あざむく言葉に 轟く銃声
セクシー・アドベンチャー
概要
『ルパン三世(アニメ第2期、以下PART2)』終了から約4年後にあたる1984年3月3日に放送を開始し、1985年9月(一部放送地域によっては10月上旬まで)にかけて、日本テレビ系列全21局(当時)に加えて、TBS系列局約1局、フジテレビ系列局約5局、テレビ朝日系列局約4局にて放送された。
制作ホスト局は第1期(以下PART1)の読売テレビに戻った。
タイトルが最初から「PART○表記」されているのはこれ以外ではPART5とPART6がある。
日本テレビ主導による采配で大成功を収めた前作を受け、『ルパン三世』のアニメ版制作の古巣であった読売テレビはかなり対抗心を燃やしていた。
前作もPART1との差別化を求めていたが、本作は特に露骨なまでに差別化するよう求めている。
その最たる例が、主人公のルパン三世が着るピンクのジャケットである。
このややエキセントリックなチョイスのファッションは「緑に戻すか?」という製作の質問に対し「そこまでしなくていいけど赤だけはやめろ」という要望から、次の案としてあった白とPART2の赤のイメージを踏襲してキャラクターデザインと作画総括を担当した青木悠三のアイデアで折衷案的に生まれたものである。
前作の雰囲気は残しつつ、独自性を意識した結果、次元大介や銭形警部も他シリーズとは異なる色合いの明るめなスーツを着ている。
劇伴に関しても前作同様に大野雄二が担当しているが、そもそも『ルパン三世のテーマ』の版権は日本テレビ側が押さえている上、先述した読売テレビ側の意向もあり本作のためにわざわざ新規に作曲された(曲調そのものは前作に似せている)という経緯があり、担当した大野が「何故(前作の劇伴が)流用出来ないのか自分には理解出来ない」とぼやいた程であった。
もっとも、そのおかげで完全新作の劇伴となっている。
本作の放送期間中に劇場公開された映画『バビロンの黄金伝説』では双方の合意の上でアレンジ版かつBGM扱いで使用された。
作風
前作とは打って変わったキャラクターデザイン。
ファンの間ではPART2の「ブロードウェイシリーズ」で知られる奇才アニメーターの青木悠三の手による新たなキャラクターデザインは、原作の絵柄を意識しつつも、パステル調の派手な色彩と相成って1984年という時代にあったアメリカンな雰囲気のビジュアルとなった。
前衛的なキャラデザを許容できるかで好みが大きく分かれ、PART2とは絵柄がまるで異なるため、思い入れのあるファンや再放送で馴染んでいた層からの当時の評価はかなり低かった。
……ただしこれはOPの印象で語られている場合も多く、実際は話数によってまちまち。
PART2を彷彿とさせるものになっているものもあれば、ゴツめに描かれているものもある。
これは総作画監督という役職を置かなかったため絵柄の修正を行わなかったのが原因である。
普通のアニメは現在でも総作画監督の修正が入り、各回の作画監督の癖を薄めるが、東京ムービー作品は元祖天才バカボンやPART2後半などアニメーターの個性を出す作品が多く、プロダクションごとの個性を出す方針が採られた。
一番わかりやすいのが前期と後期のOPの絵柄の違い。どちらも原作テイストなのだが原作自体がそれなりに振れ幅があるためにかなり印象の違うものとなっている。
また、後期の絵柄は後に出崎統が監督を担当したスペシャルシリーズに、一部ながら影響を与えている(特に女性)。
また本作ではアメリカが舞台の話が非常に多いのも特徴。
第1話からして原作の『サンフランシスコ編』の初アニメ化である。
宮崎駿への当てつけかは不明だがストーリーはかなり親米右派っぽいノリのものが多く、後のテレスペにも受け継がれている。
人気と不憫な扱い
何かと言われやすいシリーズだが、決してエピソードのクオリティが低いわけでなく、ややPART1のハードボイルド色に寄りつつ、PART2の浦沢義雄・青木悠三による「ブロードウェイシリーズ」の画風の影響を受けた、万人向けな明るさも兼ね備えた折衷案的な作風となった。
数年の間に作画水準も上がっており、平均的にPART2の良作画回の水準に達しており後のテレスペ並のシーンも。
前作の放映期間3年間、エピソード全155話には到底及ばなかったものの、全50話と約1年分のエピソード数を誇り、作品としては十分な成功作となっている。
その一方で読売ジャイアンツのプロ野球ナイター中継放送とぶつかったことによる長期間の番組放送休止に悩まされ、特に放送開始から半年経とうかという1984年8月から9月にかけてはプロ野球中継以外にも特別番組が組まれてしまったばっかりに一度も放送できなかった。
そのため、放送開始から1年が経過しても29話と半年程度の話数しか放送できず、本来1年分に相当する50話分を放送するのに1年半もの期間を要している。
さらに1985年公開の劇場版アニメ映画として企画されていた「押井守版ルパン」がポシャったことで、急遽PARTⅢのスタッフが新規で劇場版の『バビロンの黄金伝説』を作ることになり、それに伴って現場が混乱したのか、あるいはネタが切れてしまったか、終盤期のエピソードの評価はそれほど高くない傾向にある。
これにより、キャラクターデザインと作画総括を担当した青木悠三は、数々の不本意な仕打ちを受けた結果『ルパン三世』のアニメシリーズとは袂を分かっている。
最終回は業務的な「女性のアナウンスによる番組終了告知」で唐突に閉められているが、これは突如番組の制作打ち切りが決まったためである。
このため『ルパン三世』のテレビアニメシリーズの中で唯一まともに完結らしいピリオドを打っていない作品である。
なお、山田康雄は先の番組終了の挨拶を撮って欲しいと求められたが、「お別れだなんて言って、どうせまた新しいのをやるんだろ?そんな嘘はつきたくない」と拒否したと古川登志夫が証言している。
このことについて古川が「役者側からやらないなんて言うこと普通は考えられない」と語り、それに対して井上真樹夫は「納谷悟朗さんも厳しい人だったけどそこまでやらなかったもんな(笑)」と答えている。
事実、山田の予言どおりルパンという作品自体は約2年後に劇場で復活。
その際は古川登志夫がルパンを演じたが、その後、スペシャルとして山田康雄のルパンは復活を遂げた。
また、打ち切り宣告について山田はまるで信じていなかったという。
ただし、レギュラーのテレビシリーズとしては次元役の小林清志以外は本作が最後の出演作となった。
再放送もあまり行われず、テレスペも日本テレビ制作であり、こういった経緯を背景にピンクルパンは長らく再登場しなかった。
だが、他のシーズンにはない独特の作風、作画監督を置かなかったからこそ実現した自由(カオス)な展開、アダルティさを醸し出した内容などを評価する声も多い。
実際、打ち切りに追い込まれた原因はテレビ局の番組編成上の問題であり、アニメが現代と同様に番組的には軽視されすぎていたのが主な原因といえる。
事実、特番の連発により新作は放送できずに人気を伸ばせなかった作品は多く存在する。
2010年代になり安価な動画配信サービスで配信が行われるようになったため、ようやく本作の再発見がされるようになった。
枠に恵まれていれば、もう少し息の長い番組になったかもしれない。
関連画像
関連項目
ルパン三世PART3...表記揺れ