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ハンニバル・バルカ

はんにばるばるか

紀元前247年-紀元前183年頃。第二次ポエニ戦争などで活躍したカルタゴの将軍・司令官。
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概要編集

紀元前247年-紀元前183年ごろのフェニキア人で、カルタゴの将軍。第一次ポエニ戦争で活躍したハミルカル・バルカの息子。

別名ローマ史上最大の敵」


名前は「ハンニバル・バルカ」と書かれる場合が多いが、実名はおそらく単に「ハンニバル」で、「バルカ」はつかない。

「ハンニバル」はフェニキア語で「神(バアル)の恩寵」という意味(そこから転じて「バアルの愛する者」や「バアルの慈悲(慈悲深きバアル)」とも言われる)を持つ、カルタゴでは割とありふれた名前。バルカは「雷光」を意味するという添え名だが、これは本来ハンニバルの父に与えられた添え名であり、他に多数いるハンニバルと区別するために便宜上付けられているに過ぎない。尤も、父に与えられた添え名を家族名のごとく扱うローマ人の習慣に引っ張られていた場合もあるかもしれない。

ギリシア語形のハンニバル・バルカスと表記されることもある。


人類史上最高の戦術家として名高く、カンナエ(カンネー)の戦いで用いた包囲殲滅戦法(後述)は、現在でも各国の軍学校の教科書に載っているほど。

また、当時地中海最強であったローマが相手より多い軍勢を持ちながら敗北したのは彼のみである。



その生涯編集

紀元前247年に誕生。ハミルカル・バルカ将軍の息子としてカルタゴで生を受ける。

9歳の時、父のイベリア半島への出征に同行を申し出た際、父にバアル神の神殿へ連れられ、「一生ローマぶっころすの誓い(超意訳)」を行う。ただこのエピソードは後年亡命中のハンニバルが「俺は筋金入りの反ローマだぜ」のアピールとして語ったものでありどこまで事実とするかについて意見は分かれる。

父の死後、義兄(姉婿)であるハシュドゥルバルのもとで生活するが、紀元前221年にハシュドゥルバルは暗殺されてしまう。その後司令官の座を引き継いだハンニバルは、父の遺志であったイベリア半島(スペイン)平定を成し、ここを半ば一族の私領として運営しローマと戦うための準備を始める。


ローマとの条約を破ってハンニバルが紀元前219年にイベリア半島のローマ勢力圏に侵攻してローマの同盟都市サグントゥムを攻囲したことで第二次ポエニ戦争は始まる。八か月の攻囲戦の後にサグントゥムを落としたハンニバルは弟のハスドルバルに2万5千の兵を預けてイベリアに残し、自らは5万とも6万とも言われる兵力を率いて紀元前218年にイベリア半島からガリア南部を通り、当時不可能だと思われていたアルプス山脈を越えてイタリア半島へと侵攻する。この際まで連れてアルプス越えを果たしたことは後世まで驚きを持って伝わっている。


このアルプス越え、割と最近まで「流石に誇張した伝説ではないのか」という説もあったのだが、「仮に本当であった場合、雪山の環境なら確実にゾウのウンコとかが残っているはず」と発掘を続けた考古学者が年代も一致するウンコを発掘しており、紛れもない真実だった裏付けが取れた上、アルプス越えのルート特定が進んでいる。

またハンニバルがこの無謀とも言えるアルプス越えを敢行したのは、かって地中海最強と言われたカルタゴ海軍は今では大型艦船は150隻ほどで220隻を擁するローマ海軍に数で劣るうえ、第一次ポエニ戦争で実証されたように接舷切り込み用のコスタルを装備したローマ海軍に海戦で遅れを取っており、決定的な勝利を得る為に相手の心臓部であるイタリア半島に直接侵攻するのに制海権を満足に取れていない海路で侵攻する事は困難な為であった。


アルプスを越え、イタリア半島に雪崩れ込んだハンニバルの率いるカルタゴ軍はそのヌミディア騎兵がローマの執政官プブリウス・コルネリウス・スキピオのローマ軍騎兵と戦いこれを破り(ティキヌスの戦い)、次にハンニバルは執政官ティベリウス・センプロニウス・ロングスのローマ軍と対戦したトレビアの戦いで両翼のヌメディア騎兵による両翼包囲でローマ軍を包囲殲滅する勢いであったが、ローマ軍は中央突破を果たして辛うじて脱出し敗走していった。

紀元前217年にはスキピオ、ロングスに代わって執政官となったグナエウス・セルウィリウスガイウス・フラミニウスのローマ軍をトラシメヌス湖畔で待ち伏せ、湖畔沿いの丘陵の隘路を通る行軍隊形で細長い隊列となったローマ軍の前方から重装歩兵、後方からヌミディア騎兵、そして側面からは軽歩兵とガリア人部隊が湖に圧迫するように襲い掛かり、湖を栓とする形で包囲されたローマ軍は壊滅し、執政官二人も戦死者に含まれていた。

この事態にローマは非常事態宣言を出してクィントゥス・ファビウス・マクシムスを独裁官に任命してハンニバルに対した。

ハンニバルの能力を見抜いていたファビウスは、ハンニバルと衝突することを避けて兵力を温存すると共に、ハンニバルが攻めようとする土地を先に焼き払って逃げてしまうという焦土戦法を行い、ホームグラウンドの有利さを最大限に利用しての相手に消耗だけを強いる持久戦を試みた。

一方ハンニバルの方はファビウスの私領のみ略奪を手控えさせ、ローマに対してカルタゴにファビウスが内通しているとの疑念を生じさせようとした。また捕虜となったローマ兵と同盟都市の兵とで待遇を分けたりとローマと同盟国間の分断工作を欠かさなかった。

やがてファビウスの消極的と見なされた戦法はローマ内外から批判され、彼の任期が切れるや、指揮権は執政官に返上された。

紀元前216年、執政官となったガイウス・テレンティウス・ウァッロルキウス・アエミリウス・パウッルスのローマ軍は性急なウアッロに引きずられる様にカンナエで8万とも言われる膨大な軍勢をもって5万のハンニバルに挑むが、この戦いでヌミディア騎兵による両翼からの二重包囲を完成させたハンニバルによってパウッルスを含む52名の指揮官が戦死し、7万名が戦死するか捕虜となる空前の敗北を喫した。

この有名な「カンナエの戦い」で主力を失ったローマ軍には首都ローマを守るべき満足な兵力は残されてはいなかったが、そのままローマを落とすべきとの部下の進言を退け、ハンニバルはイタリア半島の都市国家を切り離しローマを孤立させることを選択した。ところが父が彼に教えたローマの時代とは違い、今やローマと周辺諸都市の結束は予想以上に固く、紀元前216年にカプア、紀元前212年にタレントゥムをローマから離反させたぐらいに留まり、この戦略的判断ミスが後々まで響いていく。

そして対するローマはカンナエ以降、ハンニバルの恐ろしさが知れ渡ると漸くファビウス戦略の有効さを認め、紀元前215年にファビウスは補充執政官に選出され、次の紀元前214年にもマルクス・クラウディウス・マルケッルスと共に執政官に選出され、彼は持論の戦略で以後ハンニバルを次第に追い詰めていく事となる。


ハンニバルの連勝はイタリア諸都市の完全な離反には至らなかったもののカプア、タレントゥムの都市を造反させることには成功し、ローマに圧迫されていた北イタリアのガリア人と呼ばれるケルト諸民族も次々と加わった。また東方のマケドニア王国を反ローマに引き込むことにも成功していた。マケドニアの参戦により南のカルタゴ、シチリア、西のイベリア半島のバルカ家領、北のガリア人、東のマケドニア、そして中央のハンニバルという構図が出来上がり、このことはハンニバルの戦略的才能も証明している。


しかしハンニバル自身はファビウスの戦略により本国との連携も取れず(本国は日和見主義だった上、制海権はローマがにぎったままだった)、ローマの心臓部を破壊して戦争に勝利する筈だったハンニバルは逆にイタリア半島という監獄に閉じ込められた状態に陥った。

それでも紀元前208年に伏兵でマルケッルスを討ち取る事もあったが、弟のマゴを本国に派遣しての増援要請も、大スキピオに圧迫されつつあるイベリアに危機感を抱いた本国政府により増援はイベリアに向かう事となり、紀元前210年にはタレントゥムを失うなど次第に勢力圏もローマに奪還され、決戦には応じないものの戦闘を仕掛けてくるローマ軍に兵力を削られていくなどジリ貧となっていった。

そんななか紀元前207年に大スキピオに敗れたハンニバルの弟ハスドルバルがイベリアから軍勢を率いて合流しようとしたのはハンニバル軍にとって明るい知らせであったが、その意図はローマ側に悟られ、途上で執政官ガイウス・クラウディウス・ネロのローマ軍に捕捉されてのメタウルスの戦いに敗れてハスドルバルは戦死を遂げて軍勢は壊滅し、ハンニバル軍は孤立の度合いを更に深めていった。

こうして常勝将軍の彼がイタリア半島に釘付けにされ何も出来ないなか、ハンニバルが構築したローマ包囲網も国力を総動員したローマにより徐々に破られていく。マケドニア王ピリッポス5世はローマの支援を受けたペルガモンに対処するのに精一杯であり、紀元前212年にはマルケッルスによりシチリアのシラクサは占領され、紀元前206年には大スキピオによってイベリア半島からカルタゴは駆逐され、紀元前205年に兄の窮状を救うべくマゴが海からリグリア地方に上陸するもローマ軍に阻まれ、紀元前204年には勢いに乗ったローマはカルタゴ本国攻略の為にアフリカに侵攻し、カルタゴの同盟国ヌミディアを制圧して親ローマ国とし、ハンニバルの勝利に貢献してきたヌミディア騎兵はローマが抑える事となった。

カルタゴ本土に危機が迫るなか、ハンニバルは紀元前203年に本国からの帰国命令を受けイタリア半島から撤退しアフリカに戻る事となる。また、リグリアのマゴにも撤退命令が出されるが、負傷していた彼は撤退中に傷が悪化し、兄に会うことなく死亡している。

そして紀元前202年の「ザマの戦い」で、かつて自分がカンナエで使った包囲殲滅戦法をラーニングし、更にはかってのハンニバル軍の主力であったヌミディア騎兵を取り込んだ大スキピオ率いるローマ軍に、ついに敗北した。

ただし、この戦いでもハンニバルの軍事的天才ぶりは衰えず、既に精兵でなくなった両翼の騎兵には精鋭ヌミディア騎兵を中心とした敵騎兵を後退して誘致することで時間を稼がせ、その間の重装歩兵同士の戦闘には第一・第二陣から従来より離れた場所に第三陣を配置して、第一・第二陣を突破し疲弊した相手にそれを叩きつけて撃破しようとする現代の予備部隊の概念に通じる先進的な布陣を行っていたという。(もっとも先鋒の象軍団の突撃の失敗、第一・第二陣の予想より速い崩壊、スキピオの機転によるローマ軍の敵前での休息などの戦場での齟齬でハンニバルの作戦は画餅に帰し、ローマ軍を圧倒できなかったカルタゴ重装歩兵は、カルタゴ騎兵を遠く追い払い戦場に戻って来たヌミディア騎兵達に後方・側面に回り込まれ包囲殲滅される事となった)


その後、敗戦処理などでも辣腕を振るい、政治家としても人並み外れた能力を発揮するものの、反ハンニバル派によるクーデターで失脚。

シリアに逃れるものの、ローマからの追っ手がかかり、最終的には自害した。


逸話編集

●アルプス越えを果たした折にはカルタゴ軍は2万名の兵を失ったと言われる。

またイタリア半島に侵入して後の紀元前217年には不衛生な沼択地などを行軍した事でハンニバルは疫病にかかり左目を失明している。


●カンナエの戦いを前にしてローマ軍と相対したカルタゴ軍では相手の兵力の多さに動揺し、ギスコという将校が「なんという数だ」と思わず口を滑らしたところ、ハンニバルは「お前が気づいていない事があるぞ。あれだけの数の人間がいても、そのなかにギスコという名の者は一人もいないのだからな」とすかさず冗談を言って皆を和ませたという。


●カンナエの戦い後にハンニバルがローマを攻囲しようとしなかったのは攻城戦の兵器が不足していた為とも言われる。そしてその決断に対して、ローマ攻囲を主張したマハルバルという将校は「あなたは戦争に勝つ手段は知っていても、勝利を活かす手段を知らない」と不満を述べたという。


●性格は自信家であったらしく、彼がシリア王アンティオコス3世の許に亡命していた折、シリア戦争後に派遣された大スキピオとエフェソスで会見する事があり、スキピオが最も優れた指揮官は誰か問うたところ、「一位はアレクサンダー大王、二位はピュロス王、三位は私」と答え、苦笑しながらスキピオが「ではザマの会戦で私があなたに敗れていたら?」と聞くと「その時はアレキサンダー大王を越えて私が一位となっていた」と答えたという。


●ローマを苦境に追い詰めた彼の影響は大きく、ローマ人からは畏怖と憎悪の感情で「残虐極まりない人物」とされ、今でもイタリアでは子供をしつけるのに「そんな事をしているとハンニバルが来て、あんたを攫っていくよ」と叱るという。


包囲殲滅戦法編集

基本的には自軍の中央の重装歩兵で相手の中央の重装歩兵の攻撃を受け止めている間、両翼のヌミディア騎兵を中心とした精鋭騎兵で相手の騎兵を撃破し、そのまま両翼から相手後方・側面に回りこませて包囲し、「自分たちは100%の戦力で戦えるが、敵はほとんどの兵士が戦闘できない状態」を作り出して殲滅する作戦。

トレビアの戦いでもハンニバルにより行われたが、包囲殲滅する前に精強ローマ重装歩兵軍団は正面歩兵軍団の中央を突破して脱出した為に失敗に終わっていた。

この戦いを教訓として、カンナエの戦いにおいて、ハンニバルは数で大きくまさるローマに対し、

ガリア人を主力とする弱体な自軍重装歩兵を弓状に湾曲した形で突出して配置することで強力なローマ重装歩兵に押し込まれても後退して時間を稼げる距離を与え、強力な両翼の騎兵戦力でローマ両翼を蹂躙して包囲網を完成させるまで重装歩兵が突破されないようにし、ローマ中央部を包囲殲滅する一方的な大勝利を実現した。


ドリフターズにおけるハンニバル・バルカ編集

「こいつはなあ お前らなんぞ何百万人いても勝てないんだよ

こいつは こいつは!

こいつは、ハンニバル! ハンニバル・バルカ! 俺のローマは100万の軍勢は恐れないが、こいつ唯一人を恐れた!」byスキピオ

ドリフ ワンドロ

平野耕太作の漫画、『ドリフターズ』において本人として登場。

ハンニバリオン初号機。カルタゴが産んだ汎用人型決戦兵器。ローマの近くでサードインパクトを起こし、ローマを滅ぼしかけた。

人類史上最強の戦術家としての能力は衰えていないものの、寄る年波には勝てず、頻尿・尿漏れに悩まされている。誰かハルンケア買ってこい。もしくは作れるだろ、オカマとかが。

ツンデレジジイことスキピオ・アフリカヌスと喧嘩するほど仲が良かったが、戦地からの脱出の道中でスキピオが馬車から落馬、その結果人生に張り合いがなくなったハンニバルは、急激にボケてしまう

が、時折シャキっとするので、豊久からは「維新斎さまと同じ目ばしとる」と評価されている。実際シャキっとしてるときに立案する作戦は、のぶのぶもビックリするほど有効。あと著作権にうるさい。燃料は木いちご。


木いちごくれなきゃカルタゴほろぶ。おなかがすいた…ローマを焼こう。


ぶっちゃけこんなの主人公サイドにいて良い人間じゃねーだろ!とツッコまざるを得ない程のバケモノ。ボケ老人のハンデくらいしないと速攻で物語が終わる。後に三十路の美少年と一緒に衆生を救う世直しの旅に出た。オイ、こんなヤベーの野放しにすんなよ。


その他の漫画作品編集

アド・アストラ-スキピオとハンニバル-」 著者:カガノミハチ

ハンニバル」 著者:鈴木やすこ


映像作品編集

映画「ハンニバル」 演:ヴィクター・マチュア

テレビ映画「ガーディアン‐ハンニバル戦記‐」 演:アレクサンダー・シディグ

テレビドラマ「バーバリアンズ・ライジング」 演:ニコラス・ピノック

関連タグ編集

カルタゴ スキピオ・アフリカヌス


Fate/Requiem:名前のみ登場。→ハンニバル・バルカ(Fate)

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