概要
1985年4月17日の阪神対巨人のシーズン最初の伝統の一戦。
三番打者ランディ・バース・四番打者掛布雅之・五番打者岡田彰布が3人揃って巨人・槙原寛己からバックスクリーン方向にホームランを打った出来事である(ただし正確には掛布はバックスクリーン左である)。
この年最終的に54本塁打を放つバースにとってもこれが第1号のホームランだった。
それまで1点に抑えていた槙原だったが、この3連発で一挙5点を奪われて降板。この時「王貞治監督が物凄い形相で睨んでいた」と後に語っている。
なお、試合は9回表に巨人が1点差まで追い上げるも反撃はここまでで阪神が逃げ切り勝ちを収めた。
そしてこの年は最終的に1964年以来21年ぶりにリーグ優勝、そして初の日本一に上り詰めたことで、この年の阪神を象徴する1シーンとして現在でも語り継がれている。
この年のバースは54本134打点・掛布は40本108打点・岡田は35本101打点の成績を残し、3人合わせて129本343打点という破壊力を見せ付けた。
余談
そのインパクトの強さから、現在でもプロ野球の名シーンの1つに数えられており、日本人の野球ファンに「三者連続ホームランと言えば?」と聞けばまず真っ先にこのバックスクリーン3連発を思い浮かべる人は多いことだろう(特に中高年世代)。
このため、現在でも国内外を問わず、プロ野球で3者連続ホームランが達成されるとこの出来事が引き合いに出されることが多い。
最近(2024年現在)では、2023年に当時大谷翔平選手の所属してい9たMLBのロサンゼルス・エンジェルスが現地4/22に本拠地のロイヤルズ戦でテイラー・ウォード選手→マイク・トラウト選手→大谷選手により達成された3者連続本塁打が記憶に新しい(ちなみに、試合も4-3でエンジェルスが勝利を収めており、「なおエ」にならずに済んだ)。
ネット上やひるおび・ゴゴスマなどでは、案の定というか、この3連発をバックスクリーン3連発と被らせ、その時に3連発被弾されてしまった槙原氏をMCの恵俊彰氏達がネタ扱いしてイジりまくっており、その一方で槙原氏は3連発を演じた大谷選手達3人を絶賛した上で、自身と同じ3連発被弾を浴びてしまったロイヤルズのジョーダン・ライルズ投手を「投げるだけのマシーンになってしまった」と慮り、「また今度頑張ろう」と労っていた。
ちなみに、エンジェルスはそのおよそ2ヶ月後の現地6月24日のロッキーズ戦でもトラウト選手→ブランドン・ドルゥーリー選手→マット・サイス選手による三球連続三者連続ホームランを達成している(さらに、この試合ではメジャー49年ぶりとなる先発全員安打&打点、23年ぶりの球団タイ記録となる1イニング13得点・4本塁打、球団新となる28安打・25得点などをマークし、25-1の大差でロッキーズに圧勝した)。
また、このシーズン、大谷選手は44本の本塁打を放ち、アメリカンリーグの本塁打王およびリーグMVPに輝いた。
引き立て役となってしまった男・槇原と阪神
3連発をくらった槙原だが、実は阪神戦を得意としており前述のバックスクリーン3連発の次の試合から4年にかけて8連勝、1つ負けて3年にかけて7連勝、その後も8連勝、1つ負けて5連勝してるように対阪神戦38勝10敗10完封の好成績を残している。
…なのだがこの槇原、前述の3連発や99年の新庄の敬遠球を打たれてサヨナラ負けという阪神の歴史の中でインパクトが強すぎる試合の当事者([打たれたピッチャー)だったためか一部では「歴史的瞬間の踏み台になった人」とも呼ばれ、現在でもその映像が度々流されてネタにされることが多い。
本人たちもこのことを認めており、バース氏は、後年とある番組で「俺たちが槙原を有名にしてやったんだ」と冗談交じりで語っていた他、槙原氏自身も引退後は講演の席などで「バックスクリーン3連発を打たれた槙原です」と笑いを取る自虐ネタにしている。