プロフィール
生年月日 | 1985年5月15日 |
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性別 | 牡 |
父 | サーペンフロ |
母 | ホースメンリンダー |
母の父 | フォルティノ |
通算成績 | JRA2戦1勝/ホッカイドウ競馬5戦3勝 |
主な勝ち鞍 | JRA4歳新馬戦/ホッカイドウ競馬柏林台特別 |
半兄 | ダイゼンシルバー |
父サーペンフロ
1971年にイギリスで産まれた。通算成績は15戦5勝で主な勝ち鞍はアイルランドGⅡのガリニュールSである。1976年より供用が開始され1989年に永眠。代表産駒は「無事是名馬」の代名詞ランニングフリーや脚部不安を抱えながらも通算成績10戦無敗のまま心臓麻痺で急死した船橋競馬場伝説の名馬アクチブハトリなどがいる。
半兄ダイゼンシルバー
シンボリルドルフの同期馬で現役時は神戸新聞杯をレコードで制覇。同年の第1回マイルチャンピオンシップでもニホンピロウィナーの3着にも入っている。JRAでの通算成績は11戦5勝で引退後は種牡馬となり1994年に引退。1997年の千葉ステークスを制したマイネルタクトなどを輩出した。
戦績
(馬齢表記は旧年齢表記)
4歳時(2戦1勝)
1988年1月30日に京都競馬場で開催された4歳新馬戦でデビュー。メンバー中最速の上がりで9馬身差をつけて圧勝した。この勝ちっぷりで「超大物」と評判になったが2戦目のさわらび賞は1番人気で10着と大敗してしまう。もっとも、このさわらび賞の勝ち馬は後に阪神牝馬特別や中山牝馬ステークスを制し京都牝馬特別を連覇したリキアイノーザン、2着馬も同年のエリザベス女王杯を制したミヤマポピーだったことを考慮すれば「相手が悪かった」としか言いようがなかった。この後、脚部不安を発症し長期休養の末ホッカイドウ競馬に移籍した。
5歳時(3戦2勝)
約1年3か月の休養後にホッカイドウ競馬でのデビュー戦を迎えた。6月27日のサラ系一般CD戦を7馬身差で快勝し、続く日の出特別も4馬身差で勝利し連勝した。だが3連勝を控えた浜益特別で1番人気の8着と惨敗する。
6歳時(2戦1勝)
復帰戦となった5月8日の柏林台特別を5番人気で勝利したが次走の霧多布特別は1番人気で6着に終わった。このレースを最後に引退。JRAでもホッカイドウ競馬でも現役時は常に脚部不安と闘い続けた競走生活だった。
引退後
故郷の鎌田牧場で種牡馬入りしたが、ほぼ「自家用種牡馬」的存在だった。生涯産駒数は僅かに4頭だが1頭は登録されていないので事実上3頭しか残せなかった。更に無事にデビュー出来た馬も2頭だけだったが1頭の産駒が後に奇跡を起こす。
フサイチコンコルドが制した第63回日本ダービーで17頭立て16番人気で17着に終わったが、向こう正面から一気にまくっていったザゴールドがモガミプレジデントの代表産駒である。ザゴールドは重賞にこそ手が届かなかったが札幌日刊スポーツ杯も制し、第28回高松宮記念にも出走した。血筋こそ途絶えてしまったが、産駒が日本ダービーに出走を果たしオープン勝ちを収めたのだから十分過ぎるほど称賛に値するモガミプレジデントの種牡馬生活だった。