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三枝守友

さいぐさもりとも

三枝守友とは武田信玄・勝頼の2代に使えた戦国武将である。 生没年1537~1575年。通称は三枝勘解由。
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概要編集

1537年に武田家に使えた奉行並びに足軽大将であった三枝虎吉の長男として生まれる。これまで、名は守友とされていたが、現在は『昌貞』が本名と判明しているものの、便宜上この記事では守友として扱う。


守友の初陣は1555年の木曾氏と武田氏の戦いであったがこの時は、武田軍本隊は長尾景虎と対陣中であり、木曾氏の本拠地である木曾谷を封鎖し、兵糧攻めにはするもの・あったため、小競り合いがあった程度で大した戦にはならなかった。

1558年頃に武田晴信の近習として使え始めたとされ、奥近習六人衆と呼ばれる後に武田家を支える幹部候補生として晴信に期待される。

1561年の第四次川中島の戦いの直前に武功を立てたようで信玄から賞賛されており、川中島の戦いの激戦でも武功立てたとされるが、原因は不明だが突如として信玄から謹慎を命じられる。なお、1563年に守友の叔父の子の後見と養育を信玄に命じられたことから、それ以前に謹慎は解けた模様。


が、1566年に同じ奥近習六人衆の長坂昌国曽根昌世と共に起請文に信玄に提出しており、昌国は従兄が、昌世は息子が前年に起きた義信事件に加担している為、守友あるいはその一族の誰かが武田義信に近い立場だったことや守友の素行に悪い所があったようで、守友の武勇と行政能力は高く評価しつつも信玄が守友の功績に対する加増を躊躇っている。


1568年信玄が駿河を侵攻した際の花沢城攻めにおいて、足軽大将として自ら槍刀を取って戦い、一番槍の武功を上げたことに対し、信玄は守友と二番槍の武功立てた上げた曽根昌世武藤喜兵衛『我が目の如し』と褒め称え、その後の合戦でもこの3人は共に合戦で協力し合って武功を重ねていく。

この花沢城攻めに守友のおける活躍を聞いた、武勇と外交に引いでた重臣の山県昌景は守友に名刀吉光を与え、さらに自分の娘を守友に嫁がせ、山県性を名乗ることを許し、守友を猶子(跡継ぎとしてではなく、功績等を評価する為には養子とすること)にしている。


守友も昌景の期待に応えるべく、1572年の三方ヶ原の戦いで武功を上げ、信玄亡き後も武田勝頼の為に力を尽くしたが、1575年の長篠の戦いの前哨戦において、長篠城を包囲するべく砦を監視していた所、酒井忠次金森長近らの奇襲を受け、善戦するも討死した。享年39


逸話編集

信玄が高く評価する程の武勇と行政能力の持ち主である反面、平気で愚痴を言ってしまう癖があり、度々注意されている。実際に起請文で「二度と愚痴を信玄様の前では言いません」と誓っている。

守友自身、山県昌景を非常に尊敬していたようで、昌景から名刀吉光を下賜された時には、物凄く嬉しかったらしく子供のように喜んだとされる


戦国大戦編集

武田家所属UC武力8、統率3の2コストの無特技の騎馬隊。

武力が高めだが、統率がやや低いものの優秀なスペックをしており、後述する癖はあるが効果の長い計略を持つ為、使いこなせば士気とコスト以上の結果と戦力をもたらす。


武田家では1番史実とのイメージが乖離している人物と歴史ファンからは言われている。花沢城攻めで1番槍の武功を上げて、山県昌景から名刀吉光を下賜されたことがクローズアップされた結果………


愛刀で敵を斬り、その生き血を吸わせたがる辻斬りのようなバイオレンスじみたキャラクターになっている。


『血をー!』と叫びながら突撃する為、戦国大戦のプレイヤー達からは『チヲー』というニックネームで呼ばれている。

虎口攻めの際には、 『新しい血だ!』と人を斬れるかもしれない喜びに満ちた台詞を言い、実際に虎口攻めが成功すると一部の武将を除いては敵を刀で斬る演出が入るのだが、

『これだ…この血が欲しかったのだ』とご満悦な三枝さんが見ること出来る。

しかし、撤退時には『私は何をやっていたのだ』と我に返るが…

復活時には『血ィィィ』と叫ぶので、恐らく反省してないか忘れている。


なお、このバイオレンスな言動は公式によると彼本来の性格に起因する訳では無いらしく、昌景から貰った名刀吉光が妖刀で実は刀に操られている。


計略は士気5の血の渇き

武力+3と移動速度+30%が上昇するが、兵力が減少し続け、突撃成功で1回につき体力が2割程回復する。

騎馬の多い武田家で自己強化系の計略持ちは多いが、彼の場合は独自性が強く、かなり癖のある計略である。

武力は3しか上がらないので、一撃の破壊力は低いがその分持続時間は20c程非常に長く、統率依存も高い為家宝を装備したり計略で統率を上げれば、長時間の間武力11の神速騎馬が戦場を暴れ回る。しかし、体力が減少し続けるので突撃を当てることが出来なければ、士気の無駄遣いとなってしまう。

その為、速度低下や誘導計略にも弱く、槍の挟撃や高火力騎馬の突撃を受けると瀕死や撤退という状態になってしまう。そして何より、突撃が出来ない状態を作られることが何よりキツい。

反転して、弓や鉄砲等の遠距離兵種を中心とするデッキやタッチ突撃が出来ない竜騎馬や軽騎馬であれば高統率の相手でも一方的に突撃ができる為、相性差が出やすい騎馬ではあるが、単色・混色問わず突撃さえ出来れば、士気以上の働きをしてくれるだろう。


関連タグ編集

武田信玄 武田勝頼 山県昌景 武田家

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