概要
1923年2月1日の鳳来寺鉄道開業に合わせ開業。
駅名の大野は駅東側を流れる宇連川の対岸の地名である。
大野は江戸時代には鳳来寺と静岡県の秋葉山を通る参詣路秋葉街道の宿場町として栄えた地域であり、明治期にも豊橋より豊川左岸沿いに本郷に至る別所街道が改修され町が発展するなど宇連川流域の中心地であった。
豊川鉄道開業後は大海駅から乗合馬車や人力車が運行され、1919年には東三自動車運輸により路線バスが運行された。
対岸に当駅が開業してからはそれまで存在していた吊り橋では車の通行ができなかったため1924年に幅員を拡大した新たな吊り橋が掛けられた。
しかし鉄道が開業してからは中心地としての役割が薄れ、大正期には製糸工場が閉鎖されたこともあって人口が激減してしまった。
一方で当駅から静岡県方面への鉄道の建設も計画されていた。掛川駅から遠江二俣駅、当駅を経由し浦川駅周辺から西進し武節町(現:豊田市)を経由し岐阜県恵那郡大井町(現:恵那市。恵那駅の所在地)に至る「遠美鉄道」が計画され、実際に鉄道が開通した二俣線宮口駅から当駅に至る国鉄バス遠三線が運行されていた。
1943年8月に鳳来寺鉄道線が国有化され国鉄の駅になる。
当駅からは貨物輸送も行われ、クレーンを備え木材の積み出しを行っていた時期もあった。1971年12月1日に貨物営業は廃止された。
1987年に国鉄分割民営化によりJR東海の駅となった。これに前後し遠三線は鳳来町営バス(現:新城市営バス)に移管され、県境以東の区間が廃止されている。
駅周辺には登録有形文化財に登録された旧大野銀行(後の東海銀行→三菱UFJ銀行)本館である大野宿鳳来館が所在する。
駅構造
島式ホーム1面2線の地上駅。南側に1番線、北側に2番線がある。
駅舎は線路より低い位置に建っており、駅舎を通り抜け1番線をくぐった先の階段でホームに上る。
開業時は静岡県側からの利用者も多かったことから鳳来寺鉄道直営の宿泊施設を備えた2階建ての木造駅舎が使用されていた。
豊川駅管理下の無人駅。かつては駅員が配置されていたが、1991年2月1日に無人駅となった。
無人化後の1996年に旧駅舎は解体され、山小屋風の駅舎が建てられた。デザインモチーフはコノハズクとされている。