縮ウランとプルトニウムはどんな量でも違法となるが、ネプツニウムに関しては何ら違法性は問われない。
また、一般人が所持可能な最重元素であるアメリシウムはアメリシウム241が使用されており、半減期432.2年でネプツニウム237へと崩壊する。ネプツニウム237ははるかに半減期が長いため、1年で0.2%ととても小さな割合だが徐々にアメリシウムからネプツニウムへと変換されており、これが理由で一般人でもネプツニウムの所持も可能となっている。
歴史
ウランの次に位置するネプツニウムの存在の予測から発見までは、初期の原子物理学の歴史と深いか関わりがある。
ドミトリ・メンデレーエフが周期表を発表した際、ウランの後ろは空白にされていた。初期の原子物理学は、ウランの後ろに元素があるかどうかについて、肯定も否定もなされておらず、真剣にその存在の有無を論ずる事もなかった。しかしながら1932年に中性子が原子核を構成する要素として発見され、1934年に初めて人工の同位体であるリン30が合成されるに至って、人工的により重い元素を合成する道が開かれた。
エンリコ・フェルミは、重い原子核に対して中性子を照射すると、β崩壊で原子番号が1つ上がる事を見出し、1934年にローマ大学のチームと共にウランに中性子を照射する事で93番元素を合成したと主張。イタリアの古名のアウソニアに因んで「アウソニウム (Ausonium・Ao)」と名付けた。なお、この時には同時に94番元素の発見も主張し、イタリアのギリシャ語名に因み「ヘスペリウム (Hesperium・Es)」と名付けていた。
しかしながら、中性子を照射すると、原子核は1つ原子番号が上がるのではなく2個の軽い原子核に分かれるのではないか、と多くの科学者によって指摘され、またフェルミは93番元素を化学的に単離できなかった為、この主張は主張は認められなかった。当時は原子核と中性子との反応で吸収が起こるのか、それとも核分裂が起こるのか、正確な条件がわかっていなかったのがその理由の1つであった。また当時はアクチノイド系列が未発見であったため、93番元素はレニウムと化学的性質が似ていると思われており、レニウムに似た元素探しという誤った方向性が93番元素の発見を困難にしていた。現在でもフェルミが実際に93番元素と94番元素を得ていたかは不明である。
1934年、チェコのオドレン・コブリックによってウラン鉱石のピッチブレンドを洗浄した水から93番元素が発見されたと主張し、母国チェコのボヘミア地方に因み「ボヘミウム (Bohemium)」と名付けたが、それは後にタングステンとバナジウムの混合物であった事が判明した。
1938年、ルーマニアのホリア・フルベイとフランスのイヴェット・コショワは、鉱物のタンタル石中に93番元素を分光観測で発見したと主張し、フランスを流れるセーヌ川のラテン語名に因み「セクアニウム (Sequanium)」と名付けた。しかしこの頃には93番元素は不安定過ぎて自然界に存在しないとみなされ、発見は撤回された。ただし実際にはネプツニウムは極微量だが自然界に存在しているのが確認されている為、フルベイとコショワは実際には発見した可能性はある。
1940年、日本の仁科芳雄は、木村健二郎と共に93番元素の合成を試みた。高速の中性子を当てると、吸収や核分裂ではなく原子核から中性子を叩き出す反応がある事から、ウラン238に高速中性子を照射し、生じたウラン237の崩壊を観測した。仁科と木村は、トリウム232からいずれも既知の核種であるトリウム231とプロトアクチニウム231が生じる事からこの方法が使える事を示し、生じたウラン237が半減期6.75日でβ崩壊する事までは観測できた。しかしながら、生じたはずの93番元素が崩壊する様子を観測する事ができず、結果的に発見には結びつかなかった。これは生じた93番元素の量があまりに微量で、更にそれ自体の半減期が非常に長かった事で検知ができなかったのである。また、この実験でもレニウム的化学的挙動を示す物質から発見を試みていた。
43番元素のテクネチウムにまつわるニッポニウムのエピソードはよく知られているが、この第2のニッポニウム発見の試みも失敗し、その後正式に93番元素がネプツニウムと名付けられた際にかつてニッポニウムに提案された元素記号のNpが使用されたのは何とも皮肉である。
結局93番元素を射止めたのは、エドウィン・マクミランとフィリップ・アベルソンによってである。1940年、ウラン238に中性子を照射して生ずる核分裂生成物の研究をしていた際に、核分裂生成物ではない原子核を見出した。これは半減期が約2.3日である事が示された。この時でもまだ93番元素はレニウムに似ていると考えられ、当初はマクミランとアベルソンもその方向性で分析を進めていたが、すぐにその可能性を放棄して化学的性質を調べたところ、それがむしろランタノイドに似ている事を見出した。
マクミランとアベルソンは分析を続け、発見した93番元素の化学的挙動はレニウムではなくランタノイド、そしてウランに似ている事を見出し、海王星に因んでネプツニウムと名付けた。最初に発見された同位体はネプツニウム239であったが、その後1942年にネプツニウム237が合成され、その半減期が非常に長い事から、詳細な研究が可能な程の量の合成が可能となった。ネプツニウム237の発見は、かつて仁科と木村が合成を試みた93番元素の半減期が非常に長いという観測結果が正しい事を証明した。そして1945年、93番元素はレニウムの下にある元素という長い間の誤解は撤回され、ネプツニウムの化学的挙動からアクチノイドという系列が定義される事となった。
天然での存在
ネプツニウムは全ての同位体の半減期が地球の年齢と比較すると短く、仮に地球が全て純粋なネプツニウムの塊だったとしても46億年間で全て崩壊して無くなってしまう。
しかしながら、それでもネプツニウム237とネプツニウム239が天然にわずかに存在する。これは天然に存在するウランが中性子を吸収して発生するもので、1952年にベルギー領コンゴ (現在のコンゴ民主共和国) で初めて発見された。その割合はウランに対して1兆分の1以下である。
ただし、天然で実際に遭遇するネプツニウムのほとんどは、大気内核実験や原発事故に由来する人工のネプツニウムであり、その大半がネプツニウム236とネプツニウム237である。その総量は2500kgと推定される。
毒性
ネプツニウムの生物に対する毒性はほとんど判明しておらず、研究も進んでいない。その他の放射性物質と比べると、大量に暴露する恐れもほとんどないとみられている。
動物実験では、経口摂取では消化管からはほぼ吸収されない事が示され、血液中に直接注入された場合には骨に沈積しゆっくりと放出される事が観察されているのみである。